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 朝食後は二人ともそれぞれの仕事に勤しんでいる。

 何かにつけて東京出張が頻繁な室長配下の第八管区は恙無く回ってる。元祖第九の長男・岡部が舵を取る第三管区も、所長の不在くらいでは当然びくともしない。
 平常時は全国どこの管区も、薪が“昼過ぎ出てきてお茶飲んでたまにハンコ押して5時に帰る”仕事をしたって問題ないくらいに、第九は出来上がっているのだ。

 一つ屋根の下で、リモートでの仕事初め。
 最初は同室だったが、今は別々の部屋で捜査を進めている。
 青木の声やアクションがいちいちデカくて気が散る、と三十分もしないうちに薪が別室に移ってしまったのだ。

 昼ご飯と希の世話をおバアちゃんと舞に任せるのは、とても楽ちんだった。
 毎週月木に買い物を届けてくれる従姉妹の涼とも会えて、今度鼓海さんも交えておバアちゃん同士の交流を、なんていう話で盛り上がった。

 薪と青木と舞と希、そしてお母さんと。近いうちにこの家で一緒に暮らす流れを遮る要素は今のところ見当たらない。が、年末に受け取った異動願いを薪は保留のまま宙に浮かせていた。
 決めるのは、肝心なことを青木の口から聞いてからだ、と思うから。


「アンタたちがこんなに忙しいなら、もっと居てやればよかったねぇ」

 仕事の合間に薪が希を昼寝させたばかりの、午後3時。
 滞在していた部屋を塵一つない状態にして出てきた母が、薪の姿を見て苦笑する。
 少しの間この部屋に閉じこもって出てこなかった三人だ。
 青木と母とで舞も交えて何か重要な話をしているのは、襖越しの空気で伝わってきてはいた。

「薪さん、お世話になりました」

 三人は笑顔で頭を下げた。
 根っから明るい息子と孫に対して、苦味が混じりがちな母の表情も、今は曇りなく輝いている。

「何言ってるの、一行はここへ残りなさい」

「えっ?」

「希の面倒をマキさん一人に任せちゃ可哀想でしょ? 飛行場へ送るだけでいいから」

「は? あの、そんなこと急に言われても……」 

「いーじゃん、コーちゃんだけヒコーキ乗りホーダイのチケットなんだし、もう少しノンちゃんのとこにいてあげなよ」

 5歳の幼女にまで後押しされ決断がぐらつく大男を眺めながら、薪がくすくす笑っている。

「年明け早々室長の俺が受け持ち管区を空けるのは良くないし……ねえ、薪さん」

「フッ、何を今更」

 薪は戸惑う青木の袖を掴んで隣に引き寄せ、母に向き合い頭を下げた。

「お母さん、ご配慮ありがとうございます。それではもうしばらく、こちらで一行さんの力を借りますね」

「……い、イッコウさん……!?」

「じゃあね、舞ちゃん。また希に会いに来て」

 赤面して固まり脳ミソを爆発させてる青木を横目に、薪は優美な笑顔で舞と目線を合わせて囁き、瞬く間に二つのハートを一網打尽だ。

「送迎よろしく頼んだぞ」

 天気のいい庭に先に出ていく祖母と孫娘の背中を愛しく見送りながら、薪は青木に車のキーを手渡す。

「状況が落ち着いてるうちに、こっちで研究発表の資料でも片付けていけ。その間緊急事態になったらどこへなりとも飛べばいい。第八管区あいつらはお前の要不要くらい判断しながらこなせる奴らだ」

「……はい」

 いざとなれば警視庁ヘリを出動させそうな勢いの、冗談ともつかない言葉。そんな言葉がでるほどに薪の機嫌はいいのだろう。
 まだ薪さんや希と一緒に居られる。ヨシッ!と青木は、キーを収めた拳を強く握りしめた。



 一旦増えただけの五人が、元の三人に戻っただけなのに、随分静かに感じる夜だ。

 空港から戻って仕事を片付けた青木は、先に寝ている二人を起こさないように、明日の仕込みを済ませて風呂に入る。

 ようやく寝支度を終えて自室に戻ると、トールサイズのベッドの上で膝を抱えた薪が、ぽつんと待っていた。

「あれ、薪さん……」

 “風邪引きますよ”と心配げに駆け寄る青木。

 こんなとき薪の脳裏にいつもよぎる。
 僕はそんな良いもんじゃないのに物好きなやつだな――穢れない男の腕の中に大切に包まれるのは、収まりが悪いはずなのに、それ以上に居心地が好い。
 それだけじゃない。
 ぽかぽかに温まった大型の生き物の重みにすっぽりと覆いかぶさられた身体は、冷えていたのに一気に熱くなってしまうのだ。

「……あれは、どういうことなんだろう」

「……え?」

「お母さんの敬語がなくなって、希を呼び捨てにしてた」

「……良いことじゃないですか?」

「それに対して僕だけ敬語を使うのは、他人行儀かな」

 大きな手が背中を撫でながら上衣をずらし、覗かせた肩先に唇が押し付けられる。

「どっちでもいいんです、あなた自身にしっくりくる話し方なら」

 一度敬語をやめても、また使ってもいい。
 腹が立ったら荒めの言葉で文句を言ったっていいんですよ、その日の気分で。家族なんだから。

「……ん…っ……」

 そんな言葉とともに刻まれるキスが、薪の熱を帯びた首筋を撫で上げていくのが、震えるほどきもちいい。

「……そうだ。薪さん」

 顎先を優しく吸いながら離れる唇に、薪が熱い息を吐いてうずうずと身じろぎする。
 そんな薪を組み敷いたまま背筋を伸ばした青木は、畏まって宣った。

「例の異動届、受理していただけたら。そして4月からは、母も一緒にこちらでお世話になりたく……」

「お母さん自身はどう仰ったんだ?」

「一行の家庭のことだから一行たちで決めたらいい、と。まあ、そう言いつつ母も、何だかんだで俺たちのこと心配してるので……」

「ああ、お母さんにも近くにいてもらうことが、僕も一番大事だと思う」

「……」

 今朝の庭での母と薪の会話を知らない青木が、感嘆とともに息を呑んだ。

「薪さん」

「……なんだ」

「キスしたいです」

 さっきからずっとしてるくせに……肯定も否定もできずに視線を逸らす薪の唇を、答えを待てない青木の唇が熱く奪っていく。
 はじめは優しく吸って、身体を撫で回す手指に絆されしだいに開く口の間に舌を割り込ませると、薄い舌がたどたどしく絡む。
 可愛くてゾクゾクしながら、青木は愛しい人の狭い口内を舌で詮索しはじめた。
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