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 寝る支度のあいだも、舞はほとんど薪から離れなかった。
 希は帰宅したパパにべったりだし、まったく対照的な今夜の子どもたちだ。

 おバァちゃんとのお風呂の間だけ離れていたものの、体を拭くのも服を着るのも髪を乾かすのも「マキちゃんがいい」と甘えた。

 支度を終えて、手を繋いで子供部屋に辿り着き、繋いでない方の手で薪と一緒に“せ〜の”で襖を開ける。

 部屋には子ども用の小さな布団が二つ並んでいた。

 パパとお風呂中の希が出てくるのを待つ間、いつもの舞なら少し難しい本を読んで貰うのを楽しみにしている。なのに今日は本棚に見向きもせずに、すぐに布団に潜り込んだ。

「今日は何を読む?」

「本はいい。お話しがしたいの」

 いつでも寝られる体勢で布団のなか上体を起こした舞は、本棚を覗いている薪に「こっち来て」と、自分の隣に作った小さな空間をポンポンと片手で軽く叩いた。

「いいよ。どんな?」

「あのね、マキちゃんのパパとママのお話」

「…………!」

 舞に寄り添いかけた薪は固まって言葉を失う。
 どうしてこんな小さな子の前で、激しく戸惑いを見せてしまったのだろう。

 その動揺は当たり前に読み取られていた。
 だから続けて訊かれたのだ。

「もしかして、マキちゃんのパパとママも天国にいるの?」と。

「うん。僕が子どもの頃、天国に行ってしまったんだ」

 観念して薪は答えた。

「それは……マキちゃんが赤ちゃんの時?」

「いや、今の舞より大きくなってからだよ」

 答えながら薪は舞を抱きしめる。

 答えざるを得ないのだ、この子・・・だから。
 生まれてたった7ヶ月の赤子を襲った悲劇。
 この子は父と母の温もりや声の記憶はもちろん、顔すら写真でしか認識していない。たとえ7ヶ月間の“幸せ”が無意識の何処かに刻まれていたとしても、こんな非道い話があるだろうか。
 それも全て僕の――

「マキちゃん、ごめんね。さみしくなっちゃった? 舞はコーちゃんとおバァちゃんが赤ちゃんの時からだいじに育ててくれたから大丈夫なんだよ」

 薪の身体の震えに気づいた舞が、腕の中から伸び上がって、頭を撫でてくれる。

「僕も大丈夫、さみしくなんてない。代わりに育ててくれるパパみたいな人と、二人で暮らしてたからね」

 よかった……と、自分のことのように安堵する舞。
 そして今度は考え込むような顔になる。

「それってさ……どっちがマキちゃんの本当のパパだと思う?」

「……どっちも……本当のパパだよ」

 そう答えたら、嘘をついた気持ちになった。
 でもそれは嘘のようで本当に近い、本当のような嘘だ。
 今生の別れの間際、澤村さんあのひとに真逆の言葉を放ってしまったけれど。
 どちらの言葉も嘘じゃないし、やはり本当でもない。

「やっぱり? まいもそう思う。パパとかママって、ぜんぶ本当でいいんだよね?」

 舞は目を輝かせ、嬉しそうに薪に抱きついてきた。

「保育園でまいちゃんパパは、コーちゃんのことだもん。それでね……」

 恥ずかしいのか、薪の胸に顔を埋めたまま、舞の声が急に小さくなる。

「マキちゃんは、まいちゃんママがいい……」

 薪がそれを聞き逃すはずがなかった。

「うん、僕もそれがいい」

 薪は舞と一緒に子供布団に横たわり、舞のお腹にタオルケットをふわりと被せた。

 安心した舞は夢心地で目を閉じる。

 薪のいい匂いやサラサラの髪が大好きだ。

 全然覚えてない天国のママに抱かれているような、懐かしくくすぐったい気持ちになるのだ。

 コーちゃんや、おバァちゃんとも違う、お花畑にいるように甘くふんわりした幸せは、マキちゃんとしか味わえない。



「あれっ? 薪さんがはみ出してる」

「当たり前だ、子供の布団だぞ」

 くしゃくしゃの髪を手櫛で直しながら薪が起き上がると、常夜灯の下で腕に抱いた眠る我が子をそーっと布団に降ろす青木と目が合った。
 一瞬ときめきに揺れた薪の瞳は、沈んだ色になって、幸せを絵に描いたよう父子を神妙な顔で見つめている。

「お前は……その子・・・が怖くないのか」

「……??」

 急に零れた重い言葉の不意うちに、小さな希の身体にタオルケットを掛けながら撫でる大きな手の動きが、ふと止まる。

「……僕の……遺伝子が……」

「ええ、たしかに怖いくらいです、愛しすぎて」

 薄明かりに浮かんだ青木の横顔。
 その眼差しは、一点の曇りのない愛情を滲ませながら、希と舞へ分け隔てなく注がれている。

「っ、そんなだからお前は……」

 視界を熱い涙で揺らしたまま、薪は顔をそらして指先で目元を拭う。

「おかしいですか?」

「ああ、凄くおかしい」

「なら……」

「……っ……」

 唇に触れ、頬を撫で、首筋に潜り込むキスと深い呼吸が、薪の熱い肌をぞくりと震わせた。

「……俺のどこがおかしいのか、あちらでゆっくり教えてくれますか?」

 腕の中の薪を包み込み、人の感情を匂いで察知する犬みたいに、キスで嗅ぎ回りながら青木が訊ねる。

「……ん……っ」

 蕩けていく肌を持て余して頷く薪の肩を抱き、青木は隣の寝室へと縺れ込んだ。
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