☆一線〜悪魔の贈り物

『思う通りに動かないところも含めて、お前はあいつが可愛くて仕方ないようだな』

『何のことです?』
 
 澤村から話しかけられたということは、今自分は夢の中にいるのだろう。

 貯血の準備を終えた雪子は、一旦近場のホテルに戻った。
 常態化する空腹で薪を襲わないよう、今夜は青木も別室で眠ることにしたようだ。

『青木なら、僕の意に反することは何一つしていませんよ』

 澤村から顔を背けて薪は言い捨てた。
 “愛する男の餌食になって迎える死”はたしかに甘美だが、断固としてそうはさせない相手に陶酔しているのも事実だ。
 それ以前に、不本意な状況を作り出している張本人にそんなふうに揶揄されることの方が、まったくもって腹立たしい。
 
『僕は、あなたとは違います』

『そう簡単に人は変わらんよ』

『いえ、元から違うと言ってるんです』

 憮然とした薪の横顔を盗み見て、澤村がほくそ笑んでいる。

『しかし、あのひよっこは意外と試しがいがあるな。勝ち目もないのに一週間でカタをつけると息巻いているようだが……』

『ナメてると、やられますよ。あなたが思うより……あいつは強いから』

 僕は逆だ。周囲や自分が思うよりずっと弱くて脆い。薪は何もできないもどかしさに唇を噛んだ。

『そろそろ、終わらせるためのヒントを与えようか』

『えっ、』

 剛が血相を変えて顔を挙げ、丸くした目で食い入るようにこっちを見つめる様子が可愛くて、澤村はゾクゾクと胸を震わせる。

『呪いの消し方……』

 剛が望んでやまない言葉を口にする。
 その幸せを噛み締めながら、澤村は伝えた。

『この呪いは私そのものだから。 この世にある私の“未練”を根絶すれば、たちまち消えるだろう』

 澤村の“未練”が薪自身なのはわかる。
 薪が自身を根絶する道を選んだならば、澤村は“愛する者によってもたらされる終末”を甘美に迎えるだろう。
 しかし青木は? 自分のために薪が自ら破滅を選ぶことなんて望むわけがない。

 目を覚ました薪は、即刻身なりを整え家を出た。
 望まれないとわかっていても、動かずにはいられない。この状況を打破するためには――



「あら、もう起きてたの? 若いのに早起きねぇ」

 早起きもなにも、今はもう既に翌日。それも午後、夕刻に近づく時間になっている。
 昼間タイムズスクエアに繰り出しランチを楽しんできた雪子は、マンションに現れた途端、明るい顔を怪訝そうに曇らせた。

「それどころじゃないんです!!薪さんがいないんですよ!!」

「……はあ??」

 整然と片付いていた部屋の、ドアというドアが全開している。

「俺が寝てる間に消えちゃってて。雪子さん知りませんか?」

「そんなの、知るわけないでしょ?」

 全く思い通りにならない展開に、お手上げのポーズを見せてから、念のためスマホを確認するが、薪からの連絡はきていない。

 昨夜は薪を最大限に休ませるため、青木も本人了承のもと睡眠剤で眠らせた。
 青木が目覚める前にここへ寄って、薪の貯血パックを作るつもりだったのに。
 肝心の薪がいなければ、どうすることもできない。
 まさに、お手上げ状態なのだ。

「てか、ちょっと落ち着きなさい。どこ探してんのよ!子どもの隠れんぼでもあるまいし……」

 クローゼットや洗濯機のドラムまで開けている青木を諫めたものの、ときに破滅的に暴走する薪の一面を思い出し、雪子も不安が湧いてくる。

「あの人は多分、愚図ついてる俺に痺れを切らしてご自分で動かれたに違いないんです」

「でも、手掛かりもないのに動くわけ……」

「ええ、あるから動いたんでしょう。血を採る前にいなくなるなんて余程急いで……きっと何かを掴んでる」

「でも、つよしくんはずっと寝てたのよ?」

「多分寝てたから、なんです」

 サワムラさんとは夢でしか話せないから。
 仕掛けた張本人の彼なら、手掛かりどころか“答え”だって与えることができる。
 でも、そんなのズルい。俺に呪いがかけられたのは、俺が死ぬ気で向き合って乗り越えるためだと仰っていたのに。

「電話も繋がらないわ。捜索願だすわけにいかないし、困ったわね」

「ええ、近くにいるとも限りませんしね」

 洗濯機の前で膝をつき頭を抱えていた青木が、ふらりと立ち上がる。

 テレポートはするなと言われていたけど……行かなければならない。
 会いたい気持ちはいつもMAXだから、いつでも行けるはずなのに……ダメだ、行けない。体力がないのだ。

「ちょっ、と……何やってるの?」

 オープナーを探し、ラックにある赤ワインを勝手に開けてラッパのみし始める青木を、慌てて止めに入る雪子。

「摂取できるものが限られてるんです。お代なら後でお返ししますので……」

「そーじゃなくて! これ相当高いわよ。それにそんな飲み方したら急性アル中に……」

「ダメだ!こんなんじゃ」

 青木は飲みかけのボトルをテーブルに置き、シャツの袖で口を拭いながら雪子に向き直る。

「すみません、三好先生。俺、薪さんが好きなんです。あなたも好きですよね?」

「え……まあ、ね。あの、でも今は疚しさゼロで親友としての……好きってやつね」

「では、薪さんを助けるのに協力してください」

 これが吸血鬼の迫力なのか。青木の目ヂカラに金縛りのように動けない雪子が、声だけで抗う。

「ま……って、催淫作用があるんじゃ……」

「大丈夫な気がするんです」

「気がする、ってあなた、違ったらどうしてくれるのよ!」

「絶対大丈夫。俺を信じてください。献血だと思って……緊急時なので、失礼します!」

「えっ…」

 痛みも快感もない。もちろん性欲も催さない。  
 首筋に噛みついた青木の喉が数回鳴って離れる。
 金縛りが解けた腕で押し返そうとした時には、青木の身体はその場から消えていた。

 洗面所に駆け込んで鏡に映した雪子の首筋には、もう傷跡も残ってないし、身体に何の変化もない。

「……まあ……本当に……なんとかなるのかも……」

 気が抜けてその場にへたり込む雪子は、妙な安堵もじわじわと感じていた。
 消える間際の青木の目が、自分を金縛りにした人外ではなく、一心不乱に薪を愛するただの男の目に戻っていた気がしたから。
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