俺とあなたの5.5日間

3- A - 1

 4メートル下の歩道で薪さんの叫び声がする。

「捨てるなバカ!お前そんな事したら本当に捜査妨害で今日家に帰れなく――」

 T市〇〇署△交番前の歩道橋の上。
 俺の手の1センチ先、いや5ミリ先をケータイがすり抜けて、車道へと落ちていく。
 それはスローモーションのように、路面に着地し、次の瞬間、走行中の車に轢かれてバキバキと音を立て破壊されていった。

 書き込みに釣られて、あの生島が動いた。
 生徒を使って例の携帯を取り戻しに来たのだ。
 その・・携帯が今まさに、我々の隙をついて持ち逃げした生徒……椎木少年の手で路上に投げ落とされ、木っ端微塵となったのだ。

 がっくりと力が抜け欄干に崩れた俺だが、ふと横を見て、舗装にへたり込み背中を丸めて嗚咽している少年の確保に自然と体が動く。

「さあ、立って……」

 背中を支えて一緒に歩道橋を降りたところで、しゃくりあげる少年を岡部さんに任せると、全身の力がまた抜けた俺は、ヨロヨロと薪さんに近づいた。

「薪さん……すいません……とれると思ったんですけど……」

「もういい、仕方ない。油断した僕がいけなかったんだ。“お前の新しい携帯”は経費で買ってやるから」

「え?」
 
 何で“俺の”?? 慌てて背広やコートの空のポケットを探る俺を横目に、薪さんはコスプレいや本物の警官制服の内ポケットから別の携帯を取り出す。

「悪かったな、偶然同型だったからちょっと借りた。壊れたのはお前の携帯だ」

「借りた、ってアナタ手癖……」

「お前だって今朝僕の電話に勝手に出たくせに」

 ハァア?? それは見事な倍返し、いやそれ以上の陰湿で悪質な……捜査という名の元で横行するイジメじゃないか。
 呆れる俺の横を、生島がすり抜けていく。

「こっちが本物の有田少年の携帯だ。ご両親の許可を取ったので今ここで……」

「やめて!見ないで!消して!!消して全部!!」

 煽る薪さんは完全にわざとだろう。懇願を無視して携帯を操作する薪さんに、逆上して掴みかかる生島。

「かえせ、おマエらっ…!」

「薪さ……」

 手を出した生島が跳ねのけられて舗道に倒れる。そのまま声を殺して泣き崩れる教師に、謝りながら歩み寄る椎木少年。
 俺は薪さんに駆け寄り眉を顰めて手を差し伸べる。

「大丈夫ですか!? お顔に傷が……交番で消毒しましょう」

「……」

 人目を憚らず薪さんの左頬を手で包み、顔を近づけて傷を覗き込む俺。
 薪さんも綺麗な瞳で俺を見上げてくる。
 後ろでは岡部さんが俺たち二人から目を逸らしながら、追いついてきた山本さんとともに生島と椎木少年を助け起こしてくれている。
 
「寂しければ……もう一度やり直せ、青木」

「え?」

 薪さんは、謎の一言を残して俺の手を振り払い、岡部さん達の方へとスタスタと歩いていく。
 その制服の後ろ姿を目で追いながら、華奢が際立つ綺麗な背中に見惚れた。
 線は細いが、弱くはない。むしろ靭やかな強さにいつも圧倒される。ただいつもと違うのは、この人のカラダの奥のおくまで俺が知ってしまったことで――

 生島を伴い戻った第九で、共に有田少年のMRI画を見た。
 携帯電話にも現場の写真はなく、凶器のナイフにも証拠は残ってない上に、MRIにも犯罪を断定するような証拠が残っていないことを、あえて見せたことになる。
 彼女がさっき有田の携帯を見るなと泣き喚いたことも、証拠にはならない。
 つまりこちらから手を下すことはできないと、本人に包み隠さず明らかにした訳だ。

「容疑者の取調べや尋問は我々第九の専門ではない。どうぞお引取り下さい、先生」

 そう言って薪さんは彼女を帰した。
 容疑者の取り調べや尋問は第九の専門ではないし、椎木少年が待合いの椅子で怯えながら待っている。
 小さな彼が慕う教師の代わりに抱えた罪悪感だけは放置しないでほしい、とだけ伝えて――

 県警に引き渡さず、上に頭を下げてまで彼女に猶予を与えた薪さんの采配に、俺は1ミリの異存もなく、寧ろ深い共感と沁み入るような優しさに胸を震わせた。

 その日の夕方。
 俺は携帯会社の窓口に駆け込んで、自腹で再発行したSIMを新しい端末に差し込み、クラウドからバックアップデータをダウンロードする。
 
 年末から続く目まぐるしい捜査に忙殺され、前にストレージにデータをバックアップしたのがもう半年前……昨年11月だったことに、そのとき初めて気がついた。
 つまり、雪子さんとのことが何事もなかったように、連絡先さえ消えたのだ。

“寂しければ……もう一度やり直せ、青木”

 薪さんの言葉の意味がようやく飲み込めた。
 あの人が俺のバックアップデータの最終更新日を把握している筈はないが、この状況をだいたいお見通しだからこそ、ああ言ったに違いない。

 しかし状況はお見通しでも、俺の心境は読み違えてる。
 俺は寂しくなんかないし、この半年間に起きたプライベートな出来事を、たとえデータが消えたところでやり直す気もない。
 あの人、どこまで俺に気遣って、奥ゆかしいんだ!?

「薪さんっ……!」

 捜査室の自動ドアが開くと同時に叫んだ俺の声に、そこにいたメンバーが一斉に振り返った。
 山本さんと……今井さん、小池さんだ。

「お、青木お疲れさん」

「岡部さんから許可が出たから、あとのことは室長と副室長に任せて飲みに行こうぜ。曽我にも声掛けたし、宇野さんも後で来るってよ」

「なんか皆さんが……私の初捜査の打ち上げを兼ねて歓迎会をしてくださるそうでして」

 孤立していたはずの山本さんがメンバーに混じって、ほっこりしたいい表情を見せている。

「ああ、それは……良いですね!行きましょう!」

 薪さんのことを気にかけながらも、俺は笑顔で頷いた。
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