☆希望という名の

「ドクトル・ベッテンドルフ!」

 M.D.I.P内に併設する例の・・実験室に、薪が駆け込んでくる。
そこにはリーダーの男が、サンルーム仕様の休憩室で一人昼食をとっていた。

「いい加減クルトと呼んでよ、マキ。どうしたんだい?」

 テーブルについたまま落ち着き払って振り返るクルト=ベッテンドルフ博士に、薪は必死の形相で詰め寄る。

「受胎したと思う。僕の体をすぐ調べてくれ!」

「ふ〜ん。って、えぇっ!?……何だってぇ!?」

 いつもなら休憩時間を頑なに確保したがるクルトも、今回ばかりはハンバーガーを手にしたまま立ち上がる。

「聞いてるのか?受胎したんだ」

「……わ、わかってる。まずはホルモン検査を向こうで済ませてくれ。俺もマールツァイト(昼休憩)を超速で済ませて行くから」


 完全自動でホルモンチェックを受けている検査室の“使用中”と光るドアがノックとともに開き、また別の男が飛び込んでくる。

「おい……マキ!仕込みが早過ぎないか!?つい先月そんな話をしてたところだったろ?一体誰と……」

「僕の……家族のように思ってる男だ」

 共に被検者のヨン=イヴァル博士の問いかけに、検査を終え振り向いて答える薪。
 その顔を見て、さすがのイヴァル博士もドキリとする。初めて見る、切ない熱に浮かされた彼の表情は美しすぎて目の毒だ。


「ほら!スイッチできてる!早く来てくれ……クルト!!」
 
 検査結果を示す小さなモニターを覗いた瞬間、薪は声を張り上げる。
 前回と比べ明らかにホルモンバランスが変化しているのだ。
 心配げに見守るイヴァル博士を横目に、薪はさっさとスラックスを脱ぎ、自ら検査台に上がりながらクルトを「早く!」と急かしている。
 

 「ああ、これはヤバいことになりそうだ。マテウス(実験仲間)たちが戻ってきたら、興奮してひっくり返るぞ」
 
 準備を済ませ検査着を纒いながら近づいてきたクルトも、気持ちの昂りを抑えられない様子で台の前に立つ。
 そして一緒に入ってこようとしたイヴァル博士の前で、カーテンをピシャリと閉めた。

「えっ、立ち合いダメ?」

「悪いな、ヨン。被験者仲間であろうと付き添いは許されない。結果はいずれ報告書に纏めるからそれ読んで。君自身の妊活の進捗も楽しみにしてるよ」
 
 
 昼休憩を終えた研究員たちがぞくぞくと帰ってくる中で、薪の体内で受精卵を探し当てて確保するための、自走式の微小なカメラ付き装置が送り込まれる。

 ピンセットの先ほどのカメラが映し出すμ〜mmの世界を可視化した巨大なモニターに、研究メンバー全員で目を凝らす。
 エコーでスキャンする全体像と並行し、居場所の見当をつけながら、自動検知と肉眼の両方で探すのだ。
 
「モニターを、もっとこっちへ向けてくれ」

 薪も検査台で上体を起こして、食い入るように画面を見ている。

 生殖腺が変化を遂げても、体外受精の魚類と違い、体内のどこかに受精可能な環境がつくられていなければ望みは薄い。ラットでは機能的再編成の成功例があるが、ヒトは初の試みなのだ。

「マキ、性交したのはいつ?」

「昨晩零時前だ。その後の排卵を想定して、念のため翌朝四時頃にも」

「……パーフェクト」

 エコーが卵管を投影し、その内側に潜ったカメラが受精卵を捉えたのをみて、一同がどよめく。

「あったぞ!」

「……おい、取り出さないのか?」

 カメラが捉えた画像をうっとり見つめるメンバーたちに向かって、必死の薪が“早く我が子を救出しろ”とばかりに訊ねる。

「うん。今はほら、まだ細胞分裂を繰り返しながら君の卵管を胚の移送中だ。胚盤胞になるまでママのお腹で育てて、カメラに備えた小さな子宮内膜代わりの袋にキャッチする。そこでめでたく着床ってのが理想的だな」

 そんな、悠長な……薪は心許なさに腹部に両手を当てて、震える声でまた訊いた。

「僕の中で……どのくらい?」

 リスクを最小限に抑えるために、本当は今すぐにでも取り出して保護したいのが正直な気持ちだ。

「普通なら5〜6日で着床だ。心配しなくても卵管機能はしっかりできてるようだし、体内に仕込んだカメラが常に細胞単位まで受精卵を見守っている。万が一育つ前に何か起これば、すぐに内膜袋に確保して俺たちが対応するから大丈夫だよ」

「……わかった。フォローはしっかり頼む」

 常に不安と隣り合わせなのは、自分に限らず母体の宿命だ。
 頭では解っていても、芽吹いてもいないこの命を喪うのが、今でも酷く怖ろしい。

 凍り付くような薪の不安を溶かすように、メンバーの明るい声が響いた。

「それにしてもマキ、活きの良い精子を貰ったもんだね!君の中でまだいくつも元気に泳いでるよ」

「っ……」

 薪が頬をまっ赤に染めるのを見て、クルトは笑った。

「本当だな、まるで二十代並の勢いだ」

「……ああ、確かにまだ二十代だ」

「……は!?」

 マキは見た目は少年だが、たしか俺と同じで40近かったはず……とクルトが目を丸くする。
 そして“やるぅ” “色男”などと冷やかす声や口笛が飛ぶ中で、薪の中に数ミリの採集器具が新たに送り込まれた。

「ちょうどいい。何かあった時に父親の遺伝子情報が役に立つだろうから、このコたちも採取しておくよ」

 頷いた薪の胸がチクリと痛んだ。
青木、すまない。真摯に届けてくれたお前の想いを、僕はここで好き勝手に利用している―――
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