五年後からのトラベラー
五月の柔らかな木漏れ日が、三四郎池の古いベンチを斑に照らしている。
その風景は今までとは違う不思議な美しさに見えた。
青木はまだ、薪の隣に座っていられる幸運を噛みしめながら、次の問いを口にしようとした。
「あの、薪さん。もう一つだけ、お伺いしてもいいですか。MRI捜査の未来について……」
「いや。悪いが、君といられる時間はもう無くなった」
薪の声が、冷徹な響きを帯びて青木の言葉を遮った。
滞在可能な残り時間が半分を超えて、プロジェクト側も焦っているのだろう。
こめかみの奥を容赦なく掻き毟るような、不快な刺激。
薪の意識を何が何でも5年後の肉体へ引き戻そうと、断続的に脳に送られ始めた帰還パルスの鳴動が、神経を逆撫でし始めていた。
「君はここに……いるべきじゃない」
薪はベンチから立ち上がり、新緑の隙間から覗く法学部のガラス棟を、指先で鋭く指し示した。
「今すぐ講義に戻れ、青木。お前が聴講するはずの鈴木の講義……歩むべき正しい道は、あっちだ」
「え……? でもさっきあなたは時間を下さると」
「いいから行け!もう終わりだ!」
突き放すような怒声に、青木は言葉を失い途方に暮れて立ち尽くしている。
その傷ついた瞳を見た瞬間、ズキン……と、薪の胸を鋭い痛みが刺し貫いた。
なぜ、自分が無意識にここを選んだのか、ようやく分かったのだ。
この座標は、未来の悲劇を止めるための“特異点”。
大切な人を守るために来るべき地点だったのだ、と。
「青木」
「っ、はい!」
「僕の頼みを、聞いてくれるか?」
薪の輪郭が、陽炎のように微かに揺らぐのを気にしながら、青木が息を呑んで頷く。
「お前に伝えたいことがある……そして、あそこにいる鈴木克洋にも」
薪の視線が、一瞬だけ眩しそうに細められた。
まるで、もう二度と手が届かない、遠い記憶を追いかけるように。
「薪さん、何を言って……」
なぜ、出会ったばかりの自分に、この人はこれほど悲哀を帯びた深い眼差しを向けるのか。
なぜ、共に働く同僚に対して、二度と会えない相手に思いを馳せるような顔で、伝言を託そうとするのか。
まったくわからないのに、この状況を、魂が、まるで必然のように受け入れている。
「お前はこの先僕に“出会うな”。いや、出会ったとしても、関わるな。“大切なもの”を失いたくないのなら、絶対に」
「え……」
「そして、鈴木にも伝えてほしい。僕という人間に、そして僕の『秘密』に深入りするな、と。自分の命が惜しければ……あいつに警告してくれ!頼む!」
青木は、目の前の男が放つ絶望的なまでの真実味に、一歩、後退りした。
「どうしてそんな未来のことを、さも見てきたように話されるですか? 室長のあなたが、いつでも会えるはずの副室長への伝言を、なぜ俺なんかに? あなた、本当は何者なんですか?」
ただ、眼鏡の奥の双眸だけは不審に曇るどころか、溢れんばかりの純粋な光を湛えて薪を真っ直ぐに射抜いてくる。
(……ああ、そうだ。この眼だ)
薪は、眩暈にも似た震えを覚えた。
まだ何者でもない、法学部の一学生に過ぎない青年。それなのに、その真っ直ぐな眼差しには、地獄の泥濘さえも丸ごと受け入れてしまいそうな、底知れない「器」を感じさせる。
この先の未来で、数え切れない拒絶をぶつけ、突き放そうとしても、決して手を離そうとしなかった男。
その魂の原型が、今、無垢な輝きを放ちながら目の前に立っている。
この男にだけは、出会う前も、出会った後も、自分は勝てないのだという心地よい諦諦が胸を満たしていく。
残り時間が3分を切る。
視界の隅で赤く明滅する【ERROR】の文字と、無情に減っていくカウントダウン。
新緑の影に隠れた自身の指先が、ガラス細工のように儚く透け始めても、怖くなかった。
大切な親友や目の前の愛しい男を未来の不幸から守るためなら、ここで消滅したって悔いはない。
だからこそ、偽りない言葉が口をついて出たのだ。
「……僕は、この世界の人間じゃない。革新的技術を使って、五年後の未来から来た被験者 。だから本当に君や鈴木の行く末を知っているんだ」
その風景は今までとは違う不思議な美しさに見えた。
青木はまだ、薪の隣に座っていられる幸運を噛みしめながら、次の問いを口にしようとした。
「あの、薪さん。もう一つだけ、お伺いしてもいいですか。MRI捜査の未来について……」
「いや。悪いが、君といられる時間はもう無くなった」
薪の声が、冷徹な響きを帯びて青木の言葉を遮った。
滞在可能な残り時間が半分を超えて、プロジェクト側も焦っているのだろう。
こめかみの奥を容赦なく掻き毟るような、不快な刺激。
薪の意識を何が何でも5年後の肉体へ引き戻そうと、断続的に脳に送られ始めた帰還パルスの鳴動が、神経を逆撫でし始めていた。
「君はここに……いるべきじゃない」
薪はベンチから立ち上がり、新緑の隙間から覗く法学部のガラス棟を、指先で鋭く指し示した。
「今すぐ講義に戻れ、青木。お前が聴講するはずの鈴木の講義……歩むべき正しい道は、あっちだ」
「え……? でもさっきあなたは時間を下さると」
「いいから行け!もう終わりだ!」
突き放すような怒声に、青木は言葉を失い途方に暮れて立ち尽くしている。
その傷ついた瞳を見た瞬間、ズキン……と、薪の胸を鋭い痛みが刺し貫いた。
なぜ、自分が無意識にここを選んだのか、ようやく分かったのだ。
この座標は、未来の悲劇を止めるための“特異点”。
大切な人を守るために来るべき地点だったのだ、と。
「青木」
「っ、はい!」
「僕の頼みを、聞いてくれるか?」
薪の輪郭が、陽炎のように微かに揺らぐのを気にしながら、青木が息を呑んで頷く。
「お前に伝えたいことがある……そして、あそこにいる鈴木克洋にも」
薪の視線が、一瞬だけ眩しそうに細められた。
まるで、もう二度と手が届かない、遠い記憶を追いかけるように。
「薪さん、何を言って……」
なぜ、出会ったばかりの自分に、この人はこれほど悲哀を帯びた深い眼差しを向けるのか。
なぜ、共に働く同僚に対して、二度と会えない相手に思いを馳せるような顔で、伝言を託そうとするのか。
まったくわからないのに、この状況を、魂が、まるで必然のように受け入れている。
「お前はこの先僕に“出会うな”。いや、出会ったとしても、関わるな。“大切なもの”を失いたくないのなら、絶対に」
「え……」
「そして、鈴木にも伝えてほしい。僕という人間に、そして僕の『秘密』に深入りするな、と。自分の命が惜しければ……あいつに警告してくれ!頼む!」
青木は、目の前の男が放つ絶望的なまでの真実味に、一歩、後退りした。
「どうしてそんな未来のことを、さも見てきたように話されるですか? 室長のあなたが、いつでも会えるはずの副室長への伝言を、なぜ俺なんかに? あなた、本当は何者なんですか?」
ただ、眼鏡の奥の双眸だけは不審に曇るどころか、溢れんばかりの純粋な光を湛えて薪を真っ直ぐに射抜いてくる。
(……ああ、そうだ。この眼だ)
薪は、眩暈にも似た震えを覚えた。
まだ何者でもない、法学部の一学生に過ぎない青年。それなのに、その真っ直ぐな眼差しには、地獄の泥濘さえも丸ごと受け入れてしまいそうな、底知れない「器」を感じさせる。
この先の未来で、数え切れない拒絶をぶつけ、突き放そうとしても、決して手を離そうとしなかった男。
その魂の原型が、今、無垢な輝きを放ちながら目の前に立っている。
この男にだけは、出会う前も、出会った後も、自分は勝てないのだという心地よい諦諦が胸を満たしていく。
残り時間が3分を切る。
視界の隅で赤く明滅する【ERROR】の文字と、無情に減っていくカウントダウン。
新緑の影に隠れた自身の指先が、ガラス細工のように儚く透け始めても、怖くなかった。
大切な親友や目の前の愛しい男を未来の不幸から守るためなら、ここで消滅したって悔いはない。
だからこそ、偽りない言葉が口をついて出たのだ。
「……僕は、この世界の人間じゃない。革新的技術を使って、五年後の未来から来た