春の或る日のマリアージュ

 福岡空港の到着ゲートを抜けると、人混みの中でもひときわ目を引く長身の男が、こちらに気づいて大きく手を振る。
 並んで駐車場へ歩みを進めれば、五月の福岡特有の、少し湿り気を帯びた初夏の風が薪の頬を優しく撫でていく。

​ 上質なネイビーのカーディガンを纏い、白のバンドカラーシャツの首元をわずかに開けた薪の、長旅の疲れをものともしない凛とした立ち姿。
 その腕に抱かれた大輪の赤いカーネーションが、陶器のような肌に鮮やかな色彩を添え、周囲の視線を奪うほどの気品を放っていた。

​「薪さん、お疲れ様です。……薪さんもお花も、凄く綺麗です。母さん絶対に喜びますよ」

「……そうだといいが」

​ 青木が眩しげな視線で見惚れながら助手席のドアを開ける。薪はその賛辞と視線をさらりと受け流し、花束を潰さないよう大切に抱えたまま車に乗り込んだ。

​「お祝いなのに、手ぶらで行くわけにはいかないからな」
​ 少し硬い口調とは裏腹に、その横顔には、これから会いに行く青木の母への親しみが穏やかに滲んでいた。

​ やがて、見慣れた青木の実家が見えてくる。
 手慣れたハンドル操作で、車は滑らかにガレージへと滑り込んだ。
 エンジンが静かに止まり、サイドブレーキを引き上げる乾いた音が響く。

​「着きました。さあ、行きましょうか」

​ 青木に導かれ、薪は花束を抱え直してゆっくりと車を降りた。
 玄関に辿り着いた瞬間、向こう側から引き戸が開いた。車が着く物音で、待ちきれず母が出てきのだ。

​「あらまあ、 薪さん、こんにちは。わざわざお越しいただいた上に、こんなに立派なお花まで!」

​ 花束を差し出す薪のあまりの美しさに、出迎えた青木の母の頬が、みるみる明るく染まっていく。

​「こんにちは。お母様に……日頃の感謝を込めて。どうぞお受け取りください」

​ 薪が美しい所作で一礼すると、彼女は恐縮しながらも「ありがとうございます」と嬉しそうに目を細め、深々とお辞儀を返した。

​「マキちゃん……!」

​ 廊下の向こうから声がして、小さな影が現れる。
 年長さんの舞だ。
 舞は薪の姿を見ると、一瞬躊躇うように立ち止まり、背中に何かを隠しながら、もじもじと薪の足元へ近づいてくる。

​「……舞ちゃん、こんにちは。どうしたの?」

​ 薪がその場に屈み込んで視線を合わせると、舞は顔を真っ赤にしながら、背中に隠していた画用紙をおずおずと差し出した。

​「これ……ははのひ。まいね、マキちゃんのえをかいたの」

​ 画用紙には、パッチリとした瞳に長いまつ毛を描き込まれた人物がいた。ちょっと強気な面立ちはよく特徴を捉えていて、それを和らげるかのように、頭にはカーネーションのような赤い花が飾られている。

​「絵?……僕の?」

​ 薪はその絵を受け取り、指先でクレヨンの柔らかな凹凸をそっと辿った。胸の奥が、熱く震える。

​「……去年はね、お母さんがいないから描けないって、お花の絵だけ描いていたのよね」

​ おバアちゃんが、少し声を震わせて舞の頭を撫でた。玄関に佇んだままの薪をリビングへと案内する。

​「ごめんなさいね、びっくりされたかしら。一度お会いしただけなのに、急に絵なんて……」

「急じゃないよ! マキちゃんとまいは、こないだ寝るまでいっぱい遊んだんだもん。それでね、誰のママより一番きれいなんだもん」

​ 舞の無垢な宣言に、薪はふっと表情を和らげた。

​「ありがとう、舞。すごく嬉しいよ。……そうだ、この絵みたいに、僕もカーネーションをつけてみようかな」

​ 薪はおバアちゃんがさっそく花瓶に生けようとしていた束から一輪借りた花を、自らの耳元に飾ってみせる。

​「わあ、すごい! きれい!」

​ 舞が目を輝かせて歓声を上げると、おバアちゃんも、その光景に幸せそうに目を細めた。

「……和歌子も、舞がこんなに笑ってるなら、きっと安心してるわね。薪さん、本当にありがとう」
 
 後ろから派手に鼻をすする音が聞こえる……三人を涙ながらに見守っている青木だった。

​「さあ、お昼ごはんにしましょうか。薪さんも召し上がるでしょう?」

​ 食卓に並べられたのは、五月の旬が息づく彩り豊かな昼食だった。
 香ばしく炙られたカツオのたたき、新じゃがのそぼろ煮に、ふっくらと炊き上がった豆ごはん。そして新玉ねぎと春キャベツとお揚げの爽やかな味噌汁。

​(……これは、想像以上にハードルが高いな)

​ 四人で「いただきます」と手を合わせた後、薪は丁寧に箸を運ぶ。
 一口ごとに身体へ染み渡っていく青木家の「お袋の味」。その完璧な調和を味わいながら、薪の胸の奥で挑戦意欲の火がメラメラと燃え上がっているのを、隣で青木は敏感に感じ取っていた。

​(壁が高いほど燃える人だからな……)

​ 愛おしさが込み上げるのと同時に、これから始まるであろう薪の「本気」を思い、青木は苦笑を噛み締めるのだった。
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