Safety〜連行

 タジク・シャマールが手を染めた一連の悪事を、薪自らが暴いて決着をつけたのは、青木の退院から一週間が過ぎた頃だった。
 カザフの秘境まで執念で追い詰めたその原動力は、法への忠誠よりも、私情に塗れた「怒り」そのものだということは、薪自身が一番自覚している。

​「……これで、気が済みましたか」

​ 背後から投げかけられた岡部の声に、薪は動けない。“私情”を見透かされているようないたたまれなさに、振り向くことができない。

​「あの、青木のことですが。少しいいですか」

​「……ああ」

​ あの日、昏睡する青木の枕元に置き去りにしてきた、あの手紙のことを思い出した薪の胸がしくりと痛む。
 ――家族になりたい。
 綴られた言葉の重みに、心臓が止まるほどの愛おしさを覚えたからこそ、それを突き返した。
 あの無垢な強さをもつ綺麗な男を、自分という地獄に引きずり込むわけにはいかないから。
 遮断こそが彼を守る唯一の盾だと思い込もうとしていた。

​「これ……あなたのでしょう?青木の病室に落ちていましたよ。読んでないとか言ってたのコレですか?しっかり開封してあるじゃないですか」

​ 差し出された見覚えのある封筒にギクリとし、一気に血の気が引く。

​「っ……読んだうえで、返したんだ。それが僕の答えだ」

 声の震えを抑えるのに必死になっている薪に、岡部が心配げに踏み込んでくる。

​「突き放して、自分の足で立てと言いたかったんですか……でもそれ、やり過ぎですよ? 退院の日、アイツちょっと変でしたから。変に吹っ切れた様子で、貴方が見送りに来ないと聞いても即座に『もう、いいんです』って笑ってて……」

​ 吹っ切れた? 青木が?僕が来ないと知って、笑っていた……だと?
 薪は震える手を、舞い戻ってきた手紙の上にそっと置く。

​「なんだかすべてを諦めて無理やり蓋をしたような……そんな感じに見えました。最年少で室長になったアイツは福岡で一人戦いながら、頼れる上司もいない。勇気を振り絞って貴方に泣きついた手紙だったんでしょうに。何で突っ返したりしたんです?」

​ 岡部は何も知らない。
 手紙の内容が「新米室長の弱音」などではなく、人生のすべてを差し出した「求愛」だなんて、夢にも思ってないだろう。
 それを自分は、あろうことか『見なかったこと』にして叩き返したのだから、非道さは岡部の想像以上だと思う。

​「なんだか波多野が第八管区から仕入れた情報によると……青木はケガからの復帰後不眠不休で働いているとかで……」
「……」
 復帰早々週休日を返上したのは、上司の薪だって知っている。気に病んでいる事実を次々突きつけられて、薪の思考はグラグラ揺れていた。

「自暴自棄になってなきゃいいんですが。一度見に行ってやった方がいいんじゃないですか?」

​ そう言い残して岡部が部屋を去ったことにも気づかず、石像のように固まったままだった。
 岡部の話で想像が膨らんだ青木の苦悩に満ちた声が、繰り返し再生されて離れない。

 ――もう、いいんです。

 まさか絶望の果てに、あいつは自分を、そして行き場のない想いを、殺してしまったのではないか。

​(違う。僕は、お前を拒絶したかった訳じゃない……!)

​ デスク上の手紙をまた、スーツの内ポケットの定位置に戻す。受け取って以降、眠る青木のベッドに突き返すまで、ずっとそこに秘めていた場所だ。

​「岡部。明日から少し空ける。留守を頼むぞ」

​ 迷いも、躊躇いも、一旦は捨て置こう。
 もし自分のせいで青木が壊れようとしているのなら、その魂を引きずり戻し、自分の腕の中に閉じ込めてでも生き返らせなければいけない。
 いつか青木が自分にしてくれたように。

 身を焼くような罪悪感が、深淵に押し込めてきた青木への昏い執着を一気に決壊させた。
​ 
 薪はコートを掴むと、夜の冷気に身を投じるように、部屋を飛び出した。
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