恋愛偏差値と歳の差

 金曜日、警視庁での会議を終えた青木は、解散するや否や、薪のいる第三管区へと駆け付けた。

 会議の緊張感もすっかり吹っ飛んだ青木の心は、この後の薪との逢瀬への期待で一杯だった。

​「……どこか、行きたいところはあるか?」

​ 所長室でPCに向かっていた薪は、青木を見ても反応が薄く、不自然なほど静かに尋ねる。
 しかし、伏せられた睫毛がしっとり匂い立つように……なんと美しいことか!

​(今日の薪さん、なんだかいつもよりセクシーだな……)

​ 青木は恋人に見惚れながら、ふと思いつきを口にした。

​「あなたとなら、どこへでも……あ、でも、もしよければ、今日はいつも岡部さんと行っている店に連れて行ってくれませんか?」

​ 岡部との会話で小耳に挟んだ、干物や白子が絶品だという赤提灯。
 薪の日常の一欠片に自分も混ざりたいという、純粋な好奇心だった。

「うーん……あそこか」

 だが、それを聞いた薪は即座に眉間にシワを寄せる。

​「あの店はお前に似合わない。別の所にしよう」

​「……そうですか。すみません、生意気なことを言って。別の候補を……考えてみます」

​ 目に見えてシュンと項垂うなだれる大型犬。
​ 気を取り直そうと席を立ち、一旦廊下に出た青木は、そこで喫煙室から戻ってきた岡部と鉢合わせる。

​「あ、岡部さん……ちょっと!」

​ 廊下の小会議室に困惑顔の岡部を連れ込んだ青木は、悲しげな面持ちで打ち明けた。

​「薪さんに行きつけの店に連れてってほしいと言ったら、『まだ早い』って。やっぱり俺、ガキだと思われてるんでしょうか」

​「……はあ?」

​ 半泣きの後輩を前に、岡部は深すぎる溜息をついた。

​(そりゃ、くたびれてすすけた店がデートに向かないってだけだろうが……)

​ 真相を察しつつも、そんな機微を薪に代わって説明するのも野暮だ。

​「大人の男になるには、どうしたらいいですかねえ」

​「うーん、まあ、あれだ。そんなにナメられたくないなら、大人の男らしいエスコートを決めるとかじゃねえか。薪さんがいい気分でムードに酔えるような、落ち着いた店を選んで……」

​ その場しのぎの投げやりなアドバイスを、青木は「さすが岡部さん!」とありがたく受け取ったようだった。


​ その後のデートに青木が予約したのは、雰囲気☆5つの「隠れ家バー」だった。
​ 看板もなく、重厚な扉を開ければ店内は蝋燭ろうそくの灯りだけ。

 暗がりの雰囲気に飲まれた青木は、半地下のソファ席に薪を案内しながら「本日はお招きいただき……」と店員に謎の丁寧語で挨拶する始末。
​ さらに追い打ちをかけたのは、テーブルにさえ仄暗いランプの光しかない状況だった。

​(……やばい。メニューが一文字も読めない……)

​ 洒落たフォントと暗闇のコンボに、青木は狼狽ろうばいするばかりだ。スマホのライトを点けるなんて、雰囲気ぶち壊しなこともできるはずがない。

​「の、飲み物は……とりあえず、一番強いやつを。ア・ラ・カルト……? は、えっと……おすすめのでお願いします」

​ 震える声で適当な注文を飛ばした青木は、冷や汗を拭う。

​「少し暑いですね、薪さんもジャケットをこちらへ」

​ 脱いだジャケットを壁にかけようと立ち上がった青木の頭上で、ゴツンと鈍い音がした。

​「あイタ……っ!」

​ 低いはりに激突した頭を抱えて、青木がソファに崩れ落ちる。

​「青木! 大丈夫か!?」

​ 慌てた薪が寄り添い、暗闇で痛みに悶える頭頂を撫でてやる。年上の恋人をリードするつもりが、開始早々ナデナデされて撃沈の青木。

​ だが、薪の方も余裕などなかった。

 暗闇の方が好都合……と意を決して、雪子から授かった『年上の色気』の実践を試みる。

​(リード……と、不意打ちのボディタッチ……だったな)

​ 薪は沈むようなソファで不自然に足を組み替え、雪子の教え通りにシャツのボタンをそっと外しながら身体を擦り寄せて、テーブルの下で探るように青木の手に指を絡める。

​「え、どうしました?」

​「っ……」

​ 愛しい男の体温に触れた瞬間、自分自身の心拍数が跳ね上がる。
 翻弄するはずが、自分の方が真っ赤になってしまい、ついには震える手を離して顔を覆ってしまった。

​「薪さん…… もしかして、どこか体調悪いですか?」

​ 顔色もわからない暗闇で、青木の大きな手が薪の額に触れる。

​「熱とかは……ないですよね」

​ 顔を近づけてくる青木に、そのまま惹き寄せられて、唇が触れそうになる――が、ドリンクを運んでくる店員の気配に、二人は慌てて離れた。

​ 気を取り直して、ひとまずは、乾杯。
​ 良い酒のはずなのに、味がしない。ただ、今しがた触れた互いの手の熱だけが、ひどく恋しくて堪らなかった。 

​「……この店は、暗すぎるし……なんだか暑いな」
​「そう、ですね。実は俺も、目が悪いので何だか落ち着かなくて」

​ 運ばれてきた料理の、影の濃い芸術的な盛り付けに、いつもは旺盛な青木の食も細くなっている。

​「すごく洒落てて……旨いですね」

​「……ああ。これこそ陰翳礼讃の世界だな」

​「……はは、確かに」

​ だが、何かが違う。
 自分たちが求めているのは、こういう静寂ではない。“枯れシャツ”から一巡して“侘び寂び”に戻っている場合ではないのだ。

​ 暗闇の中で、ようやく重なった二人の視線。
 あまりに不器用な背伸びの応酬に、どちらからともなく、クスリと吐息のような笑みが漏れた。

​「……青木」

​「はい」

​「……家に帰って、飲み直すか」

​「はい、喜んで! ……っイテっ!」

​ その言葉を待っていたと言わんばかりに、青木は即座に立ち上がり――そしてまた、頭を打ったのだった。
3/4ページ