☆一線〜悪魔の贈り物

『ハァ……馬鹿げたことを。剛は誰かに守られで喜ぶタマじゃないだろう』

『そうでしょうか?』

 青木の反応なんてどこ吹く風で、笑い過ぎて滲んだ涙を指先で拭いながら、サワムラは低い声で呟いた。

『似ているな、やはり三人共・・・

『三人……って?』

『いや俊は違うか、剛にとっては二人だ。鈴木もお前も鉄壁の善人ヅラ引っさげて、よくも剛のことを守るだなんだと……』

 え?俊氏とは薪さんのお父さんじゃないか。その彼を呼び捨てするこの人は一体……?
 混乱しながらも、青木はまた訊ねる。

『どうして、善人じゃダメなんですか?』

 サワムラの顔が薪剛ばりに、不機嫌に引き攣った。

『わからないのか?善意を敷き詰めた檻の中で、剛を飼い殺しする気か。生ぬるい綺麗事を並べ立てて……剛はそんなこと望んでないのに』

 その形相は鬼上司で見慣れてる。
 青木は怯むことなく無意識に、地雷を踏み続ける。

『でも、俺が悪人になったところで、薪さんは喜ばないと思うんです。あなた本当は何が仰りたいんですか?肝心なことが抜けている気が……』

 苛々が一気に頂点に達したサワムラは、目を吊り上げたまま息を呑む。そして――

『これでもくらえ!!分からず屋のひよっこめ!!』

 爆発した感情がサワムラの全身から噴き出す禍々しいエネルギーに変わり、こともあろうに電光石火の勢いで、青木の胸を直撃したのだ。

『うぅ……』

 衝撃を受けた胸を押さえてふらつく青木。

 意識が揺らいでいき、身体も動かない。
 そして目の前にいた筈のサワムラの姿はなくなっている。
 ただ“声”だけが、青木の鼓膜に残存していた。

『抜けてるところはお前自身で気づかなきゃ意味がない! ヒントはこの呪いだ、死ぬ気で向き合うがいい。本当に死ぬかもしれないが……だとしても自業自得だからな』

 本当は僕もそこまでしたくなかったのに。
 呪いは魂と引き換えに発動する。
 万が一呪いが解かれれば、おそらくもろとも消えるのだろう。
 だが肝心なこと・・・・・が解らないボンクラに、呪いが解けるはずない。
 僕と剛の根っこは同じ、愛する者のためなら手段を選ばない。身を持ってそれを知るがいい……と。


 
 不条理な夢を反芻しながら眠り、目覚めてもまだ渇いた吸血鬼のままだ。

 悪夢じゃない、これは悪夢のような現実だった。

「あら……」

 天気の良い土曜日の成城◯井。

 肉売り場で背後から掛けられた声に、青木は咄嗟にギクリと息を止める。

 この声は、まさか三好先生? つまり元婚約者。おそらく自分の食欲・・に歯止めが効かないリスクが一番高い相手かも、と身構える。

「凄いわね、そんな肉の塊で料理? 腕を上げたわね」

「いや、これは……」

 いくら人外とはいえ呼吸を止めながら喋るのは無理だった。
 食欲だろうが性欲だろうがいつ催してもいいように、逃げる態勢を取りながら青木は息を吐く。

「こんなとこで私と出会うの、意外だと思ってるでしょ?」

「いえ……」

 おや? 息を吸っても正気のままだ。
 雪子も普通に陳列棚に並ぶパック肉を手に取り、次々とカートのカゴに入れている。

「そういや、つよしくんと連絡とってる?」

 ドキン! 
 雪子を前にして激しく脈打つ鼓動と興奮。目の前にその人がいないのが救いだ。
 名前を聞いただけで狂おしい欲情が湧き上がる。

「どうしたの?」

「っ……俺、変ですよね?」

「おかしくないわよ。つよしくんの話をすると赤くなるとこまで、前からずっと同じだわ」

 え?前からって、いつから……? 一瞬戸惑うが、今は正直それどころではない。
 “つよしくん”の名前だけで勃ち上がりそうなのを抑えられずに困ってるのだから。

「す……みません。俺、ちょっと先行きます。あなたも待ってる方がいらっしゃるでしょうし」

「……そうだけど、何でそんなこと知ってるの?私一言も……」

 雪子から男の香りがするのにさっきから気づいてたのは、人外の嗅覚ならではだろう。

「あの、用事を思い出したので、また今度ゆっくり」

「あら、そういえばあなた……」

 元婚約者に“また今度ゆっくり”という言葉のセレクトは、社交辞令であっても宜しくない。
 下心があってもアウトだし、この男のように皆無なのもアウトだろう。
 しかし雪子も雪子で元婚約者を見上げてにわかに頬を染めたのは、メガネをしてない容貌に気付いて、即座に昔の恋人の面影を重ねたからだ。

 噛み合わない二人は、互いに会釈して離れていく。

 数日後、その社交辞令が実現することも知らずに。


 それより何より速攻で帰宅した青木は、パッケージを開けるのももどかしく生肉を啜る。
 ワインを開ける余裕すらない。ワイン以上に青木のカラダを高揚させる薪への欲情に堪えられない。

「……っ、ハッ……はぁっ………薪さんっ……!」

 生肉を片手にむしゃぶりつきながら、もう片方の手で昂る自身を慰める。

 薪さんを食べたい。

 いや、ダメだ。
 サワムラさんは、どこまで本当のことを言ってるかわからないし、まだ教えられてないことも沢山ある気がする。

 だから薪さんには会えない。

 もし会えば淫らな捕食に巻き込んでしまう。
 そのせいで想定外の危害を加えることも、絶対にあってはならない。

 こんな風になったって、薪さんを守りたい。

 サワムラさんが薪さんのどんな関係者か知らないが、自分は薪さんの“家族”の一員なのだ。
 第九を“家族”と呼んでくれた薪さんの――
2/2ページ
スキ