よる博多→まよなか東京

 昼休みの第八管区・室長室。
 デスクでは青木が穴が開くほどPC画面を凝視していた。
 画面に並ぶのは、色鮮やかなテリーヌ、シャンパングラス、そして夜の街に溶け込むお洒落な暖簾の写真。

​「……ここか。いや、こっちの方がいい雰囲気かな。でも薪さんは人混みが嫌いだし……」

「……室長。さっきから唸り声が廊下まで漏れてますよ」
​ ノックもそこそこに顔を出したのは、部下の白石だ。彼女は室長宛の郵便物をデスクに置くと、隠す間もなく開かれていた“博多お洒落屋台ガイド”を苦笑交じりに覗き込む。

​「また屋台探しですか……ってことは、まだお誘いできてないんですか? 今月、薪所長が福岡にいらっしゃるの、もう三回目ですよね」

「いや、薪さんはお忙しい方だから。でも忙しい中、三回も!こんなに頻繁に来てくださるのは、何かの予兆に違いないんだ……!」

「はあ、なんの予兆ですか」

「俺の気持ちが、とうとう通じ始めたっていう……予兆だよ!」
​ 青木は拳を握りしめ、鼻息を荒くする。白石はやれやれと肩をすくめ、デスクの端にある丸椅子に腰掛けた。

​「それで、その『予兆』を確信に変えるために、屋台デート、ですか。……よりによって屋台?」

「ただの屋台じゃない。ここは中洲じゃなく天神の落ち着いたエリアにある、フレンチのシェフがやってる店なんだ。ワインの品揃えもいいし、何より雰囲気が最高なんだよ。エスコートされる側から見て、白石はどう思う?」

「いやーエスコートって、屋台ですし……まあ、所長は美食家っぽいですからね。下手な高級料亭とかよりは、お洒落な屋台っていう意外性の方が刺さるかもしれませんね」

「だろ? それに薪さんは勘が鋭いから、形式張った所にお誘いして警戒されても困るし……ラフに誘って一気に決める! これが最善策なんだよ!!」

​ 青木の頭には、もはや“成功”の二文字しか浮かんでいないように見える。
 白石は、そのあまりに真っ直ぐな——悪く言えば能天気な——上司の背中を見つめ、小さくため息をついた。

​「まあ、頑張ってくださいよ。私の同期の一甲いっこうくんも結婚するらしいし……同じ『イッコー』繋がりに、室長もあやかればいいんじゃないですか?」

「一甲? ああ、県警の。……まあ、あいつはあいつだ。俺は俺の、人生最大の山場に挑んでくる!」

​ 青木は立ち上がり、ビシッとスーツの裾を正した。

 この時、彼はまだ知らなかった。

 この一甲秀幸巡査との「イッコー繋がり」が、愛する人を失意のどん底に突き落とすとんでもない火種となることを。


​ 数時間後。第八管区・室長室。
 青木は捜査席で釘付けになっていたMRI画面から目を離してガッツポーズで立ち上がる。

​「よし。これで証拠データは揃った。あとは科捜研で物的な裏付けを取って、一気に詰めれば……」

「室長らしい仕事をしてるじゃないか」

​ 不意に、至近距離から鈴の鳴るような声が響いた。
 
「だから、俺は室長ですから……って、ヒィィィィ!」

​ 青木は椅子ごとひっくり返らんばかりの勢いで飛び退いた。
 捜査席の片隅。まるで最初からそこにいたかのように、腰掛けていたのは薪剛……科警研所長。
 その姿は、あまりに現実離れして美しく、一瞬、デスクに舞い降りた妖精に見えてしまう。

​「なんだ、その反応は。失礼なやつだな」

「い、いや、き、昨日の今日だったので! ……いえ、それはこっちの話ですけど(告白を決意した翌日に会えるなんて運命すぎる……!)」

 溢れ出す想いを今にも叫び出したい胸の内を必死に抑え、青木は薪に詰め寄った。

​「あの、薪さん! 今日、この後のご予定は?……いや、いらっしゃったご用事は……」

「お前には特にない。県警本部長と話があっただけだ。すぐに羽田へ戻る便を……」

「ダメです! 今夜こそ博多の有名な屋台にお連れします。予約ももう取ってありますから!」

「……屋台? 予約だと?」

​ 薪が怪訝そうに眉を寄せる。
 今日来ることを伝えてないのに、予約など取れるはずがない。いやそもそも屋台って予約するものなのか?なぜそんなハッタリを……

「大事な話がありますので」

「大事な話? ……報告なら、明日の定例会議で聞くぞ」

「いえ、そういうのじゃなく。今夜あなたと二人で話したいんです。東京へ帰る最終便も押さえましたので。ホラ、これでちゃんと今日中に帰れますよ!」

 スマホの予約完了画面を見せられた薪は、勢いに押されて、小さなため息とともに頷く。

「……チケットを取ったというなら、断るのも手間だな。わかった。二時間だけだぞ」

​「ハイっ……ありがとうございます!」

​ 青木は薪が頷くやいなや再びスマホを操作し、コンシェルジュサービスへ猛烈な勢いでメッセージを打ち込んでいる。
  例のフレンチ屋台は、値が張る特別メニューを注文すれば席を確保できる、という裏技を入手済みなのだ。
​ 
​「よしっ!準備は整いました。俺ちょっと科捜研に行ってきます。戻りますので、その後一緒に出かけましょう。いいですね、薪さん、逃げちゃダメですからね!」

​ 嵐のように言い残し、青木は室長室を飛び出していった。
 一人残された薪は、デスクの隅から青木の席に移り背もたれに身体をもたせ掛けながら、遠ざかる青木の足音を聴いていた。

​「……逃げるわけないだろ。バカ」

​ 誰もいなくなった室内で、薪は青木の温もりが残る椅子の背もたれに身を預け、小さく独りごちた。
 だが、安らいだのも束の間。
 開きっ放しのドアの向こう、廊下を歩く捜査員たちの話し声が耳に入ってくる。

​「聞いたか? イッコーさん、とうとう決めたらしいぞ」

​ ピクリ、と薪の肩が跳ねる。
 イッコウ……青木一行が、何を決めただと?
​ 薪は無意識のうちに椅子を立ち、吸い寄せられるようにドアの影へと移動する。

 本来なら、部下たちの噂話など一蹴していただろう。が、今の言葉は看過できない。
 薪はプライドも忘れ、室長室のドアの隙間に身を潜めるようにして、遠ざかっていく会話に耳をそばだてた。
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