First name

その晩。

「つよし」

甘い闇の帳の中で、いきなり呼ばれた名前に心が沸き立った薪はぞくりと体を震わせる。

「……って、いい名前ですね」

「……ああ、」

「俺、初めてきいた時から“薪剛かっけー!”って思ってそれ以来頭から離れないんですよね。それこそあなたにお会いする前からずっと……」

「ふふ、父のセンスを気に入ってくれたのは有難いな」

薪は照れ隠しに洗いざらしの髪をふわりとかきあげる。
明日も祝日の三連休。
金曜の夜遅くにここへ来て、隙をみて何度か重ねあった肌は、パジャマ越しに触れあうだけで、ひとつに溶けてしまいそうな熱に、終始ここちよく浮かされている。

「その割には、呼ばないな?」

「へっ?」

俺が?あなたを?下の名前で?
鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこっちを見ている青木に近づいて眼鏡を外しながら、薪は鼻先に息を吹き掛けるように囁いた。

「行ちゃん」

「…………っ」

「……って僕はよく呼んでいるのに、不公平だと思わないか?」

「そ、それは舞との間でだけですよね?直接呼ばれたことは無いですから」

「じゃあ、一行」

この人はたまに、すごく大人げない。

「呼んだぞ。だからお前も呼べ」

「…………」

「一行」

大人げないその人はもう一度愛しい名前を呼んで、微笑み混じりに付け足した。

「お前こそ親の願いを体した男に育ってるじゃないか、良くも悪くもだけどな」

美しく艶やかな唇は、容赦なく繰り返す。

「おい、聞こえたのか?なあ一行」

駄目だ。

リクエストに答えるまで、きっとこの唇は“名前の連呼攻撃”をやめないだろう。
ただの意地悪じゃないところがまた堪らない。
ほんの少し照れの混じった、愛らしい響きに大きな全身をぞわぞわと擽られた青木は、とうとう白旗を上げる。

「つ………………つ………………」

薪の綺麗な瞳が続きを促すように、同じベッドの上でこっちを見上げてくる。

「……剛……」

“さん”と付け足される前に、初めてファーストネームを紡ぎだした青木の唇を、薪の愛しげなキスが塞ぐ。

この男に上司を呼び捨てできる意気地なんてあるわけないことくらい、薪はよ~く“ご存知”なのだ。
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