きもちいいこと

 舞を連れて三人でようやく自宅にたどり着いたのは、もうとっくに日付が変わった頃だった。
 容疑者の手から薪さんの腕の中に戻った舞の、俺はまだ寝顔しかみていない。

 眠りこけたまま傷の手当と着替えだけして舞を収まるいつものベッドを、俺たち二人はしばらく放心して覗き込んでいた。

「……よく寝てるな」

「ええ、明日はさすがに学校を休ませようと……いやもう今日・・か」
 
 週明け早々から度重なるアクシデントに巻き込まれ、今は水曜未明。
 軽い打撲や擦り傷を負い最後まで神原といた舞は、精神的ダメージも少なからず受けているだろう。
 でもそんな大人の心配をよそに、起きたらけろっと「学校に行かなきゃ」とか言い出しかねない強い子だからなぁ……と、俺は舞の小さな頭を撫でながら叔父バカまじりにぼやいた。

「ふ〜ん、舞が登校するなら、科捜研に行くついでに僕が送ろうか」

「ええっ、勘弁してくださいよ。さすがに今回ばかりはあなたにも……舞に休みを説得する側に回っていただかないと」
 
 薪さんの冗談ともつかぬ申し出に、さすがの俺も苦笑しつつ丁重にお断りだ。

 県警からの圧力も解消し、朝になれば気兼ねなく第八管区に出社できる。一方で舞を病院に連れていくのと、憔悴した母のケア、捜査員が引けた家の片付けなど、忙しい一日になるだろう。
 忙しいけど愛おしいこの日常を失わないで済んだのは、他でもないこのひとのおかげなのだ。
 上着を灰にし、廃校の埃や火災の煤に全身塗れた満身創痍の薪さんの横顔を改めて見つめると、熱い感謝の思いが胸一杯に込み上げてくる。

「まきさん」

 隣りにいた薪さんを、いきなり抱きしめる俺。
 
「今日はこのままうちへ泊まってくださいね」

「っ、離せっ……ホテルはとってあるんだっ」

「ええっ、そんなこと仰らずに……」

 腕の中でじたばたもがく薪さんの全身を、すっぽり包み込む腕に、俺は一層力を込める。

「うるさいっ、痛いから離せ…っ、」

「お願いします!今夜は俺、あなたをもっと味わいたいんです!」

 ――え?
 俺の腕から強引に脱出した薪さんが、背を向けたまま固まって動かなくなり、変な空気が流れてる理由に、気付けない俺はしばし呆然とする。

「……っ」

 詰るような顔で眉をひそめた薪さんが俺に振り返った時、ようやく自分の落ち度にうっすら気づく。

「あ、いえ、あの何か……言葉足らずでしたよね、俺……あなたを失わずに済んだ実感をもっと味わっていたいので、もう少しご一緒できたらと思ったのですが……」

 頬を赤らめ目を潤ませ拳をふるふる震わせてる薪さんが、とてもお可愛らしくて胸が高鳴る。

「〜〜っ」

 俺の言葉足らずに呆れたせいか、すっかり力が抜けてしまった薪さんは、もうどこにも行かない……いや行けなくなった手応えとともに、俺は薪さんの身体をしっかりと両手で支えた。

「いいですよね、先にシャワーを……それともお風呂にお湯張りましょうか?」

 何か文句を云いたげにまだ震えている薪さんの身体を、俺は風呂場にお連れした。

「そうだ、着替えを探してきますね」

 服を脱ぎシャワーのカランが開くのを、ドアの外で気配と音で確認した俺は、その場を一旦離れる。

 着替え、か。
 大は小を兼ねるといってもこればかりは――

 上司が美人すぎ、かつ好みドンピシャというのが、これほど悩ましいものだとは。
 「家族になりたい」と告白レターをしたためた大切な相手でもあるのだ。
 そのひとが素肌に俺のパジャマ一枚をぶかぶかに纏って風呂から出てきた姿はあまりに煽情的で、俺は視点が定まらないほど動揺していた。

「おい、どこ行くんだ?」

「し、下着をコンビニで買ってきます」

「止せ、もういい。洗濯してるのならあと数時間で仕上がるだろ」

 仰るとおり、洗濯乾燥機の中で回ってる薪さんのぱんつは、二時間もすれば着れるようになる……んですけれども……!

「どうせ寝るだけなんだ。このままで構わない」

「えっ、でも……いいんですか?」

「いいも何も、仕方ないだろ」

 薪さんはテーブルに出された白湯を一気に飲み干して「僕の布団はどこだ?」と即座に寝場所を探して、捜査員が引けた部屋の襖に手を掛けようとする。

「違いますよ、薪さんはこっちです」

 動揺で上擦る声を抑えつつ、俺は離れたくない本能のままに、薪さんの肩を抱いて自室のベッドへと導いた。
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