きもちいいこと
襲うなら、襲えばよかったんだ。
寝てるのか寝てないのか青木の切ない吐息を一晩じゅう聞きながら、キスやハグで揉みくちゃにされ、如何わしい手つきで撫で回され続けて、眠れなかったじゃないか!
これ で、我慢してるつもりなのだろうが、全くの逆効果だ。
「あっ……」
「おはよう」
「お、はようございます……舞は早起きして、おばあちゃんと散歩に出かけてます」
どこか気まずさを含んだ空気に気づかないふりをして、二人分の食事が用意された食卓につく。
「もうすっかり元気なんですが……舞はあと一日だけ休ませようと思います」
「いいんじゃないか。なら僕もここで仕事する。お前の部屋を借りるぞ」
「ありがとうございます。勿論どうぞ」
二人きりでいることが常に無意識だった今までとは違い、妙に心が揺らいで口数が少なくなる。
味噌汁や玉子焼きの味も、美味しいと伝えることなく、黙々と朝食の時間が過ぎていった。
「じゃあ俺、いってきますね」
部屋で仕事を始めた僕は、背中で青木の声と出て行く気配を受け流す。と、部屋の外で「あっ!」と叫んで、遠ざかった気配がまた戻って来る。
「忘れ物しました」
「は、何を……」
振り返った僕の唇を、温かく柔らかい感触が包み、全身がキャラメリゼされたみたいに固まる。何なら脳内までもだ。
そして、溶け合った唇が離れる湿った音に、ハッと我に帰る……一瞬の出来事だった。
「バカっ!早くいけっ、この色ボケがっ!」
僕はデカい男の図体を蹴り出して襖をピシャリと閉め、盛大に舌打ちをする。
“行ってらっしゃい”を言うのを、結局忘れたじゃないか。
リモートで各管区と繋いで仕事をすれば、概ね円滑に仕事が回っていた。
特に第三管区は全員笑顔で対応も軽やかだ。
緊急度の高い案件のチェックが一頻りしたところで、岡部を画面越しに呼び出してやれば、ヒゲ面の表情も妙に明るいのが気にくわない。
「どうだ?闇黒の支配から逃れた気分は」
「何言ってるんスか。あ、そうだ。青木のこと、ありがとうございます。アイツすっかり元気 になって……って、何赤くなってるんです?」
元気? ああそうだな、元気も元気、一晩中元気だったな。
さっさと発散させればいいものを、ネチネチ、トロトロと僕のカラダをまさぐり続けた翌朝、自分だけ機嫌よく仕事に出かけたアイツのことは、被害を受けた僕が一番ご存知だ!なんてことを吐き出せるはずもなく、僕は余裕の笑みを浮かべ「それは何よりだ」と頷いておく。
「マキちゃん、お昼ごはんだよ。おバァちゃんとカレー作ったの、たべる?」
ノックに応えると、上目遣いで様子を伺いながらそーっと襖を開けた舞が、画面に映るヒゲ面を見つけて目を輝かせる。
「あっ、やっちゃんだぁ。マキちゃんとお話してるの? やっちゃんは遊びに来ないの?」
舞が控えているせいで、こっちもソフトにならざるをえず、第九史上初のにこやかなミーティングは早々に幕を閉じる。
連携もとれスムーズに機能する室長陣と管区メンバーたち。僕はもとより室長自ら現場に踏み込まなければならない案件も特段なさそうな状況だ。
「マキちゃんのごはん、このくらいでいい?」
三つ並んだカレー皿の一番小さいのを差し出し、舞が僕の顔を気遣うように覗き込んでくる。
高齢者や子どもより明らかに少ない量が盛られた皿を、不思議に思いながら僕はとりあえず頷く。
「コーちゃんがね、マキちゃんお昼は小鳥さんくらいしか食べれないから、無理強いしたらだめだよ、って」
「……ありがとう、ちょうどいいよ」
僕は笑顔でもう一度頷いた。
アイツめ、また勝手に余計なことを舞に吹き込んだな。小鳥呼ばわりされるのは不本意だが、まあ量はちょうどよかった。
「ねぇマキちゃん、今日はお仕事いつ終わる?」
元気にカレーを平らげたお祖母ちゃんを、茶の間のテレビの前で休ませた舞は、皿洗いをする僕のところに戻って訊いてくる。
「舞のリクエスト次第だな。相談があるなら言ってごらん」
「もし間に合えば、行きたいところあるんだけど……」
流し台に並んで立つ舞は、ステップツールで身長差が縮まった僕に“光くんのおみまい”と耳元で打ち明けた。
「ああ、いいよ。夕方なるべく早めに出かけよう」
「やったー!だったら夕食もおうちで食べれるね。コーちゃんに焼きカレーチーズドリア作ってもらえるかな」
昼食を片付けた先から夕食のことを気遣はじめるなんて。舞は青木家の素直さを受け継いだ幸せな子どもだが、誰かに頼るより誰かを助けることを覚えた点だけは僕にも似ていた。
不憫かもしれないが、憐れむより本人のしたがることを手伝う方が、その子を満たしてあげられると思う。
舞はまだ七歳。
その頃は僕でさえ、大好きな父や母に守られていたと思うと、愛しさが募って抱きしめたくなった。
「こんにちは……あ、コーちゃん!」
先に病室を覗いた舞の声に、僕の足が一旦止まりかけるが、表情を引き締めてそのまま踏み込む。
ベッドから体を起こして傍らの丸椅子に座る大男をうっとり見上げていた光の顔が、僕を見て悪戯な色に変わる。
隣の大男は直ぐ様立ち上がって、僕にその席を明け渡すが……あからさまに赤くなる顔を、光にしっかり見られているじゃないか。
「こんにちは」
「顔色良さそうだな、光」
「ええ、あなたのお肌もツヤツヤですね」
僕の背後で青木がビクリと後退り、デカい体を最大限に縮めているのが手に取るようにわかる。
「何かいいことあったんですか?」
その問いに僕の瞬きが不自然に増えたのも、光は見逃さないだろう。が、そこへ舞の救いの手が伸びる。
「そうだよ!いいこといっぱいあるんだよぉ、光くん。マキちゃんがおウチにいてくれるんだもん。明日フレンチトースト習うんだよ。光くんに作ってあげるから」
“ね、マキちゃん” と見上げてくる舞の手が僕の手を握り、もう片方で青木の手も握る。
青木はにっこり笑顔を浮かべてそのままベッドに歩み寄り、光の手を力強く握った。
青木……そういうところだぞ。
すっかり絆された顔で青木を見上げる光に、鏡をみるような気恥ずかしさを覚えた僕は、思わず目を逸らした。
寝てるのか寝てないのか青木の切ない吐息を一晩じゅう聞きながら、キスやハグで揉みくちゃにされ、如何わしい手つきで撫で回され続けて、眠れなかったじゃないか!
「あっ……」
「おはよう」
「お、はようございます……舞は早起きして、おばあちゃんと散歩に出かけてます」
どこか気まずさを含んだ空気に気づかないふりをして、二人分の食事が用意された食卓につく。
「もうすっかり元気なんですが……舞はあと一日だけ休ませようと思います」
「いいんじゃないか。なら僕もここで仕事する。お前の部屋を借りるぞ」
「ありがとうございます。勿論どうぞ」
二人きりでいることが常に無意識だった今までとは違い、妙に心が揺らいで口数が少なくなる。
味噌汁や玉子焼きの味も、美味しいと伝えることなく、黙々と朝食の時間が過ぎていった。
「じゃあ俺、いってきますね」
部屋で仕事を始めた僕は、背中で青木の声と出て行く気配を受け流す。と、部屋の外で「あっ!」と叫んで、遠ざかった気配がまた戻って来る。
「忘れ物しました」
「は、何を……」
振り返った僕の唇を、温かく柔らかい感触が包み、全身がキャラメリゼされたみたいに固まる。何なら脳内までもだ。
そして、溶け合った唇が離れる湿った音に、ハッと我に帰る……一瞬の出来事だった。
「バカっ!早くいけっ、この色ボケがっ!」
僕はデカい男の図体を蹴り出して襖をピシャリと閉め、盛大に舌打ちをする。
“行ってらっしゃい”を言うのを、結局忘れたじゃないか。
リモートで各管区と繋いで仕事をすれば、概ね円滑に仕事が回っていた。
特に第三管区は全員笑顔で対応も軽やかだ。
緊急度の高い案件のチェックが一頻りしたところで、岡部を画面越しに呼び出してやれば、ヒゲ面の表情も妙に明るいのが気にくわない。
「どうだ?闇黒の支配から逃れた気分は」
「何言ってるんスか。あ、そうだ。青木のこと、ありがとうございます。アイツすっかり
元気? ああそうだな、元気も元気、一晩中元気だったな。
さっさと発散させればいいものを、ネチネチ、トロトロと僕のカラダをまさぐり続けた翌朝、自分だけ機嫌よく仕事に出かけたアイツのことは、被害を受けた僕が一番ご存知だ!なんてことを吐き出せるはずもなく、僕は余裕の笑みを浮かべ「それは何よりだ」と頷いておく。
「マキちゃん、お昼ごはんだよ。おバァちゃんとカレー作ったの、たべる?」
ノックに応えると、上目遣いで様子を伺いながらそーっと襖を開けた舞が、画面に映るヒゲ面を見つけて目を輝かせる。
「あっ、やっちゃんだぁ。マキちゃんとお話してるの? やっちゃんは遊びに来ないの?」
舞が控えているせいで、こっちもソフトにならざるをえず、第九史上初のにこやかなミーティングは早々に幕を閉じる。
連携もとれスムーズに機能する室長陣と管区メンバーたち。僕はもとより室長自ら現場に踏み込まなければならない案件も特段なさそうな状況だ。
「マキちゃんのごはん、このくらいでいい?」
三つ並んだカレー皿の一番小さいのを差し出し、舞が僕の顔を気遣うように覗き込んでくる。
高齢者や子どもより明らかに少ない量が盛られた皿を、不思議に思いながら僕はとりあえず頷く。
「コーちゃんがね、マキちゃんお昼は小鳥さんくらいしか食べれないから、無理強いしたらだめだよ、って」
「……ありがとう、ちょうどいいよ」
僕は笑顔でもう一度頷いた。
アイツめ、また勝手に余計なことを舞に吹き込んだな。小鳥呼ばわりされるのは不本意だが、まあ量はちょうどよかった。
「ねぇマキちゃん、今日はお仕事いつ終わる?」
元気にカレーを平らげたお祖母ちゃんを、茶の間のテレビの前で休ませた舞は、皿洗いをする僕のところに戻って訊いてくる。
「舞のリクエスト次第だな。相談があるなら言ってごらん」
「もし間に合えば、行きたいところあるんだけど……」
流し台に並んで立つ舞は、ステップツールで身長差が縮まった僕に“光くんのおみまい”と耳元で打ち明けた。
「ああ、いいよ。夕方なるべく早めに出かけよう」
「やったー!だったら夕食もおうちで食べれるね。コーちゃんに焼きカレーチーズドリア作ってもらえるかな」
昼食を片付けた先から夕食のことを気遣はじめるなんて。舞は青木家の素直さを受け継いだ幸せな子どもだが、誰かに頼るより誰かを助けることを覚えた点だけは僕にも似ていた。
不憫かもしれないが、憐れむより本人のしたがることを手伝う方が、その子を満たしてあげられると思う。
舞はまだ七歳。
その頃は僕でさえ、大好きな父や母に守られていたと思うと、愛しさが募って抱きしめたくなった。
「こんにちは……あ、コーちゃん!」
先に病室を覗いた舞の声に、僕の足が一旦止まりかけるが、表情を引き締めてそのまま踏み込む。
ベッドから体を起こして傍らの丸椅子に座る大男をうっとり見上げていた光の顔が、僕を見て悪戯な色に変わる。
隣の大男は直ぐ様立ち上がって、僕にその席を明け渡すが……あからさまに赤くなる顔を、光にしっかり見られているじゃないか。
「こんにちは」
「顔色良さそうだな、光」
「ええ、あなたのお肌もツヤツヤですね」
僕の背後で青木がビクリと後退り、デカい体を最大限に縮めているのが手に取るようにわかる。
「何かいいことあったんですか?」
その問いに僕の瞬きが不自然に増えたのも、光は見逃さないだろう。が、そこへ舞の救いの手が伸びる。
「そうだよ!いいこといっぱいあるんだよぉ、光くん。マキちゃんがおウチにいてくれるんだもん。明日フレンチトースト習うんだよ。光くんに作ってあげるから」
“ね、マキちゃん” と見上げてくる舞の手が僕の手を握り、もう片方で青木の手も握る。
青木はにっこり笑顔を浮かべてそのままベッドに歩み寄り、光の手を力強く握った。
青木……そういうところだぞ。
すっかり絆された顔で青木を見上げる光に、鏡をみるような気恥ずかしさを覚えた僕は、思わず目を逸らした。