春の或る日のマリアージュ

 舞とおバアちゃんが寝静まった青木家が深い静寂に包まれる頃。
 客間に敷いた薪の布団を整えた青木は、まだ明かりの付いているダイニングへと足を向けた。

​「薪さん、お休みの準備ができましたよ。……って、何してるんですか、こんな夜更けに」

​ 薪はテーブルに一冊のノートを広げ、ペンの先から火花が散るような勢いで文字を書き連ねていた。

​「お仕事ですか?」

 背後からそっと覗き込むと、そこには見慣れない数式とグラフの羅列があった。

「これ、数式……? 何かの鑑定結果ですか?」

「いや、レシピだ」

「……えっ?」

​ 青木は思わず声を上げた。
 ノートを凝視すれば、そこには『加熱時間(t)とタンパク質変性率(Δ)』といった、物理の教科書のような文言が並んでいる。

​「レシピって……これじゃ料理というより実験レポートですよ。分量が比率の数式だし、この『結合温度』って一体……」

「うるさい。お前の母上の食習慣と嗜好をプロットしたんだ」

​ 薪は振り返りもせず、ノートの端に『乳脂肪分 8.5%増』と書き加える。

​「母上は基本こそ和食だが、子どもや孫を育てる過程のメニューを通して、乳脂肪にも慣れ親しんでいらっしゃる。土産のバターたっぷりなフィナンシェを食べた際の目の輝きを見たか? あれは前頭葉の活性化――つまり、潜在的に芳醇な香りを好まれている証拠だ」

「へえぇ……凄まじい観察力ですね。他には何が……」

​ 感心した青木がノートを詳しく見ようと顔を寄せた。至近距離で、同じシャンプーの香りが違う体温で混じり合い、薪の耳朶が僅かに赤く染まる。

​「おい……近すぎる。離れろ」

​ 毒づきながらも薪はパタリとノートを閉じ、椅子を回して青木と向き合った。
 そして、自分を見下ろす大きな身体を誘うように、その首にしなやかな腕を回す。

​「先週も僕のマンションで会ったばかりだろう。ほどほどにしないか」

「すみません。俺、まだ若いんで。薪さんに近づくと理性がログアウトするんです」

​ 首筋への熱いキスが止まらない青木を、薪は薄く笑って受け入れていく。

「ふぅん。四十路の僕と比べたら、三十路のお前は確かに若いだろうが……」

「訂正します。年齢も頻度も関係ないです。あなたという存在そのものに、俺、いつでもサカってしまうので」

​ キスの合間に紡ぐ、欲情を滲ませた青木の声が肌越しに響いて、ゾクゾク震える。

「バター、冷蔵庫にありますよ。試食してみなくていいですか?」

「……いら……ないっ……」

「どこに塗って……食べましょうか」

「ばか……っ……あ……っ」

​ 青木の大きな掌が、薄い部屋着の下へ滑り込み、熱い肌を直接なぞる。薪の口から漏れた吐息を青木が逃さず唇で塞いだ。

 同じ屋根の下に母や舞が眠っているという制約が、かえって二人の神経を異常なほど鋭敏にさせていた。

​「……ん、……はっ……」

​ 唇を離すと、名残惜しげな吐息を漏らして絡みついてくる肢体が愛しくてたまらない。

「薪さんの体……さっきのノートみたいに、熱による『変性』が始まってるみたいです」

「……っ……余計な解析、するなっ……」

​ 甘い刺激を与えながら下へ下へととずれていく青木の頭髪を、薪の震える手が堪らず鷲掴みする。

「バター、持ってきましょうか。薪さんの肌の上のを俺の舌で融かして……風味の変化を確かめるのも、良くないですか?」

「……っ、悪趣味……だっ……」

​ 罵る言葉とは裏腹に、薪の指先は掴んだままの青木の髪を自分の顔の前まで引っ張り上げた。
 青木は愛おしげに鼻筋を寄せ額を擦り付けながら口づけ、薪の部屋着のズボンを剥いで、軽い身体を椅子から抱き上げた。

​「あ……っ、やめ……っ」
​ 
 薪の身体がダイニングテーブルの上へと押し上げられた勢いで、ノートやペンが音を立てて端に追いやられていく。

「そんなに怒らないでください……」

 テーブルに背をつけた薪の脚の間に割り込んだ青木は、屹立の淫らなカタチと後ろの蕾を同時に手指と口唇で撫で回し味わい尽くす。

​「でも、ここ、充分蕩けてて……すごく美味しい……」

「あ……っ……やめ……っ……、ナカは……ッ……」

「……こんな、奥まで……ほら……」

「ぁあ……っ……」

​ 制止が、快楽に、掻き消されていく。

 テーブルの上で肢体を波打たせる薪自身が、極上のメインディッシュとして、愛する男の無心な欲求の餌食になって崩れ落ちていく。

「っ……はっ……ぁっ……」

​ 床やテーブルの軋む音が、二人の鼓動を不必要に急かす中で、溶け切って奥まで明け渡した薪は、青木の首筋に強くしがみつき、押し殺した甘い喘ぎを繰り返すことしかできなかった。
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