よる博多→まよなか東京

 深夜の福岡空港。保安検査場を抜けた先にあるコンビニで、青木一行は人生最大の窮地に立たされていた。

「お前はその一張羅で泊まる気なのか? 必要なもの・・・・・は、予め用意しておけよ」

 無防備に投げかけられた薪の言葉に従って立ち寄ってはみたものの、青木の脳内は激しい葛藤の嵐が渦巻いているのだ。

​(下着と靴下は必要だ。……だが、本題、いや問題はそこじゃない……!)

​ 薪には「用意しておけ」と言われただけだ。
 泊まる場所がない部下を、上司が自宅に一晩収容する。至極真っ当で、理性的な配慮なのだが、果たしてそれ以上の意図がこの「用意」に含まれるのか……それが問題なのだ。

(薪さんと、一つ屋根の下で二人きり。……下心なんて無いと言えば嘘になるが、あの人の中で気持ちはそこまで熟しているんだろうか? ああでももう、備えあれば憂いなしだ! この際、全部入手する!!)

​ 青木は震える手で避妊具の箱と、その隣に並んでいた潤滑ゼリーを掴み取ると、吸い寄せられるようにセルフレジへと駆け込んだ。

 会計を終えたレジ袋の中で「それら」がカサリと音を立てるたび、心臓が爆発への秒読みを刻む。
 その“危険物”を薪の目を忍ぶようにリュックの底へ沈め、青木はようやく一件落着の体で息を吐いた。

​ しかし、機内から羽田、そしてタクシーでの移動中。リュックの中の“ブツ”を意識しすぎるあまり、青木は一言も発することができなくなっていた。
 隣に座る薪は、至って平静だ。
 博多で揺れ動いた激情が嘘のように、涼やかな横顔で夜景を見つめている。
 そのあまりの神聖な美しさに、青木は自らのリュックの中身への罪悪感を募らせていくばかりだった。


​「……着いたぞ」

​ エレベーターで高層階へ向かう沈黙が、青木の喉をカラカラに乾かす。
 憧れの人の聖域に、如何わしいものを隠し持って踏み込もうとしている自分をもはや罰したい気分だった。

「おい、入らないのか。いつまでそこに立っているんだ。お前は目立つんだから、早く閉めろ」

「ハイっっ! ……あ、靴、ここでいいですか? 揃えます! いや、勝手に触るのもアレか……」

「ふふ、何をしてるんだ。そんなのはいいから、奥へ」

​ 薪の小さな笑い声に誘われるようにして、青木はふらふらとリビングへ足を踏み入れた。
 眼前に広がるのは想像通りの、ハイセンスでいて無機質なまでにシンプルな、いかにも薪らしい部屋だ。

​「……そこに座ってろ」

​ 促されるままソファに腰を下ろしたが、やけに背筋を伸ばし、膝の上に拳を置くその姿は、恋人の部屋に招かれた男というよりは、鬼上司の前で萎縮する部下そのものだ。

​「飲み直さないか? 博多のワインは美味しかったが、お前が僕の分まで飲んでしまったからな」

​ 薪が機嫌よさそうにサイドボードへ手を伸ばすが、青木は食い気味に首を振った。

​「い、いえ! 結構です。自分は……まだ、この先がありますので!」

​「……この先?」

​「あ、いや! つまり、その、満を持して臨みたいので……って、あ、いや!やっぱ 違います! なんでもありません!!」

​ わけの分からないことを呟いた上に、顔を真っ赤にして黙り込む青木を、薪は不審げに見つめる。

​「……荷物とジャケットをこっちへ」

​「ああっ! それは結構ですって!!」

​ リュックに手を伸ばした薪を、ジャケットを脱ぎながら青木が絶叫で制した。

​「……なら、先に風呂にでも入ってくるか。僕の着替えじゃサイズが合わないだろうが、肌着くらいは用意してきたんだろうな」

​「はい、用意……してます」

​ リュックの奥から慎重に下着を取り出した青木を、薪はそのまま浴室へ案内した。
 一人リビングへと戻り、ぽつんと残された黒いリュックを見つめて、薪は首を傾げる。
 
 博多の屋台で見せたあの不敵な余裕はどこへ消えたのか。そして、今のあからさまな挙動不審。捜査員としての鋭い直感が、薪の手を動かした。

​(原因は、おそらくこの中にある)

​ ジッパーを開け、着替えなどの荷物を退ける。その一番奥、レジ袋に包まれて潜んでいた“何か”に、薪は手を伸ばした。

​「…………なっ」

​ 取り出した瞬間、薪は呼吸を忘れた。
 手のひらの上に現れた小箱と、見慣れないチューブ。
 
 真っ白な指先から、一気に熱が逆流する。薪は綺麗な顔を気の毒なほど真っ赤に染めて、ただ呆然とそれを凝視し続けていた。
 
 博多で告白され、熱いキスを交わしても、心はどこか半信半疑だったのだ。
 わからなかった。青木が、あの若く眩しい男が、自分をただ上司として敬愛するだけでなく、剥き出しの「性」の対象として求めているのかどうかが。
 
 けれど今、この手にある重みが、その答えを雄弁に物語っていた。
 “この先”とか“満を持して臨む”とか……先ほどまでの不可解な言葉の意味が、すべて繋がっていく。
​ 身体の芯から込み上げてくる震えと熱は、恐怖でも嫌悪でもない。青木にこれほどまで深く求められているのだという事実に対する、痛いほどの“歓喜”だった。
 
 浴室から聞こえる、途切れないシャワーの音。
 薪は激しく脈打つ鼓動を必死に抑えながら、その愛おしい「答え」を、ぎゅっとリュックの奥底へ押し戻した。
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