SACRIFICE〜鏡の中の生贄
「ねえ、つよしくん。信じられないことが起きたのよ、聞いてくれる?」
科警研。第一研究室のある二階廊下で、薪を呼び止めた黒田雪子の顔は、浮き足立った高揚に包まれていた。
「……死体からのメッセージを聞くのに忙しいあなたに、生きている男と世間話をする暇があるようには見えませんが」
薪は手元に抱えた資料に目を落としたまま、歩みを止めずに冷ややかに応じる。
「冷たいわね。さっき私、ナンパされたのよ。それもあの、往年の大スター、三神響吾に!」
その名前を聞いた瞬間、薪の足がピタリと止まった。
三神響吾。一昔前、ドラマや映画などで活躍し話題を攫っていた端正な顔立ちの元俳優の名前。そして――
「今日私午前休みだったのよ、色々用があってさ。久々に渋谷で一人ランチしてたら声掛けられて……今度、彼が贔屓にしている隠れ家バーに招待したいって。あんな素敵な人に誘われるなんて、私、まだ捨てたもんじゃないわよね」
薪はゆっくりと振り返った。その瞳には感情の動きがまるで無く、冬の湖面のような静謐さが宿っている。
「……雪子さん。あなたは一児の母であり、人妻で毎日忙しい。だから一瞬現実を忘れて夢を見ることで、息抜きしたい気持ちははわかります」
「そ、そうよ……真に受けてるわけじゃないの。 ただ、あんな綺麗な人に褒められたのが嬉しくて……」
「……綺麗、か」
薪の低く沈んだ声が、廊下の空気を凍らせる。
彼は一歩、雪子との距離を詰めると、その瞳を見上げて問いかけた。
「ここ半年で三件……あなたも検視に関わったはずの『渋谷街角ドール事件』。今もマスコミが騒ぐ未解決事件だ。あのドールにされた被害者女性たちが、どこに“展示”されていたか、覚えていますか?」
薪の問いに、雪子の血の気が引く。――そうだ。彼女たちは、今日自分が歩いたあの賑やかな渋谷の、すぐ傍らで、変わり果てた姿となっていた。
死後もなお、人形のように完璧な微笑を浮かべて硬直したまま解剖室に運ばれてきた姿が、脳裏に甦ったのだ。
「では、彼女たちの顔立ちを覚えていますか?」
「ええ……みんな、整った顔立ちの女性だったわね。それがどうかしたの?」
「共通点はそれだけじゃない」
薪の声は、警告を通り越し、断言に近い響きを伴い雪子に差し向けられる。
「三人とも……今のあなたに似ている。髪の形も、背格好も」
「え……」
「“四体目のドール”になりたくなければ、浮かれた熱を冷まして、その男のことは今すぐ忘れることだ」
冷水を浴びせるような言葉を吐き捨て、薪は再び歩き出す。その後ろ姿に、我に返った雪子が叫んだ。
「ちょっと……何よ、失礼ね! 日頃死体ばかり相手にしているからって、本人まで死体呼ばわりしなくてもいいじゃない」
雪子の憤慨を背中で受け止めながら、薪は誰にも見えない位置まで来ると、苦い溜息をついた。
そして捜査室には目もくれず、所長室に足を踏み込み、後ろ手にドアを閉める。
そして、滅多に使わないロッカーの扉を開いて、鏡の中の自分を見つめた。
三神響吾は“ドール事件”のホシに挙がっている人物だ。
その男が、雪子に狙いを定めて言い寄ってきた。
事情を話せば、正義感も腕っぷしも強い彼女が囮捜査に名乗りを上げるのは間違いない。だが彼女には守るべき家族があるから、巻き込む訳にはいかない。
「彼女は第一研究室の『女・薪』と呼ばれるくらいだから……僕本人でも、まず問題ないな」
薪は鏡の中に映る自分に呟く。
雪子を狙った三神であれば、きっと食いついてくるであろう“凛とした顔立ち”が、鏡の向こうでこちらを見返している。
どのみち黒田雪子には真実を話さなければならない。メイクとドレスアップを、より“本人に近づける”ためには、彼女の力が必要だからだ。
応援を極秘に頼んで、すぐにでも動こう。
四体目のドール候補として狙われているのが雪子だけとは限らないのだから……急がなければ。
科警研。第一研究室のある二階廊下で、薪を呼び止めた黒田雪子の顔は、浮き足立った高揚に包まれていた。
「……死体からのメッセージを聞くのに忙しいあなたに、生きている男と世間話をする暇があるようには見えませんが」
薪は手元に抱えた資料に目を落としたまま、歩みを止めずに冷ややかに応じる。
「冷たいわね。さっき私、ナンパされたのよ。それもあの、往年の大スター、三神響吾に!」
その名前を聞いた瞬間、薪の足がピタリと止まった。
三神響吾。一昔前、ドラマや映画などで活躍し話題を攫っていた端正な顔立ちの元俳優の名前。そして――
「今日私午前休みだったのよ、色々用があってさ。久々に渋谷で一人ランチしてたら声掛けられて……今度、彼が贔屓にしている隠れ家バーに招待したいって。あんな素敵な人に誘われるなんて、私、まだ捨てたもんじゃないわよね」
薪はゆっくりと振り返った。その瞳には感情の動きがまるで無く、冬の湖面のような静謐さが宿っている。
「……雪子さん。あなたは一児の母であり、人妻で毎日忙しい。だから一瞬現実を忘れて夢を見ることで、息抜きしたい気持ちははわかります」
「そ、そうよ……真に受けてるわけじゃないの。 ただ、あんな綺麗な人に褒められたのが嬉しくて……」
「……綺麗、か」
薪の低く沈んだ声が、廊下の空気を凍らせる。
彼は一歩、雪子との距離を詰めると、その瞳を見上げて問いかけた。
「ここ半年で三件……あなたも検視に関わったはずの『渋谷街角ドール事件』。今もマスコミが騒ぐ未解決事件だ。あのドールにされた被害者女性たちが、どこに“展示”されていたか、覚えていますか?」
薪の問いに、雪子の血の気が引く。――そうだ。彼女たちは、今日自分が歩いたあの賑やかな渋谷の、すぐ傍らで、変わり果てた姿となっていた。
死後もなお、人形のように完璧な微笑を浮かべて硬直したまま解剖室に運ばれてきた姿が、脳裏に甦ったのだ。
「では、彼女たちの顔立ちを覚えていますか?」
「ええ……みんな、整った顔立ちの女性だったわね。それがどうかしたの?」
「共通点はそれだけじゃない」
薪の声は、警告を通り越し、断言に近い響きを伴い雪子に差し向けられる。
「三人とも……今のあなたに似ている。髪の形も、背格好も」
「え……」
「“四体目のドール”になりたくなければ、浮かれた熱を冷まして、その男のことは今すぐ忘れることだ」
冷水を浴びせるような言葉を吐き捨て、薪は再び歩き出す。その後ろ姿に、我に返った雪子が叫んだ。
「ちょっと……何よ、失礼ね! 日頃死体ばかり相手にしているからって、本人まで死体呼ばわりしなくてもいいじゃない」
雪子の憤慨を背中で受け止めながら、薪は誰にも見えない位置まで来ると、苦い溜息をついた。
そして捜査室には目もくれず、所長室に足を踏み込み、後ろ手にドアを閉める。
そして、滅多に使わないロッカーの扉を開いて、鏡の中の自分を見つめた。
三神響吾は“ドール事件”のホシに挙がっている人物だ。
その男が、雪子に狙いを定めて言い寄ってきた。
事情を話せば、正義感も腕っぷしも強い彼女が囮捜査に名乗りを上げるのは間違いない。だが彼女には守るべき家族があるから、巻き込む訳にはいかない。
「彼女は第一研究室の『女・薪』と呼ばれるくらいだから……僕本人でも、まず問題ないな」
薪は鏡の中に映る自分に呟く。
雪子を狙った三神であれば、きっと食いついてくるであろう“凛とした顔立ち”が、鏡の向こうでこちらを見返している。
どのみち黒田雪子には真実を話さなければならない。メイクとドレスアップを、より“本人に近づける”ためには、彼女の力が必要だからだ。
応援を極秘に頼んで、すぐにでも動こう。
四体目のドール候補として狙われているのが雪子だけとは限らないのだから……急がなければ。
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