3

 髪も服もくしゃくしゃで茫然と佇む薪の、瞳を潤ませ頬を紅潮させた顔が、テレビの画面一面に、大写しされている。

“おめでとう、マキ。とても愛らしい男の子だよ”

 慌ただしく行き交うスタッフたちの合間を縫って歩み寄るクルト。その太い腕に抱かれた赤ちゃんが、震える薪の手に渡る。

 照れと緊張まじりの面持ちで小さな我が子を抱く薪。恐る恐る差し伸べる指を掴んだ、生まれたての小さな手指の力強さに表情が綻ぶ。
 
 カメラは感極まり涙する二人の姿が交互に映しだす。

 ”あら、服がびしょ濡れじゃないの“

 ザンドラが通りすがりに薪の前で立ち止まり、上から下まで眺めて叫んだ。

 「風邪引くわよ」と着替えを手にしたザンドラが、薪の腕を掴んで更衣スペースのカーテンを引きながら入っていく。

 ここで映像が、次の場面に切り替わった。

“嚥下してる様子がない。何も出てないんじゃ……”

“いいえ、ほんの少しは分泌されてるみたいよ。初乳は数ミリでも取り込む価値はあるわ、ママからの初めての贈り物だもの……ね”

 更衣室内で、裸の片胸にセンサーを当てられた薪の姿がフォーカスされていく。
 薪はもう片方の胸元で抱く赤ちゃんに心配げな熱い視線を、ザンドラはそんな母子に慈しむような笑みを投げかけている。

 “がんばれ……” と思わず零す薪の平らな胸に、小さな赤子が必死で吸い付いている。
 そしてハラハラしながら我が子の吸啜を見守る薪の綺麗な横顔――
 
「わぁん、ノンちゃんかわいいよぉ……」

「希ぃ……グスッ……薪さん尊すぎる……」

 感涙にむせぶ叔父と姪が、今日もお茶の間のテレビ画面に前のめりに見入っている。
 何度観たかわからないこの動画に、毎回泣きながら見入る二人。こういうところは本当に、実の親子みたいにそっくりだ。

「青木も、舞も、そろそろごはんだぞ」

 半分開いた襖から、薪がちょこんと顔を覗かせた。

「え〜っ、あとちょっと。ヨンちゃんがコーちゃんのこと、ハンサムって言うところまで見る〜」

「舞……それはいいよ、早く行こう」

「えー」

 薪の顔を見るや否やそわそわして腰を浮かす青木と、不服げに画面の前から動かない舞。
 でも急に明るい顔になって、飛び跳ねるように立ち上がる。
 「パパ〜、まいたん〜、ごはん〜」と、食卓から希の呼ぶ声が聞こえたからだ。


 青木が第三管区に異動した2066年4月から4ヶ月が経った、今は8月だ。
 前半は捜査本部が立ち上がり二人とも帰宅さえままならない状態だったが、峠を越えた盆明けから、薪はずっと在宅勤務をしている。

 重要事件の後処理と第三管区の諸捜査を室長の青木に一任し、その他の管区も指示だけで回す。薪は意識的に働き方を変えていた。

 岡部依存傾向だった第三管区に颯爽と乗り込んだ青木も、自分にしかできないやり方で組織に新しい息吹きをもたらした。
 そして自身の顔つきも変わってきたようにみえる。
 上司であり家族である愛しい人が、仕事も家庭も頼もしくフォローしてくれている。
 同居を始めてから色んな波に揉まれながらも、親子三代の絆が織りなす安心感と幸福感は、何にも代えがたいものだから。


「あれ?鯛飯だ、珍しいなぁ」

 肉じゃがに焼き茄子、茶碗蒸し。馴染みのある母のレパートリーに添えられた、彩りよく上品に香り立つご飯に目を奪われた青木は、素直に顔を輝かせる。

「いやだわ、一行忘れたの? もうすぐノンちゃんの誕生日だから、マキさんがご馳走作りの練習してるんじゃないの」

 エッ、母さんそれ言っちゃダメなやつじゃ……聞いて固まる青木の横で、案の定薪が真っ赤な顔をそむけていた。

 一同、仕切り直して「いただきます」と手を合わせる。


「そういえばさ、舞。これからパパのこと“ハンサム”っていうの、家の中だけにしようか」

「……え〜、なんで?」

「いや、ハードル上がって、お迎えとか行きづらいから……」

「はーどる?」

「そう、ママは文句無しに格好良くて綺麗だけど、俺は……ガッカリさせても悪いし」

「えーガッカリはないって! ママだってパパのことハンサム、っていつも……」

 ガタン! と立った薪の椅子の音に、他の四人が一斉に目を向ける。
 青木は青ざめ、子どもたちは何も知らない無邪気な笑顔を……おバァちゃんはすべてを察しつつ長閑な見守りの視線を送っている。

青木パパ。お醤油どうぞ」

「あ、りがとうございます」

 縦線を浮かべ直立不動の薪から押し付けられた醤油を、青木は両手でうやうやしく受け取る。
 醤油はさっき使ったのだが、薪の居た堪れなさを察してるだけに、黙って焼き茄子にもう一度ふりかけ口に運ぶしかない。
 幸せいっぱいの塩分濃度を噛みしめながら。

 そう、ここでの薪の序列は決して高くないのだ。
 舞や希、祖母には到底敵わなくて、辛うじて青木よりは上位を保ってはいる。が、子どもの手前ある程度立てなければならない。
 そうやってある意味肩の荷を下ろし、人の温かみに上下左右から揉みくちゃにされながら、ペースを崩されて零れる素顔の一つ一つが、青木にとっては堪らなく愛しい。
 人目を憚らず抱きしめてしまいそうな衝動と戦うのに必死の毎日だった。
 

「ねぇねぇ、今日の桃のコンポート、ノンちゃんすっごく気に入ってたよね」

「うん、でもデザートはどれも反応いいからな……こないだのシャインマスカットと、どっちが好きなんだろう」

「あ〜っ、それもあったね!迷う〜」

 日中出勤していたパパは、希と遊びながらお風呂の準備をしている。
 薪と舞は台所で夕食の後片付けをしながら、来週の希の誕生日ディナーとケーキづくりに向けての、作戦会議をしていた。

「鯛飯は大成功だったよね。コーちゃんもおバァちゃんも喜んでたし、ノンちゃんもパクパク食べてたし。ふわふわですごく美味しかったよ」

「確かに、粗で出汁をとって、切り身だけ入れたのが正解だったな。よし、和食主体でいくなら、めでたいし鯛飯は必須にしよう」

「でもマキちゃん大丈夫? 骨までキレイに取るの、結構大変そうだったけど……」

 舞がいつも目に見えてハードワークな薪を、心配げに見上げている。

「大丈夫だよ、家族のために何かするのが、僕の楽しみだから」

 タオルで水気を拭いた手で舞の頭を撫でると、ぎゅーっと腰に抱きついてくるから思わず抱き返す。

「……ありがと、ママ……」

 “希の前でしか使わない呼び名”で急に呼んでくる舞の不意打ちに、薪の心はドキリと揺れた。
1/1ページ
スキ