夢現のよる

「あら、あなたが私のモニター係を?」

 特殊解剖室の小さな窓の向こうの薪に気づいた雪子が、スピーカー越しに嫌味な声を寄越す。

「連続勤務時間が長過ぎるから警告に来たんです。今すぐ休憩してください。あなたが誰の言う事もきかないから……」

 発病した感染者キャリアに激務を続行させる。
 各方面からの反発の矢面に立ち、徹底して自分を擁護し続ける薪の直々の指示には、さすがの雪子も従わざるを得ない。

 「はいはい、わかったわよ」

 雪子は肩を竦めてマスクを外し、食事を手にしてパイプ椅子に腰を下ろした。
 仕事前にあの背の高いお節介男から押し付けられた機能性ゼリー。休むったってここを出る気はなく、いつも通りランチは解剖室で死体とともに、だ。

「ふふ、そんな顔で見つめられるの、結構心地好いわね」

「そんな、とは?僕はいつもこんな顔ですが」

 無意識に切なく潤んでいた表情が、眉間にシワを寄せて怪訝そうに固まる。
 さっきのがいつも通りなら、周囲がほっとかないと思うけど、第九の皆さん我慢強いのね……と雪子は心の中で吐き出した。

「あー、まさか私があのボーヤにちょっかいかけてると思ってる?」

「……!!」

 あら、図星なのね、と雪子は目を丸くする。
 普段滅多に動かない薪の表情が激しく揺れて顔が真っ赤になったから。

「勘弁してよ、いくら私が40度の熱にも負けない超人女でも、さすがに未知のウイルス感染中に男漁ったりはしないから」

「っ、そんなことわかってます! それにあんな愚直なバカ、あなたが相手にするわけない」

 そう言い返しつつ握った薪の拳が小刻みに震えているのを見ながら……本当に珍しいと思う。
 この男が他人のことで、こんなカタチで惑わされるなんて。

「わかってるならいいわ。私もちゃんと休憩取るから、もうあなたも持ち場に戻って頂戴」

 窓ガラス越しに薪を追い返した雪子は、パイプ椅子の上で脱力してため息をついた。

 なんだかつよし君が、可愛くて、堪らない。

 宝物……ってか、居心地いい居場所を取られそうになった仔猫みたいに威嚇してくる様子が妙にツボで。業務に支障が出るレベルだから、追い払うしかなかったのだ。
 そう。
 自分が好きなのは薪剛そのもの。
 あの背の高い新人に興味があるように見えるとするならば、それは彼があの薪剛を揺さぶることのできる貴重なツールだからなのだろう。
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