レンズのむこう

 親戚一家とプール付き日帰り温泉で精一杯遊び、温まって帰ってきたおバアちゃんと舞は、離れで心地よい寝息をたてている。

 静まり返った母屋の青木の部屋では、夜の静寂が二人の間の沈黙をいっそう濃密に際立たせていた。
​ 青木は無言で、腕の中に収まった薪の肩を大切に抱きしめる。

 昼間、新調した二人の眼鏡も、今やもうデスクの上に置かれていた。

 だが、青木の視界は、暗がりの中でもクリアだった。
 薪の肌の陶器のような質感、熱に潤んだ睫毛の微細な震え。そして、自分を見つめる榛色の瞳の奥の光を、僅かの漏れもなく捉えている。

​「……青木」

​ 不意に、薪が安らぎに満ちた声で呟いた。
 その体温は心地よく高く、PCに向かっていた時の張り詰めた緊張感はどこにもない。
 薪は青木の胸に寄りかかったまま、青木のこめかみあたりに手を添えて瞼を、親指で優しくなぞった。

​「お前……最近は、はじめから眼鏡を外しているんだな。以前は、事の最中でさえ眼鏡を外すのを不便がっていたのに。ぼやけたままでも、僕の扱いに慣れたのか?」

​「……えっ」

​「手探りでも、わかるようになったのなら……それは良いことだ」

​ 寛いだ猫のような丸い瞳で、無垢な信頼を向けてくる薪。
 今、青木が「ぼやけた世界」の中で自分を感じ、その不自由さの中で自分を求めてくれていると信じて、愛おしんでくれているに違いない。 
​ 対して、自分はどうだ?
 青木は至近距離で寛ぐ薪の、あまりに鮮明な美しさと清らかさに、胸の奥が焼けるような疚しさと罪悪感を覚えた。
「慣れた」のではない。逆だ。
 コンタクトという姑息な手段を思いついただけのこと。
 この人の恥じらいも、甘い苦悶も、快楽に染まる表情やカラダのすべてを、黙って、自分のものにしている。
 そしてあろうことか、それを一人の夜のオカズにしているのだから――

​「す……すみません、薪さん!」

​「……?」

​ 青木は、吸い込まれそうな薪の瞳を真っ直ぐに見つめ、震える声で白状した。

​「違うんです……俺、見てるんです。そうやって無防備なあなたのこと、隅々まで。抱き合って、淫らになっている姿も、全部……! 今も、コンタクトを付けてます。裸眼のふりをして、視覚であなたを味わい尽くして、焼き付けて。会えない夜の慰めにもして……ごめんなさい。俺だけこんなに下劣で、変態で……! 今、すぐ外しますからっ!」

​「その必要はない」

​ パニックを起こして身を引こうとした青木の首に、薪の白い腕がしなやかに絡みついた。

​「え……?」

​「それなら僕だって、同類だ」

​「は……?」

​「僕だって、眼鏡店お墨付きの視力でお前を見て、その記憶を頼りに一人の夜に欲望を発散……することだってある。だから僕だけ隠すなんて……ムシが良過ぎやしないだろうか」

​ あまりに男前で、破廉恥すらスマートに感じる全肯定。
 薪の唇が近づいてきて、誘うような口づけで青木の唇を熱く絡め取っていく。深い、熱を孕んだキス。
 のめり込む一方で、今聞かされた薪の「同類」という告白が、どんどんリアルな妄想になって膨らんでいく。

​「でも……だったら、薪さん。……俺、どうしても気になって……」

​「何だ……まだあるのか?」

​「ええ。薪さんが、俺を想って独りで……って考えると、もう堪らないんです。あの、今ここで、その姿を俺に見せていただけませんか?」

​「は……っ!?」

​「なんでも見ていい、と仰っしゃるのなら……俺を想って一人でする薪さんを、今ここで視姦したいです。その一部始終をこの目に焼き付けることができれば……」

​「……お前……っ、どこまで図々しい……っ!」

​ 絶句し、耳の裏まで真っ赤にする薪。
 しかし青木の大きな手が優しく薪の手を包み、開かれた脚の間へと導いていく。抗えない愛の力。
 いや、抗うつもりなど、薪も最初からないのだ。

​「俺に会えない夜に何をしてるのか……全部見せて」

​ 青木は枕元に手を伸ばしてライトの角度を変え、容赦なく光を当てた。照らし出される薪の白皙の肌の艶めかしさに息を呑む。

 痛いほどの青木の熱い視線に促されるまま、薪の震える指が蜜の滴る自身に触れた。
 青木はその一挙一動を、瞬きさえ惜しんで、コンタクトのレンズ越しに凝視する。
​ 好きな男に視られている、レンズのむこう側。
 極限まで解像度を高めた世界で、薪のプライドも羞恥も、快楽に溺れて溶け落ちていく。
 拙い指使い、吐息の混じる唇、切なげに撥ねる足先。

​「は………あ……おきっ……、あ、……っ」

​ 形の良い唇が愛しい男の名を零し、しなやかな背を反らせて薪が果てた瞬間。
 青木は、そのすべてを逃さず、己の網膜と脳髄の奥底へと飲み込んだ。
​ 互いの隠しきれない情欲と、愛しさと、誰にも見せることのない最高に淫らな「秘密」の共有。
 だが、鑑賞だけで終わるはずもない。

​「薪さん……最高です。もう、無理……っ」
​ 上り詰めたばかりの身体を、愛する男の口唇や手指で容赦なく撫で回され、抱擁に揉みしだかれて。

 堕ちていくのか上り詰めるのかわからなくなりながら、愛し合う二人は、熱い肉体を絡め合い繋げて、互いを、互いに、深く焼き付けるのだった。
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