☆一線〜悪魔の贈り物

 薪さん!!と叫んだつもりが声にならない。

 駆け寄ろうとした脚も縺れて、慌てて受け止めようとした薪の腰に縋り付きながら、大きな体がずるずると畳の上に崩れ落ちていく。

 良かった……テレポートは何とか成功したようだ。

「お前、まさか……」

 敷きつめられた畳の匂いが妙に懐かしい。
 ここは日本なのか、と安堵すると同時に“一万キロのトライアスロン”が頭をよぎり、薪の腕に抱き起こされた青木は、そのまま気を失うように眠ってしまった。



「ハッ、雪子さんに電話……!」

「もう連絡済みだから心配要らない」

 起こそうとした青木の頭を撫で、優しく降ってくる薪の声。
 後頭部は程よい弾力の……正座を崩した薪の膝に支えられ……って、コレ、ひ、膝枕っ!?
 こんな幸せがあっていいのか?
 まさかここは極楽浄土なんじゃ?

「えっ……と、俺、生きてますよね?」

「クスッ、生きてるどころか、元に戻ってるだろ」

「あ……れ?」

 日本時間は真夜中、いやもう明け方か。
 心身ともに静かで穏やかなのは、薪とこうしていられるからだと思ってた。
 でもそれだけじゃなさそうだ、余計な音も耳に入ってこないし、血の匂いも感じない。
 辺りを見渡せば、明かりがついているのに視界がぼんやりしていて、これは眼鏡がないとキツい状態だ。

「なんで……だろ? 俺……」

「自分で呪いを解いたんじゃないのか」

「え? どうやって?」

 理由わけのわからない青木は、薪にここへ来るまでのことを打ち明けた。雪子に献血の協力を得たことも包み隠さずに。

「雪子さんに吸血行為を働いた、と言ったな」

「……ハイッ、すみません!!」

「謝ることはない。多分それだ。吸血鬼の特性である吸血時の催淫作用を完全にねじ伏せたことで、お前は呪いに打ち克ったんだろう。ここへのテレポートは吸血鬼としての最後の力だったんだろうな」

 呪いを解いた決め手の行為が全く不快じゃないかといえば嘘になるが、その話を口にした途端に膝枕から飛び退いて、土下座の姿勢になっている青木が可愛くて責める気にもなれなかった。


「あなたは……どうしてここへいらしたんですか?」

 ゆっくりとオモテをあげて、真顔の青木が訊く。

「ここは、澤村さんと僕が10年間、水入らずで過ごした家だから」

 ぽつりと答える薪に、青木は眉を顰めて畳についたままの膝でにじり寄る。

「やはり何か澤村さんに入れ知恵されたんですね?」

「そんなに怖い顔をするな」

 近づいて来た青木に惹き寄せられるように、薪は正面から額を肩にぽすんと押し当てる。

「澤村さんの“未練”をこの世から消し去れば、呪いは消えると聞いたんだ」 

「でも、澤村さんの“未練”って……」

「そう、僕と、この家」

 たしかに答えは一つじゃない。
 呪いは澤村の魂と引き換えに発動すると、澤村自身も言っていた。
 青木が呪いを解くのも、薪が澤村の魂を葬るのも、表裏一体で同じ結果に繋がるのだろう。

「それで? あなたはここでどうするおつもりだったんですか」

 青木は薪を強く抱き締めながら訊く。
 またこの人が自らの存在を消そうだなんて考えを一ミリでも持ってようものなら、即振り払う勢いで。

「お前と澤村さんを信じたから、動いてみたんだ」

「え? それはどういう……」

「“澤村さんに託された思いに応えたい”というのが、お前の独り善がりじゃないとすれば、澤村さんが僕に与えたヒントは“お前に対するもの”だ。とすれば僕が動くことで、お前に解決のきっかけを与えられるんじゃないかと思ったんだ」

 偶然かもしれないが大当たりだ。何も告げず澤村の“未練”の場所へ直行した薪を、青木が慌てて追ったことで呪いが解けた。

「……うぅ……」

 なんだか頭頂に温かい水分が垂れてくるのを感じた薪は、青木の身体を押し返し、迷惑そうに見上げて顔を覗き込む。

「おい……なんでお前が泣くんだっ」

「だって……俺がマヌケだったせいで……澤村さんが肝心なことに気づかせようと身を挺して、こんなことさせてしまって……」

「お前がマヌケなのは否定しないが、澤村さんなら大丈夫だ。消えても成仏だし、簡単に消えるタマでもないから。それより“肝心なこと”とは何だ?」

「俺があなたを愛してる、ってことです。あなたを守るためなら手段を選ばない。一生かけてあなたを……」

 青木はハッとして口ごもった。薪がキョトンとした顔で首をかしげていたからだ。

「……澤村さんが、僕を守れと言ったのか?」

「あ……いえ」

 “剛は誰かに守られで喜ぶタマじゃないだろう”と澤村に大笑いされたことを思い出し、青木は大いに顔を赤らめる。

「訂正します。あなたを……幸せにしたいです。一生かけて」

「まるでプロポーズみたいだな」

「そう捉えていただいて構いません。俺……薪さんと家族になりたいんです」

「……かぞく?」

「レセプションでお会いした時、第九を家族と仰ったでしょう? 二人がどんな仕事をしてようと、仕事を終えてから、次の日仕事に行くまでの間、あなたと過ごせたら俺は幸せだな、と……」

 ダメ元で打ち明けた。けど、薪の瞳が熱っぽく潤んで揺れたのを、青木は見逃さなかった。

「……なんだ、夢物語か。寝言は寝て言うんだな」

「俺の傍にいてくだされば、寝言じゃないってきっとわかります。もう囲われる必要はなくなってしまいましたが……」

「まあ、あれはあれで愉しかったけどな」

「ダメですよ!あなたの小さな身体じゃ俺を養えません。逆ならアリかもしれませんけど」

「……ふぅん」

 薪はニヤリと笑って膝立ちになり、青木の上に体重をかけて畳の上に押し倒していく。

「ここで……したい」

「えっ」

「でも何の準備も……」

「いいから」

「でも、薪さんのお気持ちをまだ聞いてません」

「……?」

「俺で、いいんでしょうか?」

「わかりきったことを訊くな。さっき僕が吸血鬼になるなら良いと、当たり前のように言ったくせして。僕がお前の血しか吸えない、って信じ切ってるってことじゃないか」

「ウッ……」

 仰るとおりだ、ぐうの音もでなかった。
 はぐらかされた気もするが、発情の色を滲ませた可愛らしい身体に載られたら、もう何も考えられない。

「……まきさん……すきです」

 食欲から完全に切り離されたキスで、薪を掴まえる。
 その唇は、食事じゃないのに、どんな極上グルメにも勝る美味しさだった。
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