4話 試験前後
玄関のドアを開いて、飛び込んできたまぶしい世界に、思わず出迎えるのを忘れてしまう。初めて見る、私服の煌くんと景くんはまるでモデルみたいに美しい。こんなに暑い日なのにカジュアルでだらんとした服じゃなくて、ぴっしりしたシャツにベストで決めていた。
(綺麗……)
「直子誰か来たのか?」
お父さんがやってきてハッとする。見惚れていたせいで、玄関の外に二人を待たせていることに気付いたのだ。
照り付ける日差しと暑さの中歩いてきたためか、景くんは汗をたくさんかいていて、息を荒げていた。煌くんも強い人じゃないから、このまま外で待たせるのは悪いとと思って慌てて家に上げようとしたが、
「こらー! 男は家に上がる前に父さんに挨拶するのが礼儀だろ?」
と、怒鳴り声がして、ため息をつく。そういえば今まで男の子を家に上げたことなかったな……。お父さんはすごく私を愛してくれているし、小さいころからいろんなスポーツを教えてくれて、頼りにしてたけど。こういうところはすごく面倒臭い。
「ご挨拶もせずすみません。赤城景と申します。樋口さんとは友人を通じて仲良くさせていただいております」
「王子煌です。樋口さんにはいつもお世話になっております」
「二人ともごめんね!! お父さんはいいから早く部屋に上がろう?」
お父さんが険しい顔をしながらも、嘗め回すように二人をじっくりと見ているのが耐えられなくてそう急かす。お父さんがどんなに失礼なことをしても、二人ともしゃんとしてて、礼儀正しくて本当にすごい。
「直子のこと好きか?」
お父さんがそんなことを言うものだから、上がろうとした階段を踏み外しかけた。煌くんも景くんもぽかんとしている。最悪だ。煌くんも景くんもたぶん私には気はないし、今回も明美ちゃんや司くんが無理を言って何とか来てもらうよう説得してくれたのだ。
「お父さんの直子の彼氏の理想は、黒髪で背が高くて健康的なスポーツマンなんだ。君たちみたいな……」
お父さんがそれ以上言わないように、頭を一発叩いて、煌くんと景くんを強引に引っ張って階段を上がる。やっとのことで部屋まで上がってドアを閉めるが、二人は息を切らしながらへたれこんでしまう。
「ごめん! お父さんが散々失礼なことした挙句、何も考えないで二人を振り回して!!」
申し訳なさで頭がいっぱいだ。というより穴があったら入りたい。二人にはわざわざ休日を割いてもらって、勉強を教えてもらう立場なのに。体力がないこともよく分かっていたのに、つい。
「お茶持ってくるから適当に休んでて! あと、お父さんのことは本当に気にしないで!」
一階に降りると、お父さんが不機嫌そうに座っていた。触れないでお茶だけ持って上がろうとしたのだが。
「直子はあんなのがいいのか?」
そう問いかけられて言葉に詰まる。好きだけど、お父さんの理想のタイプとは全然違うというか、むしろ正反対なくらいで、正直に答えたとしても否定されるに決まっている。
「だから、何勘違いしてるの。煌くんも景くんもただの友達。今日もわざわざ私のために勉強教えに来てくれたんだからね?」
「じゃあ、直子がその気じゃなくてもあっちには気があるんじゃないか」
「もうお父さんに何言っても無駄。部屋に勝手に入ってこないでよね?」
そう冷たくあしらって、お茶とコップを持って2階の部屋に戻った。お父さんの考えすぎには本当に腹が立つ。私はそんな大した人間じゃないのに、お父さんがハードル上げたり、過剰な評価をするからこっちが恥ずかしいじゃない。
部屋に戻ると、二人ともひどい顔色をしていたものだから、びっくりしてお茶をこぼしそうになる。
「えっ、大丈夫? さっき走ったのそんなにまずかった?」
自分の何気ない行動が、煌くんを苦しめていたらどうしよう。こんなの好きでいる資格なんてない。
「冷房、少し温度上げてもらってもいいかな?」
そう言われてまたも驚く。自分は暑がりだから冷房の温度を18度にしていたが、それは普通ではないのか。そう言えば世間では28度とか言うしな……。またやらかした。
「ご、ごめん……寒かったら切るよ」
お父さんじゃないけど、私はとても煌くんと釣り合わない気がしてならない。煌くんだけじゃなくて景くんも震えているくらいだからよっぽどか。というか反省すべきことが多すぎて処理の限界だ。昔から頭も悪いしそそっかしくて、気遣いしたつもりが裏目に出ているということもよくあった。
「いや、気にしなくてもいい……」
「直子ちゃんは丈夫だよね」
そう笑ってごまかしてくれる心の寛大さに圧倒されて……ああ、もうなんていうか情けなさすぎて今すぐこの場から逃げたい。そうじゃなくても自分の部屋に好きな男の子が座っていると思うだけで緊張するというのに。
「時間も限られているし、始めようか」
嫌になって帰る、と言われたらどうしようかと思ったけど、景くんはそう言ってくれた。それ以前に自分の勉強を優先して来てもくれないとさえ思っていてくらいで、何だか思っていたよりも怖い存在じゃないのかなって。そういえば球技大会のときも、なんだかんだで毎日律義に練習来てくれたもんね。
「直子ちゃんは何の教科が苦手?」
「……全部、だけど特に英語と数学かな。もう授業も何やってるのかわけわかんない」
「じゃあ、今日は数学と英語に絞って、余裕があったら他も少しだけ対策という予定でやるぞ」
さっきまでのことは何もなかったかのように振る舞ってくれて、それだけでも胸がいっぱいだ。二人の優しさには感謝してもしきれない。
絶対頑張ろうって気合を入れて、ここぞってときに頭に巻いて使っている必勝ハチマキを頭につける。
**
「二次関数はまずは平方完成だね」
「えっ何それ?」
煌くんがそういうのに、私はものすごくバカそうに聞き返してしまった。絶対呆れられたと思った瞬間、思わぬ出来事に動揺を隠せない。
「ここを二乗にして余剰を後で引くんだけど」
正直説明されても、煌くんとの距離の近さにドキドキして何も考えられない……!! けど、なんとか理解しなきゃ。
「……なんで引くの」
せっかく煌くんが教えてくれてるのに理解できないなんて……余剰って何? なんで引かなきゃいけないの? 数学なんて出来なさ過ぎて理解しようとするだけで頭が追い付かなくて。
「x^2+4x と(x+2)^2=x^2+4x+4 だと+4の分差があるだろ? これが余剰。このままにしてたら元の式と同じ値ではなくなるから、元の式と変形後の式の値を一緒にするために4引くんだ」 ※ ^2 = 二乗
景くんは書きながら説明してくれる。すごく分かりやすくて、今まで分からなかったのが嘘みたいに分かるようになった。
「あ~なるほど!!」
で、なんで平方完成しなきゃいけないんだっけ。けど、そんなことバカみたいで聞けない。そもそも、学年トップの二人には私の理解力のなさの方が理解できないんだろうなと考えてものすごく恥ずかしくなってきた。
「平方完成は二次関数の頂点、例えばこのグラフで言うとこの1番下の谷底の部分の座標を求めるためにするんだが、平方完成をした後の式で見ると、この部分にマイナスをかけたものが頂点のx座標で、後ろのこの部分がy座標になるんだ……」
え、景くんに脳内見透かされちゃってるのかな? って思うくらい的確な答えが返ってくる。なんで? って思ってたことがひとつひとつ答えにつながってる。
「すごい……景くんの説明分かりやすくて僕も勉強になるよ」
「本当本当、さすが学年一位だよねー」
煌くんと2人で景くんのことを褒め称えた。
「別に、そんな……」
ふふ、景くん照れちゃって可愛い。けど、あんなにちんぷんかんぷんだったのに一つ分かっただけで結構解けるもんなんだなってちょっと楽しくなっちゃう。
「数学って分かったら結構楽しいかも!」
そんな風に言うと煌くんも景くんも嬉しそうな顔をして、勉強会して良かったねって言ってくれる。そんな私が嬉しすぎて死んでしまいそう。
「この調子で次もやるぞ」
「はーい!」
~中略~
数学のときも景くんの分かりやすい説明に圧巻されていたけど、英語は本当にすごかった。発音は英語の授業で聞くCD以上だし、解説も先生より上手いんじゃないかって思うくらい。
数学も英語もこの分だとなんとか平均点は取れそうな気がしてきた。煌くんが隣にいてくれるから頑張ろうって思えたし、景くんの説明のおかげで今まで何を悩んでいたのだろうって思っちゃうくらい。
煌くんの送迎の車を見送った後、家の前で気になっていたことを景くんに聞いた。
「ねえ、景くんはなんで今日来てくれたの?」
「球技大会のときのお礼と……」
景くんはびっくりしたような顔をして、尻すぼみにそう答えた。
「お礼と?」
「そ、その……人に教えると自分も勉強になるって言うから……」
意地悪にごまかした部分を繰り返す。景くんは目をそらしながらそう言ったけど、他にも何かあるのかな。
「今度は体育祭のときかな、私がお返しするのは」
「別にお返しは気にしなくてもいいからな」
そう言って私の家から遠ざかっていく景くんは少し赤い顔をしていた――。
(綺麗……)
「直子誰か来たのか?」
お父さんがやってきてハッとする。見惚れていたせいで、玄関の外に二人を待たせていることに気付いたのだ。
照り付ける日差しと暑さの中歩いてきたためか、景くんは汗をたくさんかいていて、息を荒げていた。煌くんも強い人じゃないから、このまま外で待たせるのは悪いとと思って慌てて家に上げようとしたが、
「こらー! 男は家に上がる前に父さんに挨拶するのが礼儀だろ?」
と、怒鳴り声がして、ため息をつく。そういえば今まで男の子を家に上げたことなかったな……。お父さんはすごく私を愛してくれているし、小さいころからいろんなスポーツを教えてくれて、頼りにしてたけど。こういうところはすごく面倒臭い。
「ご挨拶もせずすみません。赤城景と申します。樋口さんとは友人を通じて仲良くさせていただいております」
「王子煌です。樋口さんにはいつもお世話になっております」
「二人ともごめんね!! お父さんはいいから早く部屋に上がろう?」
お父さんが険しい顔をしながらも、嘗め回すように二人をじっくりと見ているのが耐えられなくてそう急かす。お父さんがどんなに失礼なことをしても、二人ともしゃんとしてて、礼儀正しくて本当にすごい。
「直子のこと好きか?」
お父さんがそんなことを言うものだから、上がろうとした階段を踏み外しかけた。煌くんも景くんもぽかんとしている。最悪だ。煌くんも景くんもたぶん私には気はないし、今回も明美ちゃんや司くんが無理を言って何とか来てもらうよう説得してくれたのだ。
「お父さんの直子の彼氏の理想は、黒髪で背が高くて健康的なスポーツマンなんだ。君たちみたいな……」
お父さんがそれ以上言わないように、頭を一発叩いて、煌くんと景くんを強引に引っ張って階段を上がる。やっとのことで部屋まで上がってドアを閉めるが、二人は息を切らしながらへたれこんでしまう。
「ごめん! お父さんが散々失礼なことした挙句、何も考えないで二人を振り回して!!」
申し訳なさで頭がいっぱいだ。というより穴があったら入りたい。二人にはわざわざ休日を割いてもらって、勉強を教えてもらう立場なのに。体力がないこともよく分かっていたのに、つい。
「お茶持ってくるから適当に休んでて! あと、お父さんのことは本当に気にしないで!」
一階に降りると、お父さんが不機嫌そうに座っていた。触れないでお茶だけ持って上がろうとしたのだが。
「直子はあんなのがいいのか?」
そう問いかけられて言葉に詰まる。好きだけど、お父さんの理想のタイプとは全然違うというか、むしろ正反対なくらいで、正直に答えたとしても否定されるに決まっている。
「だから、何勘違いしてるの。煌くんも景くんもただの友達。今日もわざわざ私のために勉強教えに来てくれたんだからね?」
「じゃあ、直子がその気じゃなくてもあっちには気があるんじゃないか」
「もうお父さんに何言っても無駄。部屋に勝手に入ってこないでよね?」
そう冷たくあしらって、お茶とコップを持って2階の部屋に戻った。お父さんの考えすぎには本当に腹が立つ。私はそんな大した人間じゃないのに、お父さんがハードル上げたり、過剰な評価をするからこっちが恥ずかしいじゃない。
部屋に戻ると、二人ともひどい顔色をしていたものだから、びっくりしてお茶をこぼしそうになる。
「えっ、大丈夫? さっき走ったのそんなにまずかった?」
自分の何気ない行動が、煌くんを苦しめていたらどうしよう。こんなの好きでいる資格なんてない。
「冷房、少し温度上げてもらってもいいかな?」
そう言われてまたも驚く。自分は暑がりだから冷房の温度を18度にしていたが、それは普通ではないのか。そう言えば世間では28度とか言うしな……。またやらかした。
「ご、ごめん……寒かったら切るよ」
お父さんじゃないけど、私はとても煌くんと釣り合わない気がしてならない。煌くんだけじゃなくて景くんも震えているくらいだからよっぽどか。というか反省すべきことが多すぎて処理の限界だ。昔から頭も悪いしそそっかしくて、気遣いしたつもりが裏目に出ているということもよくあった。
「いや、気にしなくてもいい……」
「直子ちゃんは丈夫だよね」
そう笑ってごまかしてくれる心の寛大さに圧倒されて……ああ、もうなんていうか情けなさすぎて今すぐこの場から逃げたい。そうじゃなくても自分の部屋に好きな男の子が座っていると思うだけで緊張するというのに。
「時間も限られているし、始めようか」
嫌になって帰る、と言われたらどうしようかと思ったけど、景くんはそう言ってくれた。それ以前に自分の勉強を優先して来てもくれないとさえ思っていてくらいで、何だか思っていたよりも怖い存在じゃないのかなって。そういえば球技大会のときも、なんだかんだで毎日律義に練習来てくれたもんね。
「直子ちゃんは何の教科が苦手?」
「……全部、だけど特に英語と数学かな。もう授業も何やってるのかわけわかんない」
「じゃあ、今日は数学と英語に絞って、余裕があったら他も少しだけ対策という予定でやるぞ」
さっきまでのことは何もなかったかのように振る舞ってくれて、それだけでも胸がいっぱいだ。二人の優しさには感謝してもしきれない。
絶対頑張ろうって気合を入れて、ここぞってときに頭に巻いて使っている必勝ハチマキを頭につける。
**
「二次関数はまずは平方完成だね」
「えっ何それ?」
煌くんがそういうのに、私はものすごくバカそうに聞き返してしまった。絶対呆れられたと思った瞬間、思わぬ出来事に動揺を隠せない。
「ここを二乗にして余剰を後で引くんだけど」
正直説明されても、煌くんとの距離の近さにドキドキして何も考えられない……!! けど、なんとか理解しなきゃ。
「……なんで引くの」
せっかく煌くんが教えてくれてるのに理解できないなんて……余剰って何? なんで引かなきゃいけないの? 数学なんて出来なさ過ぎて理解しようとするだけで頭が追い付かなくて。
「x^2+4x と(x+2)^2=x^2+4x+4 だと+4の分差があるだろ? これが余剰。このままにしてたら元の式と同じ値ではなくなるから、元の式と変形後の式の値を一緒にするために4引くんだ」 ※ ^2 = 二乗
景くんは書きながら説明してくれる。すごく分かりやすくて、今まで分からなかったのが嘘みたいに分かるようになった。
「あ~なるほど!!」
で、なんで平方完成しなきゃいけないんだっけ。けど、そんなことバカみたいで聞けない。そもそも、学年トップの二人には私の理解力のなさの方が理解できないんだろうなと考えてものすごく恥ずかしくなってきた。
「平方完成は二次関数の頂点、例えばこのグラフで言うとこの1番下の谷底の部分の座標を求めるためにするんだが、平方完成をした後の式で見ると、この部分にマイナスをかけたものが頂点のx座標で、後ろのこの部分がy座標になるんだ……」
え、景くんに脳内見透かされちゃってるのかな? って思うくらい的確な答えが返ってくる。なんで? って思ってたことがひとつひとつ答えにつながってる。
「すごい……景くんの説明分かりやすくて僕も勉強になるよ」
「本当本当、さすが学年一位だよねー」
煌くんと2人で景くんのことを褒め称えた。
「別に、そんな……」
ふふ、景くん照れちゃって可愛い。けど、あんなにちんぷんかんぷんだったのに一つ分かっただけで結構解けるもんなんだなってちょっと楽しくなっちゃう。
「数学って分かったら結構楽しいかも!」
そんな風に言うと煌くんも景くんも嬉しそうな顔をして、勉強会して良かったねって言ってくれる。そんな私が嬉しすぎて死んでしまいそう。
「この調子で次もやるぞ」
「はーい!」
~中略~
数学のときも景くんの分かりやすい説明に圧巻されていたけど、英語は本当にすごかった。発音は英語の授業で聞くCD以上だし、解説も先生より上手いんじゃないかって思うくらい。
数学も英語もこの分だとなんとか平均点は取れそうな気がしてきた。煌くんが隣にいてくれるから頑張ろうって思えたし、景くんの説明のおかげで今まで何を悩んでいたのだろうって思っちゃうくらい。
煌くんの送迎の車を見送った後、家の前で気になっていたことを景くんに聞いた。
「ねえ、景くんはなんで今日来てくれたの?」
「球技大会のときのお礼と……」
景くんはびっくりしたような顔をして、尻すぼみにそう答えた。
「お礼と?」
「そ、その……人に教えると自分も勉強になるって言うから……」
意地悪にごまかした部分を繰り返す。景くんは目をそらしながらそう言ったけど、他にも何かあるのかな。
「今度は体育祭のときかな、私がお返しするのは」
「別にお返しは気にしなくてもいいからな」
そう言って私の家から遠ざかっていく景くんは少し赤い顔をしていた――。
