夢現のよる

 いつまでも彼女のことが青木の頭に残っている。
 彼女の爪の色、あれは――

 帰り際どうしても気になって、地下解剖室に足が向く。
 そこで黒帯の技にかかり投げ飛ばされてまでして確かめたのは、三好雪子の爪の色。
 MRIで見た連続殺人事件の被害者と同じ色をしている、ということだ。

「やっぱり……」

「やっぱり、って何が?」

「先生は、今月22日の薬剤師女性が刺殺された電車に乗っていませんでしたか?」

「いいえ」

 構うなと言わんばかりに腕組みしてあからさまに顔を逸らす雪子。
 あの日の電車に乗り合わせた人たちと同じ爪の色をした彼女への青木の心配は、事件に巻き込まれることとは違うところにあった。

「はあ?……病気?」

「はい。一度詳細な検査をしていただけませんか?」

「ふーん」

 それを聞いた雪子の口元が不敵に歪んだ。

「おもしろい。40度の熱でも仕事をこなすこの私がどーんな病気にかかるっていうのかしらね、このボーヤは」

 挑発的に絡む有段者にまた技を掛けられそうになっている青木の携帯に、薪から現場捜査の命令が下る。
 同時に監察医の雪子にも、現場からの要請が。

「まさか、伝染性感染症……?」

 二人が駆けつけた大久保の現場で発見された遺体は、爪の色の変色後、殺人被害に遭わず発症に至った初のウィルス感染者だった。


 どうして?

 大久保の現場捜査の翌日から三好雪子が無断欠勤。そう聞くだけでなぜ青木と繋げてしまうのだろう。
 思考の歪みを自覚しつつも、薪は結局青木に訊ねるのだ。
「第一の三好雪子から連絡はあったか?」と。

「?は?」

「昨日の朝から無断欠勤で連絡が取れないらしい。お前、前日の夜彼女と一緒だったろ?何か変わったことは……」

「……ていうか薪さんこそ……大丈夫ですか?」

 両肩を包む大きな手が、青木と雪子の密着を疑う強迫観念をほどきかける。

「何だかお顔色が……」

「うるさい」

 心配げな温もりについうっとり身を委ねそうになった薪は、慌ててその手を振り払った。

「話を逸らすんじゃない! 雪子さんに何かあったのか、と聞いてるんだ」

「それ……憶測なんですが、実は……」

 次の瞬間、手がひとりでにケータイを操作し雪子にコールしていた。
 強迫観念なんかじゃない。
 青木は彼女を捉え誰より先に踏み込んでいる。この激しい動揺が三好雪子のウイルス感染疑いに対してだけじゃないことに気づく余裕さえ今の薪にはなかった。

「あら、珍しい。つよし君から私の携帯に直接電話が入るなんて、克洋君の死を知らせてきた時以来ね……もしもし?」

 背後から聞こえる雪子の声。
 そっちに目を向けた青木も当然聞いているだろう。

 これが薪には、あの山小屋で青木とはじまり今も続く……夢現の夜の「終わりを告げる」声に聞こえた。

 一年半前、雪子から鈴木を奪った自分への因果が巡り、今度は自分は青木を雪子に返す時が来たのだ。

 薪は目を閉じ、密かに腹を括った。
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