Remo♡Con♡Love

 深夜一時の第八管区室長室。

​ 青木は誰もいないフロアで一人、姿勢を正してPC画面に向かい、報告を続けている。
 真っすぐに見つめているのは、共有資料が表示された自画面と、その一角にある通信相手の枠……そこには真っ暗な背景に、白い文字で『薪 剛』とだけ表示されている画面だ。

​「……という捜査一課の最新情報を踏まえるとやはり……って、薪さん、聞こえてますか?」

​ 画面の中の青木が少し首を傾げて問いかける。その拍子に、整えられたオールバックの前髪が一束さらりと額に落ちるのが、薪が見つめるディスプレイにスローモーションのように映し出された。

​「……ああ、聞いている。続けてくれ」
​ 薪の声は、いつもより低めだ。
 所長室の大きなソファに膝を抱えるようにして座り、食い入るように画面を凝視している。カメラをオフにしているのは、通信環境のせいなどではない。今の自分の、うっとりと熱を帯びた顔を青木に見せるわけにはいかないからだ。

​「あと、鑑識からの続報ですが……」
​ 画面の中の青木が、手元の資料に目を落とす。睫毛の影が頬に落ち、時折、喉仏が小さく上下する。
 薪はその一つ一つの動きを、乾いた砂が水を吸い込むように、貪欲に眺めていた。
 
 報告の合間、青木が困惑気味に一息つく。
 根は優しいが仕事には峻烈な「室長」で通っているこの男が、昼間の第八管区では決して見せない、防備を解いた顔を見せている。それは自分だけが独占している、青木一行という人間の、もっとも柔らかい部分だ。

​「あの……薪さん?」
​ 不意に、青木の顔が画面に近づいた。
 まるで、黒く塗りつぶされた枠の中に潜む薪の視線に気づいたかのように、レンズの向こう側を覗き込んで。

​「どうかしましたか? ずっと黙ってらっしゃるから、回線が切れたのかと……」

​「……切れていない。少し、考えていただけだ。それよりお前、夕食は済ませたのか」

​「え? あ、いえ……キリがついたら適当に済ませようかと」

​「昼間に買った麻婆茄子弁当。それを今、ここで食べろ。お前が空腹で倒れれば、明日の捜査に支障が出る」

​(えっ、なんでそんなことまで“ご存知”なんだ?)

 目を丸くして驚く青木を眺める薪の口元が緩む。
 だが声だけは変わらず厳しい上司を演じ続けていた。

​「僕が報告書に目を通している間に、完食しろ」

​「いや、でも、打ち合わせ中に失礼じゃ……」

​「これは命令だ。早くしろ」

​「……はい、すみません」

​ 青木は恐縮しながら、冷めきった弁当の蓋を開けた。

​ 沈黙の中、薪がページを繰るマウスの音と、キーボードを叩く音だけが時折響く。が、それらはすべてダミーだ。

 大きな口を開けて麻婆茄子を頬張る青木の、逞しく動く喉仏。箸を操る長い指。冷えたソースに塗れた唇。薪は息を潜め、暗い快楽にも似た興奮とともにそれを見守り続けた。

 指先が無意識にディスプレイの表面をなぞる。無機質なプラスチックフィルムに触れているだけなのに、網膜に焼き付く青木の肌は、今にも熱を持って触れ合えそうなほど生々しく感じられるのが、自分でも怖いくらいだ。

「薪さん」

 青木に呼ばれて、ハッと我に返る。

​「……すみません、もしよければ、一瞬だけでもカメラをオンにしてもらえませんか? お顔が見えないと、ずっと独り言を言ってるみたいで寂しいんです」

​ 弁当を咀嚼しながら、困ったように眉を下げてねだる顔。その破壊的なまでの愛らしさに、薪の心臓が大きく跳ねた。
 今の自分は、きっとひどい顔をしている。独占欲と、執着と、愛しさが混ざり合い、冷静な『所長』の仮面など木っ端微塵に砕け散っていて――

​「……断る」

​「えっ」

​「……寝癖がひどいから」

​ 咄嗟についた嘘に、画面越しの恋人が吹き出した。

​「はは、薪さんまたソファで寝てたんですか? 寝癖、むしろ見たいですけど……。嫌なら、せめて声だけでも」

​ 甘え上手な青木の口調。薪は唇を噛み、大きな瞳を潤ませた。
 最後の一口を飲み込み、青木がソースの跡を指先で拭うのを見届けると薪はきっぱりと言い捨てた。

​「もういい、満足だ。今日の会議はここまでにしよう」

​「へっ? 報告書は……?」

​「十分堪能・・した」

​「はい??」

​ これ以上味わえば、虚像では物足りなくなる。
 理性がかろうじて残っているうちに終わらなければ、深夜便のチケットを手配しかねない。

​ 一方的に回線を切断し、呆気にとられているであろう青木の顔を想像しながら、薪はコテンとソファに寝転んだ。

 ディスプレイに触れた指先の冷たさと、網膜に残る青木の表情、咀嚼する喉仏の動き。
​ それらを抱きしめるようにして瞳を閉じ、薪は暗闇の中で、密かに唇を寄せた。

​「……おやすみ、一行」

​ 情事の最中にしか口にしない呼びかたで零した声だけが、静まり返った所長室に甘く溶けて消えた。
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