俺とあなたの5.5日間
0.5-M-1
大臣の娘拉致誘拐事件が追い風となって進展し始めた、MRI捜査全国展開の計画。
公私ともに明るい未来に向けて開かれた今夜の祝宴だった。
しかし僕がそこで語った第九の将来展望は、幸せな婚約中の主役を絶対の底に突き落とし、号泣させる事態に陥った。そのせいで継続不可能となった宴席は、早々にお開きとなったのだ。
それから長い間、僕は公園のベンチでその“号泣事件”の張本人と並んで腰掛けている。
買ってきた缶コーヒーを隣に置いた音に、しおらしく顔を上げたその男は、いつも通りの穏やかな口調を保ちながら、上司の僕に話しかけてきた。
「どなたかとお約束では……」
「泣きベソをかく大男を見て気が削がれた」
約束していた行き先とそこで果たす行為について“一番知られたくない相手”からの質問だった。
遠回しに答える僕は、お手上げ感が一周して少し投げ遣りにもなっている。
いつもの青木のフリをしているが、コイツは今部下 じゃない。
初めてプライベートで隣にいる、泣き虫のただの男だ。
背を丸めて縮まり肩を震わせている大きな身体を、抱きしめたくなってしまうから、ずっと見ないようにしていた。
痩せ我慢が続けられるのも、その愛しさゆえ。
でも声を殺し啜り泣く息遣いを聞くだけで、体内の熱がじりじり疼いてどうしようもないから、僕は自らの感情さえ投げ出し虚無の中に閉じこもろうとする。
ただでさえ、溜まってたあれこれがバクハツしそうな身体を抱えたまま宴席に顔を出したのだ。
次の行き場さえ無くした今、本当は隣の泣きベソな男以上に、迷子なのは僕自身なのに。
「あの、さっきのって……プライベートなお約束だったんですよね?」
「え、」
「だって“気を削がれた”くらいでキャンセルできる間柄ってことは相当気の置けない……」
「違っ!!」
動揺のあまり僕は立ち上がる。
顔を見て驚いた青木が、小声で“すみません”と口走るほどに、僕は青ざめていた。
コイツはいつもそうだ。
人が触れたくない、でも避けては通れないところにやたらと鼻が利く。
持て余す欲情の匂いさえ嗅ぎ取られそうな危機感に慄いた僕は、反射的に逃げ出そうとするがそれもできなかった。
「どこ行くんです? こんな時間にその格好でお一人で歩いたら補導か誘拐されちゃいますよ」
そんなはず無い、いつも夜中だってこれで歩いてるのに……と言いかけて、振り払おうと挙げた僕の手首はいつのまにか大きな手に確保されていた。
「…………」
眉尻を下げた優しい顔に見下ろされて力が入らなくなった身体は、途切れた言葉とともにベンチへ崩れて落ちる。
「寒いですか? そろそろ帰りましょうか」
身体の震えに気づいた青木が、ベンチの背に掛けていた上着を僕に被せた。
震えは寒さのせいじゃないのに、上着に覆われた僕はなぜか落ち着きを取り戻していく。
「お前がそれを全部飲んだらな」
そんなこと言ったのが間違いだった。
そこからさらに一時間以上、並んでそこにいるはめになったのだから。
一本の缶コーヒーさえ喉を通らない傷心男の横顔からは、何も話さないまでも心と頭の整理に必死なのが手に取るように伝わった。
あなたのことなにもしらなくていい。
あなたのもとで、同じものをめざして一緒に進む毎日がつづくと信じてた。
とにかくあなたのそばにずっといたいのに何故――
微動する唇が声にならない思いをくりかえしカタチどり、僕はそれをむず痒く感じながら、何もできずただ同じ空間にいることで、ただよう気持ちのカケラを共有しつづけるしかない。
「あの……遅くなってしまったので送りますよ」
トータル二時間以上かけて泣きしきり、一本の缶コーヒーをようやく飲み干した男が、木製ベンチとの長い対峙で軋んだ尻を擦る僕の腰に優しく手を置いた。
部下に送迎させること自体に慣れている僕が、その申し出をいつもの調子で受け容れてしまったことが、すべての間違いのもと だった。
捜査員として人を身構えさせない笑顔で核心に踏み込むコイツの腕前は一番よく知ってるはずなのに、情けない。
いや、もしかしたらわかってて流されたのかもしれない。
とにかく僕はマンションまで送らせた青木をドアの前で引き下がらせた……つもりだった。が、次の瞬間、こともあろうに、ドアを閉める寸前に滑り込んできた大男と玄関先で顔を突き合わせていたのだ。
大臣の娘拉致誘拐事件が追い風となって進展し始めた、MRI捜査全国展開の計画。
公私ともに明るい未来に向けて開かれた今夜の祝宴だった。
しかし僕がそこで語った第九の将来展望は、幸せな婚約中の主役を絶対の底に突き落とし、号泣させる事態に陥った。そのせいで継続不可能となった宴席は、早々にお開きとなったのだ。
それから長い間、僕は公園のベンチでその“号泣事件”の張本人と並んで腰掛けている。
買ってきた缶コーヒーを隣に置いた音に、しおらしく顔を上げたその男は、いつも通りの穏やかな口調を保ちながら、上司の僕に話しかけてきた。
「どなたかとお約束では……」
「泣きベソをかく大男を見て気が削がれた」
約束していた行き先とそこで果たす行為について“一番知られたくない相手”からの質問だった。
遠回しに答える僕は、お手上げ感が一周して少し投げ遣りにもなっている。
いつもの青木のフリをしているが、コイツは今
初めてプライベートで隣にいる、泣き虫のただの男だ。
背を丸めて縮まり肩を震わせている大きな身体を、抱きしめたくなってしまうから、ずっと見ないようにしていた。
痩せ我慢が続けられるのも、その愛しさゆえ。
でも声を殺し啜り泣く息遣いを聞くだけで、体内の熱がじりじり疼いてどうしようもないから、僕は自らの感情さえ投げ出し虚無の中に閉じこもろうとする。
ただでさえ、溜まってたあれこれがバクハツしそうな身体を抱えたまま宴席に顔を出したのだ。
次の行き場さえ無くした今、本当は隣の泣きベソな男以上に、迷子なのは僕自身なのに。
「あの、さっきのって……プライベートなお約束だったんですよね?」
「え、」
「だって“気を削がれた”くらいでキャンセルできる間柄ってことは相当気の置けない……」
「違っ!!」
動揺のあまり僕は立ち上がる。
顔を見て驚いた青木が、小声で“すみません”と口走るほどに、僕は青ざめていた。
コイツはいつもそうだ。
人が触れたくない、でも避けては通れないところにやたらと鼻が利く。
持て余す欲情の匂いさえ嗅ぎ取られそうな危機感に慄いた僕は、反射的に逃げ出そうとするがそれもできなかった。
「どこ行くんです? こんな時間にその格好でお一人で歩いたら補導か誘拐されちゃいますよ」
そんなはず無い、いつも夜中だってこれで歩いてるのに……と言いかけて、振り払おうと挙げた僕の手首はいつのまにか大きな手に確保されていた。
「…………」
眉尻を下げた優しい顔に見下ろされて力が入らなくなった身体は、途切れた言葉とともにベンチへ崩れて落ちる。
「寒いですか? そろそろ帰りましょうか」
身体の震えに気づいた青木が、ベンチの背に掛けていた上着を僕に被せた。
震えは寒さのせいじゃないのに、上着に覆われた僕はなぜか落ち着きを取り戻していく。
「お前がそれを全部飲んだらな」
そんなこと言ったのが間違いだった。
そこからさらに一時間以上、並んでそこにいるはめになったのだから。
一本の缶コーヒーさえ喉を通らない傷心男の横顔からは、何も話さないまでも心と頭の整理に必死なのが手に取るように伝わった。
あなたのことなにもしらなくていい。
あなたのもとで、同じものをめざして一緒に進む毎日がつづくと信じてた。
とにかくあなたのそばにずっといたいのに何故――
微動する唇が声にならない思いをくりかえしカタチどり、僕はそれをむず痒く感じながら、何もできずただ同じ空間にいることで、ただよう気持ちのカケラを共有しつづけるしかない。
「あの……遅くなってしまったので送りますよ」
トータル二時間以上かけて泣きしきり、一本の缶コーヒーをようやく飲み干した男が、木製ベンチとの長い対峙で軋んだ尻を擦る僕の腰に優しく手を置いた。
部下に送迎させること自体に慣れている僕が、その申し出をいつもの調子で受け容れてしまったことが、すべての
捜査員として人を身構えさせない笑顔で核心に踏み込むコイツの腕前は一番よく知ってるはずなのに、情けない。
いや、もしかしたらわかってて流されたのかもしれない。
とにかく僕はマンションまで送らせた青木をドアの前で引き下がらせた……つもりだった。が、次の瞬間、こともあろうに、ドアを閉める寸前に滑り込んできた大男と玄関先で顔を突き合わせていたのだ。