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 はぁあ……昨夜の薪さんも、お綺麗だったな。
 近ごろは程よく力が抜けて、肌の反応も素直なのが堪らない。翌日も一日中、唇や腕や身体のいたるところに、あの人の甘くしなやかな余韻が残ってる。

 でも、終始声を殺して俺の身体に顔を埋めたまま表情が見られないのが、いつも心残りだ。

 気持ちよくなってくれてる顔が見たいし、声も聞きたい。達する時の表情を味わえたりしたら、もうそれだけで寝食無しでもしばらく生きていけるだろう。いや、贅沢な望みなのか。きつく結ばれた交接部からあんなに生々しい絶頂を感じ取っておいて、これ以上何を望む?
 

「……室長、青木室長」

「ん? ああ……」

「もうすぐ17時ですので、報告書見てください」

「あれ、もうそんな時間……」

「でもごめん、気になることあるんで30分、いや10分後……」と言おうとした青木は顔色を変えて口を噤む。
 山城の背後に、そこにはいない薪のオーラを察知したからだ。

「誰にも引き継げない捜査ならこっちに回せ、と所長が仰ってますが……」

 やっぱりか……と、背筋が伸びる。薪は何処にいようと何でもお見通しなのだ。

「波多野、一件頼んでいいかな」

「はい!勿論です」

 何だかんだでいつもバタバタしている捜査室が、何故か室長オーダーを受ける万全の体制を敷いてるように見えるのは気の所為だろうか。

「容疑者・砂川継子43才。顔は似てないけど背格好や仕草がよく似た姉・名方相子が彼女の世話をいつも焼いてるのが気になるんだ。一見砂川単独の犯行に見える一連の画、名方がなりすましてる部分がないか、念の為洗ってほしい」

「え、あれ? それ俺の報告案件……」

「山城さん、これは念の為の捜査ですよ。変装女子の私が見た方が効率的なのでお任せを。で、室長は早く帰ってくださいね!おウチで所長が・・・・・・・お待ちかねですよ!」

“ヤバっ……”
“言った……”

 全員が知りつつも避けていた核心へと踏み込んだ発言に、固まる周囲。
 近年、捜査の重要性が益々高まる第九において、総本山の第三管区で所長自らが捜査クォリティとウェルビーイング両面の向上を牽引しているなんて、画期的すぎる事例だ。が、その事実を表沙汰に扱える勇者は、第九組織広しとはいえ未だ誰もいない。

「わかった。定時までに他の報告も全部見ておくから、山城も持ち場に戻って」

 青木はこわばった空気に気付かないフリをして捜査席を後にし、室長席PCのロックを解除した。

 今日は愛する一人息子、希の誕生日だ。
 その情報を開示してるわけでは勿論ないのだが、在宅の所長から度々入る連絡から滲み出るオーラにただならぬものを全員が感じ取っているから、捜査室全体がこんなにも異様な空気なのだろう。

 注目を浴びるのはさほど得意ではない。が、薪と深い仲になってからはある程度腹を括らざるを得ない。恐れられつつ誰より愛され、常に人を惹きつける美しい人と結ばれた者の宿命ならば、受け入れる覚悟は当然にあった。


「ただいま」

 青木が帰宅した荻窪薪邸のダイニングは、いつも以上にカオスな喜びの飽和状態だった。

 昼間、涼が来て手伝ってくれたお祝いの“HAPPY BIRTHDAY NOZOMI♡”のバルーンデコが壁に揺れている。
 風船を見るだけで割れるのを嫌がる神経質な母を、優しくなだめる薪と、その横で“2”を形どった風船を手にはしゃぐ孫たち。

 キッチンには彩り豊かな和風シチューと鯛飯が出来上がっていて、冷蔵庫を開くとシャインマスカットのスクエアケーキが出番を待っている。
 青木はすべての完成度に舌を巻いた。

「すごいな……さあ、食べようか」

 率先して夕食のセッティングを始める青木を、舞や母が手伝い、薪が興奮気味の希と並んで席に着く。

「今日はいつにも増してご馳走だなぁ」

「うん!ノンちゃんの誕生日だもん!今日から2さいなんだよ!」

「早いもんだねぇ……ノンちゃん、おめでとうね」

「はぁい」

「ありがとうございます」

 笑顔を振りまき返事する希の横で、薪がにこやかにお礼を代弁し、5人は「いただきます」と手を合わせる。

「うまいっ。でも薪さん、ご準備大変だったでしょう。今日本庁で公安会議もあったのでは?」

「うん、ちょうど仕込みのキリもついてたし、他の用も済ませてきた。戻る頃にはケーキのスポンジもしっとりして、丁度いい具合になっていて……」

「そう!でね、シチューはさいご舞とおバァちゃんで仕上げたんだよ〜」

「まいたん、すごいよ〜」

 次から次へと連なる楽しげな会話と弾ける笑顔。食事中は滅多に口を開かないおバァちゃんも楽しそうに笑っている。

 メイン料理を終えると、シャインマスカットが幾何学アートのようにあしらわれたスクエアケーキがテーブルにお目見えする。
 味も形も最高級の手作りバースデーケーキ。
 希は二本のロウソクを、舞の助けを借りて上手に吹き消し、温かい拍手に包まれる。

 集合写真もバッチリ収める長い腕と、ケーキをきっちり切り分ける大きな手。
 そんなパパの働きにうっとり見惚れている薪。
 ”美人パティシエになれるよ”と、ママに憧れの視線を送る舞。
 ケーキの美味しさと我が子の成長を泣きながら喜ぶ親バカ息子に、苦笑いの祖母。
 この幸せが当たり前のまま、希や舞には育ってほしい。ここでの暮らしのなかで、薪は願わずにはいられない。


「じゃあ次はコーちゃん、ピアノ弾いてください〜」

「ええっ、俺……?人に聞かせる腕前じゃないよ」

「いいじゃん、福岡のと同じだよ」

「いや、楽譜も無いし」

 焼け残った部屋から運んできたいつぞやの琴海の形見のピアノが、舞の小さな手で息を吹き返して半年がたつ。
 舞の簡単な楽譜ならある。
 無いというのは、自分がいつか習ってた頃の古いものを指しているんだろう。

 戸惑いながらも、うろ覚えでなぞるのはシューマン、子供の情景のオープニングだ。曲という体をなしていないが、愛しい手が紡ぐメロディが、眠たげな希を抱く薪の琴線に触れる。
 ほんとうに楽器の音色は奏でる者の魂の具現化とは、よく言ったものだ。

「一行は手が大きかけん、ピアニストになるって先生に言われとったもんね」

「それを言うなら舞だよ。ピアノもお歌も上手だから……」

「そうなんだよぉ……ピアニストか歌手かどっちになろうか、今迷い中なんだよね」

「両方なればいい。舞ならできるよ」

 パティシエの次はピアニスト、そして歌手まで次々出てくる、褒め殺しな青木家の日常に、薪もすっかり流されて一緒に頷いている。
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