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 今思えばM.D.I.Pは特殊な場所だった。
 凄惨な事件に直に触れることのない雲の上から世界を見渡して。未知の試みに純粋な好奇心や勇気でもって手を伸ばせた。
 だから奇跡的に希にも会えた。
 その存在は重い罪咎に呑まれそうな巡り合わせの中で、文字通り唯一の希望となり、薪を、青木を照らしている。

 Merry Christmas & a Happy New Year!!
 年が明けると次は Happy Birthday!!
 冬になると薪のメーラーを賑わせる業務外のメッセージは、ほとんどがNYやパリに残る仲間や、世界各国に散らばったM.D.I.P時代の同僚たちからのものだ。

 全てに返信するのは到底困難だが、希の誕生や成長に関わったクルトと彼のチームメンバーや、パリ時代のマティルドには、手短でも必ず近況報告していた。

 そして祖国に帰ったヨン・イヴァルに至っては……最近では舞と希を介してのやりとりの方が多い始末。
 つまり彼らとは、家族ぐるみの付き合いが続いているのだ。
 そうなったきっかけは、ヨン称するハンサムアジアンこと青木の突拍子のなさだ。希受胎から誕生までの母子の歩みを記録してくれたお礼に、日本へ招待したいと薪を通じて熱烈な誘いをかけて。
 ヨンもヨンでそれに乗って、新婚旅行を兼ねて日本を訪れたのはもう昨年……いや一昨年の秋のことだ。

 滞在中、ヨン夫妻と合流した薪と青木そして子どもたちは、みんな一気に仲良くなった。
 そこへ昨年は、ハロウィンに生まれた(産んだのは勿論奥さんの方)可愛い3ヶ月のベビーも加わった。

 日本時間の薪の誕生日当日である今日も、舞と希だけでメール返信代わりのZoomを繋いで、さっきから一時間以上もヨン・ファミリーと賑やかに談話している。
 言葉も心が通じていればなんとかなるものだ。
 夫妻とは英語で、希に至っては夫妻がベビーに対して使うSwedishに興味を示してさっそく使いこなしていた。


「そろそろケーキを切るからおいで」

 パパの優しい声に呼ばれて、ヨン・ファミリーに“Vi ses!(またね)”を告げた子どもたちは、目を輝かせてダイニングに集まった。

「Happy birthday to you, Happy birthday to you, Happy birthday, dear MAMA〜♪」

 土曜で比較的時間があったにも関わらず、手作り誕生日ケーキは、薪の時だけ少し不格好だ。理由は、一番上手な作り手がもてなされる側に回るから。
 でもその心のこもった拙さが一番手強い。
 さらには子どもたちの満面の笑顔、楽しげなおバァちゃんと、青木の深い眼差しに囲まれての“Happy birthday to you”の大合唱……込み上げてくる熱いものに、薪はケーキを囲む輪から顔を逸らして指先でそっと目頭を拭う。

「では、薪さん、俺のリベンジ演奏を聴いてください」

 青木が奏ではじめたのは、トロイメライだ。
 昨秋の検診で帰省した際、実家から持ってきた楽譜で練習したから何とか形になっている。
 “あなたは時々子どもみたい”
 “君は僕をいつも夢見心地にさせる”
 音符をなぞる容易さに比べ、旋律を紡ぐのが難しい曲なのに、叙情のメロディが辿々しくも薪の心を揺さぶってくる。

 近づいて鍵盤をなぞる大きな手にうっとり見惚れる薪の目に入るのは、その膝の上で熱心に鍵盤を見つめる希だ。

 ああ、やはり、この子をパパから引き離すのは忍びない――


 夜の8時前。

 ケーキづくりを一番張り切った舞は、早々におバァちゃんとお風呂に入り、電気のついた子ども部屋で爆睡していた。
 その隣で大好きなパパとのお風呂から先に上がってきた希の着替えをフォローしながら、薪は髪を拭くタオルの隙間から顔を出した希と向き合って目を合わせる。

 顔貌は自分にそっくりでいて、色素の濃い真っ直ぐな目はドキっとするほどパパに似ている。
 今が言うべき時だ、と薪は口を開いた。

「希……」

「はい」

「お前も……4月からパパたちと一緒に福岡へ行くか?」

 目を丸くした希は、首を傾げて「ママは?」と訊ねた。

「僕は、ここへ残るけど……」

 長官や大臣に詰められても全く動じないくせに、薪はしどろもどろになって目を逸らす。

 そこへ機嫌よく風呂から上がってきた青木が子ども部屋を覗きかけ、空気を察して顔を引っ込め大きな身体を襖の後ろに隠した。

「だったら、ノゾミはここに残る」

「でもお前、パパが大好きだろ」

「うん!だからノゾミはパパになりたい。パパみたいに、大好きな人を守るんだもん!」

「!!」

 希ぃぃ!!!何て立派なことを……!!!
 薪を差し置いて襖の影で感涙にむせぶ青木。
 それを横目にどこからか現れたおバァちゃんが、目を輝かせて二人に駆け寄った。

「希、あっぱれだよ。それでこそ九州男児だ。アンタがここでママを守りなさい」

「お母さん……?」

「マキさん、大丈夫。うちは代々、末っ子長男が強いのよ」

 おバァちゃんの謎の励ましに背中を擦られ、知らぬ間に溢れていた涙を拭くのも忘れて、薪は頷いた。

 4月の芽生えまであと2ヶ月と少し。
 おそらく青木薪家の新しいスタートも、きっと希望に満ちたものになるに違いない。
 そんな予感が確信に変わった、薪の誕生日の一夜だった。


希望という名の 完
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