SACRIFICE〜鏡の中の生贄

​​「……どうして。お前も……僕と同じように昂っているんだろう?」

​ 熱く潤んだ瞳に射抜かれて、青木は息を止める。

​「っ、当たり前でしょう! 俺がどれだけあなたを……」

​ 今の薪は、もう鏡の中の生贄ではない。なのにまだ胸が張り裂けそうなほど痛むのは、三神のせいだ。自分が追従を許されなかった場所で薪に触れ、惚れ込んで、挙句の果てに命を捧げた三神の存在そのものなのだ。

​「でも俺はあなたが思うよりずっとエゴイストなんですよ?あなたを救いたい気持ちより先に、命を投げ出すほどあなたに惚れた三神への憎悪の方がずっと大きくて……」

​ 声を詰まらせる青木。
 驚いたように目を見開いた薪の潤んだ瞳に映るのは、青木の剥き出しの独占欲の炎だ。薪は引き込まれるように、夢中で青木の頬へと震える手を伸ばした。

​「薪さん……愛しています。三神が守ったあなたを、俺が今ここで、ただの男として奪い去って全部めちゃくちゃにしてやりたい。そう思う俺は、あなたの望むような『綺麗な男』じゃなく、俺こそが穢れた……」

​「違う」
 ​薪の指先が青木の唇を優しくなぞる。苦しげに歪む青木の瞳を見つめ返し、自ら近づけた唇から、熱い吐息を囁きに変えて吹き込んだ。

​「……お前のどこが、穢れている?三神に……死者にまでそんなふうに牙を剥けるのは、こうしてお前の腕の中で僕が無事に生きているからだろう?その真っ直ぐなエゴに救われる男が……ここにいる」
​ 薪は青木の首を抱き込み、その耳元で、青木を制御する倫理の鎖を断ち切るように言い放った。
​「……全部上書きしてくれ、青木。『毒をもって毒を制す』くらいが僕には丁度いい。お前の毒になら殺されたって……いいから」

​ それは、聖職者のような青木を「ただの男」へと引き摺り下ろす、薪剛にしか許されない禁断の誘惑だった。

​「っ……後悔しても、知りませんよ」

​ 青木の喉の奥で、理性を溶かした唸りが漏れる。
 その瞳に宿っていた葛藤は一瞬にして燃え盛る情熱に飲み込まれていき、愛する者のすべてを奪い尽くそうとする男の腕が、薪の細い体を壊すような力で引き寄せた。
 次の瞬間、薪の薄く開いた唇が、貪るような熱い口づけに、深く侵食されていく。

​「……んっ、……あ、おき……」

​ 石鹸の匂いも、クレンジングの清涼感も、すべてが青木の放つ「雄」の匂いに塗り潰されていく。
 青木の大きな手が、薪の肩からローブを滑り落とし、裂けたドレスを剥ぎ取っていく。
 しなやかな背中を、細い腰を、慈しむように、けれど力強く、その掌で薪の輪郭をなぞり直しながら。
 触れられるたび、脳裏にこびりつく狂気の嘲笑が遠ざかり、代わりに青木の熱い体温が、薪の神経の隅々まで刻み込まれていった。

​「薪さん……愛しています……」

「……あっ……」

​ 熱く囁く唇が、薪の耳朶を、うなじをたどる。それは情欲の発露であると同時に、不純物に埋もれた宝物を、自分の体温で磨き直していくような儀式にも似ていた。
 言葉にならない喘ぎや、身体の反応を得ることに夢中になりながら――

「……ん……っ、……はぁ……」

​ 寝室のベッドの端、腰を下ろした青木を跨ぐようにして、薪がその膝の上に乗っている。
 薄闇のなか一糸纏わぬ薪の肢体は、陶器のように白く滑らかで、従順に愛撫のすべてを受け止めている。

 愛撫し尽くしたその身体は、息がかかるだけで震え、淫らな悦びに色づき、蕩けきっている。
​ 対する青木も、雄としての本能はとうに臨界点を超え、凶器のように漲っていた。

 だが、いざとなると、この尊い壊れ物の扱いに、ぎこちなく戸惑う。
 薪のあまりの美しさと、過敏なほどの艶めかしい反応。そのすべてが現実離れした奇跡のように思えて、青木はすっかり恍惚に呑まれてしまっていたのだ。

​(……俺が、本当に、この綺麗なひとを侵しても……?)

​ 薪の腰に添えた大きな掌が、行き場を失ったように微かに震える。
 どこに触れても、薪を壊してしまうかも知れない。  
 崇めてきたものを、自分が汚してしまうのではないか。そんな畏怖に近い想いが、青木の動作を固くさせていた。

​「……あ、おきっ……止まるな……っ」

​ じれったそうに、薪が青木の髪を指で掻き上げる。
 主導権を握ろうとする薪の動きと、潤んだ瞳の奥に仄めく切実な渇望が、青木の獣性を掻き立てる。

​「……い、挿れますよ」

​ 上擦った青木の声に、薪は答えず、ただ彼の肩に深く顔を埋めて物欲しげな吐息を漏らした。
 その仕草に煽られのめり込む体勢とは裏腹に、迷いもあった。

「で、でも……どうすれば……くっ、……」

​ 情けないほどに手が震える。
 聖域を侵すことへの畏怖と、未知の快楽への戸惑い。そんな青木を逃がさないように、薪がその腰を強く脚で挟み込み、自ら重心を預けてくる。

​「……っあ……も……入ってる……っ……この、馬鹿っ」

​ 薪の口から漏れたのは、鋭い悲鳴のような、切実な甘い喘ぎだった。

「キツっ……やば……ぅあ……っ!」

​ 青木は、その圧倒的な密着感と快楽に、頭が真っ白になる。
 内に迎え入れた薪の震え。自分を締めつける熱。 
 これまでに触れてきた何より鮮烈で、重く、確かで艶めかしい“生”と“欲”の感触に、一気にまみれていく。

​「くっ……薪、さん……まきさんっ……イイっ……」

​ 名前を呼ぶ青木の声は、もはや敬語さえ忘れている。
 薪は、苦しげに眉を寄せながら微笑み、涙目で青木と見つめ合う。
 零れる“本音”は自白剤のせいなのか、快楽のせいなのか……

​「……見ろ。……僕を見ろ、青木。……お前が、僕を……壊すんだろ……っ」

​ 挑発的な言葉とは裏腹に、薪の瞳は溶け合う身体ごと全部を繋ぎ止めてほしい欲望に溺れている。
 その眼差しに囚われた青木の理性は、もう跡形もなく消え去っていた。
​ 
 二人の心音が重なり、シーツの擦れる音と、重い吐息が深夜の寝室を満たしていく。
 鏡の部屋で浴びた悪意の残滓は、青木が新たに刻み込む強烈な熱によって、丁寧に剥がされ、上書きされていった。

​ 窓の外が、微かに白み始める。

 互いの汗と体温が溶け合い、疲れ果てた二人が眠りに落ちるまで、その“上書き”は幾度となく繰り返された。
9/10ページ
スキ