俺とあなたの5.5日間

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「ただいま戻りました!」

 その声を耳にした瞬間、僕の視線は室長席のモニターから離れ、捜査室を見渡している大男の挙動に引きつけられる。

「あれ?皆さんは……」

「仕事を片付けて宇野以外全員帰った」

「え?片付けた……って……」

 捜査席に向かい慣れた手際で装置を起動させる青木。音もなく近づいた僕は作業を遮るようにその手を掴んだ。

「正確に言えば、片付いたのは有田少年以外の案件だ。しかしそれだって与えた猶予まで二日ある。異動初日から置き去りで酷使されていた哀れな新米捜査員には、早々にお帰り頂いたからな」

「……すみません」

 僕に詰め寄られながらも青木は自由がきく方の手で山本の残した小難しいメモのチェックを始める。
 全くコイツの根っからの分け隔てない姿勢には恐れ入る。
 第九内で情報漏洩疑惑の視線が向けられるほど浮いている年長の新入りとだって、もう信頼関係を築きつつあるのだから。
 
「で?雪子さんとは何を話したんだ」
 
 僕は掴んだ手を離す代わりに回り込んだデスクに浅く腰掛け、モニターを向いた青木の視界の端から訊ねる。
 探りを入れただけの問いが的中したらしく、操作盤を動かす大きな手がぴたりと止まった。

「別れ話です……彼女との婚約を解消しました」

 そんなこと……本当は一目見た時から察しがついている。
 眼鏡の奥の目は赤いし、声も僅かにくぐもっているのが僕には嫌でもわかってしまうのだ。

「……驚かないんですね」

「まあ、お前が大バカなのはよく知ってるからな。今は何を言っても無駄だというのも……」 

「“今”とか関係ありません」

 動揺が隠せない僕を、青木が席から真剣に見上げてくる。

「俺の気持ちは変わりませんよ、ずっと」

 “あなたが好きです”
 昨夜青木が口にした言葉が脳裏を掠め、頰を熱くした僕は目眩しついでに横を向く。

「もうわかったから、お前も早く帰れ。一晩寝て冷静になって……」

「ヨリを戻せってことですか?」

「……そういうことだ」 

「それは無理です」

 僕は苛つき舌打ちをする。噛み合わない会話……噛み合えば歯車が動いてしまうから、そうさせないように必死でずらす会話が苦しい。

「……サーバー室を見てくる。お前はもう帰れ」

 これ以上やりとりを続けておかしなことになるのが怖くて、僕は逃げるように席を離れる。

「次戻った時まだ残ってたら、建設中の地方管区にお前だけ先に飛ばしてやるからな!」

 エエッ……と怯んだ空気を背中に感じつつ捜査室を後にした僕は、サーバー室に閉じこもって侵入者の追跡に四苦八苦していた宇野も早々に帰宅させた。
 漏洩自体は直接の目的じゃなく僕への脅迫行為の線が濃厚だから、ここでジタバタするより根っこを押さえにいくべきだ。
 しかしそれより先に“大荷物”を片付けなければ、僕自身が進めない――


 わざと少し時間を置いて戻った捜査室のドアの前には、雪子さんが腕組みして立っていた。これも想定内だ。

「珍しいわね。不夜城の戦士たちが皆で連日早上がり?」

「ええ、それほど珍しいことでもありませんが」

「でも青木くんは戻って仕事するって言ってたのに……あなたが帰したんでしょ?」

「青木、が……」

 僕は顔色を変え、反射的に雪子さんに深々と頭を下げた。

「ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

「止してよ、あなたが謝ることじゃないでしょ。長い間泣かれたのには正直困ったけど」

「……長い間……とは? どのくらいですか?」

 僕は顔を上げて訊く。

「あー3分……ううん5分くらいは泣いてたわね」

 いや全然短いだろ、と昨日2時間泣かれた僕は心の中で吐き捨てる。

「……え?何か言った?」

「いえ、なんでもありません」

 昨夜の青木の綺麗な涙を思い出しぼんやりしている僕に、雪子さんは明るく誘いかけた。
「ねえ、軽く一杯飲みに行かない?」と。


 引っ張っていかれたのは立ち呑みスタンド。

 “雪子の店選びって、色気なさすぎてもうオヤジ顔負けなんだぜ”
 ガヤガヤと活気のある雰囲気の中、いつかの鈴木の惚気ともつかないボヤキが実感に変わりつつある。

「つよし君に完敗のあたしに乾杯〜!!」

 オヤジギャグまで混じえつつ、僕のショットグラスと、雪子さんの中ジョッキがテーブル上で衝突した。

「……雪子さん……ペースが早すぎますよ」

「うるさいわね。克洋くんが死んでから、あなた私にずっと優しすぎなのよ、まるで腫れ物扱いじゃないの」

 押されっ放しでなすすべない僕に、雪子さんの絡みが容赦ない。

「だからね、青木くんが関わった途端にヒステリックで大人げなく私に当たり散らすあなたを見て、ゾクゾクするほど嬉しくなったのよね」

「はあ?誰がそんなこと……」

「自分が一番気になる男の感情を揺さぶりたくて、別の男のプロポーズを受けるって……私ってヒドイ女かしら」

 酒が入った彼女はいつもより饒舌だった。

「でも青木くんだって同じなのよ?私が誰を見ているのか知っててプロポーズしたんだから。つまりハナからおかしかったのよ、私たち二人ともあなたを……」

 ダン、と音を立ててショットグラスの厚い底をテーブルに打ちつけた僕は、雪子さんを睨んだ。

「僕の部下は、愛してもない女性に結婚を申し込むような、不誠実な男じゃありません」

「そうね、不誠実ではないわ。でもあなたをずっと想ってたのも確かで……」

「いいえ、血迷ってるだけですよ。昨日だって将来的な異動の話にあのバカ急に取り乱して……今、錯乱状態なんです。頭を冷やせばきっと間違いに気づいて……」

「あら、私だっていい加減な気持ちじゃないから、あのコが正気なことくらい分かるわ。頭を冷やさなきゃならないのは私たち全員でしょ? 本当の気持ちに正直になるのを……上長とはいえあなたに……阻止する権利はない……」

「雪子さん……?」

 自覚ないまま彼女の頰を、涙がはらはら落ちていく。
 雪子さんも青木も……他に囚われてるものがあったとしても、誠実な気持ちを向けあっていたには違いないのだ。

 彼女を宥めハンカチを渡して、別れたのは覚えてる。

 その後どうやって足を前に進めたのか、そう近くない距離だったのに、タクシーや電車に乗った記憶もなく、気づいたら僕は自宅マンションの前に佇んでいた。もう真夜中だった。

 エントランスの革張りのソファで頭を抱えて座っている大男が見えたのも、最初は夢だと思った。

「お前……っ」

「薪さん!良かった」

 夢じゃない。温もりや青木の匂い。駆け寄った僕をソファに座ったまま抱きしめる腕の中で、僕は放心したまま呟いた。

「お前、どうして、今何時だと……」

「あなたは悪くない、ってことわかっていただくために待ってたんです。だってこういうの全部しょい込んでしまいそうだから……」

 何を言われてるのかさっぱりわからない。
 でもふわふわと気持ちよくなってしまって、僕はただ目を閉じて愛しい声を全身で聞いている。

「やっぱ来て良かった……もうボロボロじゃないですか……ダメですよ、ご自分を大事にしなきゃ……できないなら俺がします」
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