俺とあなたの5.5日間

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「すみません、寒くないですか」

「……ん、大丈夫……おまえがいるから……」

 いつもは強がって突き放しがちなこの人の、らしくない素直な口ぶりにドキリと胸を掴まれ愛しさに頬が緩む。

 戸惑いつつお互いを気にかけながらも一線をはみ出してしまった。少なくとも俺は、このデカすぎる感情を持て余して中途半端に踏みとどまっている。
 薪さんが背負い込もうとしたって、これはどう考えても俺自身の問題が大半だ。
 解決を急ぐべきだが、夜明けまでなすすべはない。 
 だったら、今は抱きしめている大切な人に全身全霊の想いを注いでいたい。
 
 腕の中の薪さんは、頭頂や額を撫でるキスに抗わないばかりか、たまにさりげなく唇で受け止めてくれるから、つい嬉しくなってしまう。
 “好き”という気持ちが溢れすぎて、本当は眠ることさえ勿体なかったけれど、薪さんを休ませたい一心で、俺は渾身の狸寝入りを貫いた。
 そうして腕の中から断続的に聴こえる小さな寝息に耳を傾けながら、心を温めて短い夜を明かしたのだった。

 
 数時間後。

 始発が動く時間を見計らい、名残惜しくベッドを抜け出し薄暗い部屋を後にする。
 薪さんから言い渡された通り「最初で最後」になったとしても、ここに居座る訳にはいかない現実が俺の眼前にある。


 午前は神奈川地裁に用があり、朝イチで川崎支部に立ち寄った。
 人は変わる。考えや、関係だって。
 あの一夜で俺は何が変わったのだろう?
 猶予期間のような半日の外勤の間に、ふと思う。

 俺の中の薪さんへの想いは変わらない。
 新しい名前が加わったのだ。尊敬や憧れに加えて“情愛”という呼び名が。
 そのせいで婚約の続行が不可能なら、それが大きな変化ということだろう。
 とはいえ表面的な日常は何も変わらなかった。
 普段通りに午前の仕事をこなし、昼過ぎ職場へと向かう。その途中にそれ・・は起こった。
 
 “お天道様が見ている”などと、昔の教えはよく言い表したものだ。
 重大な分岐点を前にいつも通りの日常を白々しく過ごす俺の後ろ暗さを見透かすかのような天変地異は、あまりにタイムリーな出来事だった。


 午後1時7分。
 緊急アラートが一斉に鳴り響く電車内。
 『急停車します。ご注意ください』
 アナウンスとともに、全乗客に一気に減速の圧が掛かる。

 神奈川県の広範囲に渡るマグニチュード7.2の地震、I市で震度6。複数の地域で怪我人や建物倒壊はあるが死者は現時点でゼロ、か。
 俺はアラートをチェックしながら、傾く周囲の人たちの身体を支えた。何が起きようと自分の中でビクともせず冷めやらないあの人への熱情をずっと抱えたままで――


「ただいま戻りました!すいません遅くなって」

「おー、お疲れ」

 揺れた?電車止まった?と心配してくれるのは、捜査席にいる今井さんだけだ。
 その傍らで何やら楽しげに立ち話していた小池さんと曽我さんは、俺を見つけるや否や「これ見てみろよ!」「どっちがいい?」と、二人して鼻息荒く詰め寄ってくる。

「え……今年入庁したキャリアの美人女子ベスト2!? って、仕事中に何遊んでんですか!?」

「いーから選べっ!今集計取ってんだよ!」

「……あー、えっと……」

 普段なら何だかんだで調子を合わせる俺の声の、いつになく低いままのトーン。

「ちょっと静かにしていただけますか」

 気づけば俺の前には重い沈黙の垣根ができている。
 それに隔たれ拍子抜けした小池さんと曽我さんの顔が並んでいた。
 振り返れば、今井さんまでぽかんと口を開けてこっちを見ている。

「……すみません。今はそういう気分になれないので」

 不服げな先輩二人の反応を目の当たりにしたって、俺の歩み寄りスイッチは入らない。

「何だよ、ノリ悪いぞ」

「いえホント勘弁してください。俺、今、たった一人のこと考えるだけで精一杯なんで」

 ヒュ〜、一途〜、と、背後から彼女持ちの今井さんから冷やかしの声が飛ぶ。

 そして隣の捜査席PCの電源を立ち上げる俺だけに聴こえる声で、今井さんはぽつりと呟いた。
 “お前さ……薪さんと離れたくなくて大泣きしたのと、恋愛感情は全く別モノなんだな”と。
  
 違う。
 “別モノ”じゃないから今こういう状況なんですよ!
 そんな想いを口にできない、道ならぬ想い。
 マグマのように湧き上がる感情が、行き場をなくして俺の中でグツグツ煮え立っている。

 駄目だ。
 とにかくまず第一研究室へ行くべきだ……と、思い立って捜査室の出入口に足を向けた瞬間、先にドアが開いた。

「……あ、ごめんなさい。ちょっと、ここは捜査関係者以外立ち入りできないので……」

 現れた見知らぬシニア男性・・・・・の姿をみとめた俺は、低姿勢に歩み寄る。

「いえ、私は……」
 
 その男性から返ってきた言葉に、部屋にいた捜査員が驚愕のあまり全員立ち上がった。

「本日付で“第九”に配属となりました、山本賢司と申します」

 そう。彼は今日から見た目年齢と大幅に隔たりのある36歳、新米捜査員だったのだ。


 震災の中、T市のある小学校に集中して発生した3名の死亡者。
 相互の関連性と事件性の捜査と検証の指令が下りたのが、15時前のこと。
 その1時間後には薪さんも岡部さんも第九に戻ってきていた。

 そんな中、俺は、出たばかりの司法解剖結果の検証立ち会いの場で、薪さんと再会した。
 第九の捜査員が集まる中、山本さんを連れて一番最後に到着した俺に突き刺さる超絶冷たい視線とともにだ。

「遅いぞ。新人二人が一番遅れてどうするんだ」

 あからさまにそっぽを向かれてボー然とする俺を横目に「お待たせしました。雪子さん、検死結果をお願いします」と、薪さんは周囲を見渡し呼びかけた。
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