桜の下で思わず求婚する話
「俺が欲しいのは、ロマンチックな夢じゃありません。あなたを一番近くで守る、法的な正当性なんです」
「正当……性?」
意外な言葉を聞いた薪が、眉を僅かにひそめる。
青木は震える指先を逃がさないよう、さらに力を込めて語りかけた。
「そうです。もしあなたが倒れた時、もし俺が死にかけた時。どんなに愛し合っていても、他人のままだと病室のドア一枚開けられない。最期を看取ることさえ許されない……俺は、それが怖いんです。あなたの最期を看取るのも、俺の骨を拾ってもらうのも、他の誰でもない、お互いでありたいんです」
青木の切実な熱が、薪の指先へと伝わっていく。
「俺の命を預けられるのは、世界であなた一人だけです。だから、あなたの命も俺に預けてほしい。そのために……俺を、あなたの『夫』にしてください。薪さん」
薪の瞳が、青木の深い情愛に射すくめられて震える。
口当たりの良い焼酎に酔わされたせいなのか、それとも青木の直球すぎる熱情に当てられたのか。
(僕はどうしたい? 受け入れたいのに、受け入れるのが怖い――)
葛藤を飲み込むように、薪は深い息を一つ吐くと、空いた方の手で青木の火照った頬にそっと触れた。
「……看取るだなんて。お前にそんな重荷を背負わせるのは不本意だし、僕がお前の骨を拾うことなど、年齢の差を考えればまず有り得ない話だが……」
薪は微かに口角を上げた。その瞳には、無防備で深い、慈しむような光が宿っている。
「いいだろう。お前の命を預かる責任、僕が取ってやる。ただし……」
薪は思い切ってそこまで吐き出した後、自らの言葉の重みに動揺するように、視線をデスクの空の盃へと落とした。
「お前の気が変わらないことが条件だ。もし将来、お前が別の幸せを見つけたのなら、僕に縛られる必要はない。その時は黙って去ればいい」
「――は?」
青木は険しい顔になって両手で薪の手首を掴み、自分の方へ引き寄せた。
そして少し蒼ざめたその顔を覗き込む。
「薪さん、いくら俺でも怒りますよ。一生かけて、命を預ける話をしてるんです。心変わりなんて、あるはずが……」
言いかけて、青木は息を呑んだ。
「……薪、さん……?」
薪は目を見開いたまま、まっすぐに青木を見つめていた。その美しい瞳から、大粒の涙が音もなく溢れ、頬を伝って顎の先からぽろぽろと零れ落ちたからだ。
声も立てず、表情も変えず、ただ、糸が切れたように涙だけが止まらない。
「去ってもいい」
その言葉の裏には、高潔な理屈などなかった。
あるのはただ、ひたむきで剥き出しの恐怖だけなのだと思う。
もし、青木がいなくなったら。
もし、この選択が青木にとって誤りとなったら。
もし――
「薪さん……すみません。怖がらせて」
青木は愛しさで胸をいっぱいにしながら、震える薪の体を壊れ物を扱うような手つきでソファへと導いて、そのまま二人で崩れ落ちるように深く抱きしめた。
「怖くないですよ。俺は逃げないし、あなたを逃がしもしない。縛っていいんです。それが『約束』というものなんですから……いいですね?」
青木の胸に顔を埋めた薪は、しばらくの間、子どものように青木のシャツをぎゅっと握りしめていた。
焼酎の酔いと、極限の緊張からの解放。
やがて薪の身体がほどけて、すべてを預けるように青木の腕に寄りかかってくる。
「……全く、どれだけお可愛いらしいんですか、あなたは」
「……うん」
薪は青木の胸に顔を埋めたまま、夢見心地で頷くだけだ。
そのあまりの無防備さに、青木の心臓が跳ねる。
「そろそろタクシーを呼びますよ。もう母さんたちもとっくに寝てるだろうし、今夜はあなたも一緒に俺の部屋で、ゆっくり休めばいいので」
「……うん」
「……薪さん。俺たち、幸せになりましょうね」
「……うん」
酔いが回ったせいなのか、何を言っても全肯定。
普段の薪からは想像もできないほど甘えきったその様子に、青木は堪えきれない愛しさがまた込み上げる。と同時に、理性の防波堤に怒涛のような情欲が押し寄せ、全身の血が滾るのを自覚する。
(ダメだ。今、このままこうしていたら、俺の方がおかしくなる……)
昂ぶる感情に抗うように、青木はテーブルの麦焼酎をひっ掴んだ。そして琥珀色の液体をぐい呑みに注ぎ、喉を焼く熱い一撃を、煽るように一気に飲み干す。
ぷはっ、と青木が荒い息を吐いた、その時――
「……なんて飲み方をするんだ。青木」
不意に、“上司”の質感を僅かに取り戻した声が、耳元でとろんと響いた。
驚いて視線を落とすと、そこには青木の胸元から顔を上げ、僅かに目を細めてこちらを睨む、愛くるしい“所長”がいた。瞳の端にはまだ涙の名残があるというのに、叱る口調だけは一人前だ。
「……お前がそんな飲み方をする気なら、タクシーはキャンセルだ。ここで朝まで僕が、お前の“指導”を……」
そこまで言いかけた薪は、また力尽きたように青木の腕の中へ、すとん、と頭を預けた。
今度は本当に、深い眠りに落ちたらしい。
青木は空になったぐい呑みを握りしめたまま、しばらくの間、時が止まったように固まっていた。
「やば……今の、心臓に悪すぎる……」
寝落ちしてなかったら、所構わず淫らな“指導”を受けていたことだろう。そんなふうに艶めかしく煽っておきながら、寝顔は幼く清らかなのが罪深すぎる。
明日の朝、この人はどんな顔で目を覚ますのだろうか。どんな顔をしていようと惚れ直す自信があった。
青木はタクシーを手配したスマホをポケットに仕舞うと、覆い隠す勢いで薪を抱きすくめた。
こんな可愛いひとを、誰の目にも触れさせたくない。
頭のてっぺんから爪先まで、いや、薪を纏う空気さえも全部奪い去って、今は自分だけのものにしたかった。
青木は独占欲を滲ませた苦笑を浮かべながら、腕の中の、世界で一番大切で、愛くるしい“家族”を、抱きしめる腕に思い切り力を込めた。
「正当……性?」
意外な言葉を聞いた薪が、眉を僅かにひそめる。
青木は震える指先を逃がさないよう、さらに力を込めて語りかけた。
「そうです。もしあなたが倒れた時、もし俺が死にかけた時。どんなに愛し合っていても、他人のままだと病室のドア一枚開けられない。最期を看取ることさえ許されない……俺は、それが怖いんです。あなたの最期を看取るのも、俺の骨を拾ってもらうのも、他の誰でもない、お互いでありたいんです」
青木の切実な熱が、薪の指先へと伝わっていく。
「俺の命を預けられるのは、世界であなた一人だけです。だから、あなたの命も俺に預けてほしい。そのために……俺を、あなたの『夫』にしてください。薪さん」
薪の瞳が、青木の深い情愛に射すくめられて震える。
口当たりの良い焼酎に酔わされたせいなのか、それとも青木の直球すぎる熱情に当てられたのか。
(僕はどうしたい? 受け入れたいのに、受け入れるのが怖い――)
葛藤を飲み込むように、薪は深い息を一つ吐くと、空いた方の手で青木の火照った頬にそっと触れた。
「……看取るだなんて。お前にそんな重荷を背負わせるのは不本意だし、僕がお前の骨を拾うことなど、年齢の差を考えればまず有り得ない話だが……」
薪は微かに口角を上げた。その瞳には、無防備で深い、慈しむような光が宿っている。
「いいだろう。お前の命を預かる責任、僕が取ってやる。ただし……」
薪は思い切ってそこまで吐き出した後、自らの言葉の重みに動揺するように、視線をデスクの空の盃へと落とした。
「お前の気が変わらないことが条件だ。もし将来、お前が別の幸せを見つけたのなら、僕に縛られる必要はない。その時は黙って去ればいい」
「――は?」
青木は険しい顔になって両手で薪の手首を掴み、自分の方へ引き寄せた。
そして少し蒼ざめたその顔を覗き込む。
「薪さん、いくら俺でも怒りますよ。一生かけて、命を預ける話をしてるんです。心変わりなんて、あるはずが……」
言いかけて、青木は息を呑んだ。
「……薪、さん……?」
薪は目を見開いたまま、まっすぐに青木を見つめていた。その美しい瞳から、大粒の涙が音もなく溢れ、頬を伝って顎の先からぽろぽろと零れ落ちたからだ。
声も立てず、表情も変えず、ただ、糸が切れたように涙だけが止まらない。
「去ってもいい」
その言葉の裏には、高潔な理屈などなかった。
あるのはただ、ひたむきで剥き出しの恐怖だけなのだと思う。
もし、青木がいなくなったら。
もし、この選択が青木にとって誤りとなったら。
もし――
「薪さん……すみません。怖がらせて」
青木は愛しさで胸をいっぱいにしながら、震える薪の体を壊れ物を扱うような手つきでソファへと導いて、そのまま二人で崩れ落ちるように深く抱きしめた。
「怖くないですよ。俺は逃げないし、あなたを逃がしもしない。縛っていいんです。それが『約束』というものなんですから……いいですね?」
青木の胸に顔を埋めた薪は、しばらくの間、子どものように青木のシャツをぎゅっと握りしめていた。
焼酎の酔いと、極限の緊張からの解放。
やがて薪の身体がほどけて、すべてを預けるように青木の腕に寄りかかってくる。
「……全く、どれだけお可愛いらしいんですか、あなたは」
「……うん」
薪は青木の胸に顔を埋めたまま、夢見心地で頷くだけだ。
そのあまりの無防備さに、青木の心臓が跳ねる。
「そろそろタクシーを呼びますよ。もう母さんたちもとっくに寝てるだろうし、今夜はあなたも一緒に俺の部屋で、ゆっくり休めばいいので」
「……うん」
「……薪さん。俺たち、幸せになりましょうね」
「……うん」
酔いが回ったせいなのか、何を言っても全肯定。
普段の薪からは想像もできないほど甘えきったその様子に、青木は堪えきれない愛しさがまた込み上げる。と同時に、理性の防波堤に怒涛のような情欲が押し寄せ、全身の血が滾るのを自覚する。
(ダメだ。今、このままこうしていたら、俺の方がおかしくなる……)
昂ぶる感情に抗うように、青木はテーブルの麦焼酎をひっ掴んだ。そして琥珀色の液体をぐい呑みに注ぎ、喉を焼く熱い一撃を、煽るように一気に飲み干す。
ぷはっ、と青木が荒い息を吐いた、その時――
「……なんて飲み方をするんだ。青木」
不意に、“上司”の質感を僅かに取り戻した声が、耳元でとろんと響いた。
驚いて視線を落とすと、そこには青木の胸元から顔を上げ、僅かに目を細めてこちらを睨む、愛くるしい“所長”がいた。瞳の端にはまだ涙の名残があるというのに、叱る口調だけは一人前だ。
「……お前がそんな飲み方をする気なら、タクシーはキャンセルだ。ここで朝まで僕が、お前の“指導”を……」
そこまで言いかけた薪は、また力尽きたように青木の腕の中へ、すとん、と頭を預けた。
今度は本当に、深い眠りに落ちたらしい。
青木は空になったぐい呑みを握りしめたまま、しばらくの間、時が止まったように固まっていた。
「やば……今の、心臓に悪すぎる……」
寝落ちしてなかったら、所構わず淫らな“指導”を受けていたことだろう。そんなふうに艶めかしく煽っておきながら、寝顔は幼く清らかなのが罪深すぎる。
明日の朝、この人はどんな顔で目を覚ますのだろうか。どんな顔をしていようと惚れ直す自信があった。
青木はタクシーを手配したスマホをポケットに仕舞うと、覆い隠す勢いで薪を抱きすくめた。
こんな可愛いひとを、誰の目にも触れさせたくない。
頭のてっぺんから爪先まで、いや、薪を纏う空気さえも全部奪い去って、今は自分だけのものにしたかった。
青木は独占欲を滲ませた苦笑を浮かべながら、腕の中の、世界で一番大切で、愛くるしい“家族”を、抱きしめる腕に思い切り力を込めた。