桜の下で思わず求婚する話

 視界の端で、薄紅色の花弁がひらりと、冷えた若波さけの表面に落ちる。
 波紋ひとつ立てずに浮かぶその欠片を、薪は無表情で見つめていた。

​ 場所は、第八管区のある福岡城内地区近隣の、公園の特等席だ。
 提灯の明かりに照らし出された夜桜の下、第八管区の面々による親睦会おはなみは、まさに最高潮を迎えようとしていた。

 薪は上座で青木の隣に座り、静かに杯を傾けている。九州男児の多いメンバーだから、ビールを注ぐ手間もいらない。皆飲み慣れた焼酎を手酌し空ビンやパックが勝手に増えていくだけだ。ケータリングの料理もまずまず美味しかった。
 博多はいいところだ。そして薪にとっては、年輩者からも若手からも「青木室長!」と慕われる青木の笑顔が何よりの肴だったりもする。

​ そんな薪を“無表情”にしたのは、さっき遅れて合流した白石と、彼女を取り巻く雰囲気である。

 介護中の母の様子を見に一旦帰宅していた白石が持ってきた、差し入れの自家製ジビエジャーキー。

​「青木室長って、こういうのお好きじゃないですか?ワンコが喜びそうなものって、何だか室長も喜んでくれる気がして……」

​「わかる!室長、たまに尻尾が見えてるもんな」

「あー所長がいるときとか。ブンブン振ってるの、見えるわ〜」

 イジられるのは一体制時代から慣れっこの青木は、からかいを気にもとめずに「おっ、美味そうだな、ありがとう」と、つまんでいる。
 有り難く頂くのは目上の者として当然のマナーだろう。
 そんなことわかってる。

​「ウフフ、なんだか青木室長って『大型犬』みたいに、何でも本当に美味しそうに食べてくださるから素敵ですよね。所長もそう思われませんか?」

​ 天然な白石の言葉に悪意など微塵もない。
 それも、わかってる。

​​「……さあな。僕には、ただの図体の大きな部下にしか見えないが」
 
 薪の周囲だけが明確に温度を下げたのを、青木は背筋を走る戦慄で瞬時に感じ取った。

 以降、薪の手酌のペースが早まり、反比例するように口数が極端に減っていく。

​「薪さん、少し飲みすぎですよ。チェイサーを用意しましょうか」

​ 上司かつ恋人を案じて伸ばした青木の手を、薪の綺麗な指が冷たく払いのけた。

​「……構うな。誰にでも尻尾を振って懐くような犬は、僕の好みじゃない」

​「……え?」

​ 突然のあからさまな拒絶に、青木は目を丸くして表情を強張らせる。

「少し酔った。風に当たってくる」

 薪は少し気まずい顔をして空になった杯を置くと、その場に集まる花見客たちの宴の喧騒を背に、夜桜が重なり合う小路を歩きだす。

​「あ、薪さん、どこへ……」

​「トイレとかじゃないんですか? 室長、少し過保護ですよ。所長は子供じゃないんですから」

「そうですよ、たまには一人にさせてあげなきゃ」

​ 若手たちの暢気な宥め節を横目に、青木の冷静さは既にどこかへ吹っ飛んでいた。 
 彼らには分からないのだ。あの、涼しげな美貌の下に隠れた危うい魅力が、どれほど無自覚に人を惹きつけ、あらぬ災いを引き寄せてしまうのかが。
 あの無防備な背中を、月明かりの下に独り放り出しておくなど、青木には到底不可能なことだった。

​「っ、過保護で結構だ。中身もそうだがまずあの外見だぞ?一人で歩かせてナンパでもされたらどうするんだ!」

​「ええっ、この状況でそこ心配します!?」

​ 唖然とする部下たちを後目に、青木は弾かれたように立ち上がった。
 そして余裕の欠片もない表情で、桜のカーテンの向こう側へと消えた小さな背中を必死で追いかけていったのだった。
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