レンズのむこう
鼻先に載せた、学生時代の少し度の合わない眼鏡の位置を直しながら、ハンドルを握る青木の口角は、さっきからニヤニヤと上がりっぱなしだ。
荷室が広く車高を抑えたステーションワゴン。おバアちゃんの通院や買い出しに活躍するその車も、今日は二人だけのデートカーだ。
洗面所でのあの告白――薪が自分に「父」という、絶対的な慈愛の対象を重ねているという事実は、青木の胸をこれ以上ないほど熱くさせていた。
「前を見て運転しろ。ニヤニヤして、気味が悪い」
「すみません、つい。薪さんが俺をそんな風に思ってくれていたなんて、嬉しくて」
「まだそんなことを……言っておくが薪俊 はもっと落ち着いた、理知的な人だった。すぐに浮かれるお調子者のお前とはまるで性格が違う。さっきのはあくまで『顔つき』の話をしただけだからな」
「いいんです。顔だけでも、俺が薪さんの特別な存在でいられるなら」
「……ふん」
それは今も昔も変わらない。
薪が望むなら自分はどんな存在にでもなって、この人を守りたい、幸せにしたい、それだけなのだ。朝方、洗面所で無防備な彼を抱きしめた時の、あの静かな庇護欲は本物だった……はずだ。
天神の賑わいを抜け、予約していた眼鏡店に到着すると、薪の態度は一変して「目利き」のそれになる。
青木を什器の前に立たせると、表情をくるくる変えながら陳列台の上のフレームとにらめっこし、次々と候補を選び出していく。
「これは知的に見えるが、少し堅すぎるか。……こっちのハーフリムは、お前のその通った鼻筋が強調されて良いな」
真剣な眼差しで、青木の顔を「自分好み」に彩っていく薪。その瞳には、お気に入りの宝石を磨き上げるような、隠しきれない独占欲が透けて輝いている。
至近距離で自分を値踏みし、愛でる気満々の薪の熱い視線を浴びているうちに、青木の胸の奥で、一旦は眠らせていたはずの「雄の欲望」がまたムクムクと湧いてきてもいた。
(薪さん……そんな目で俺を見て、自分好みに飾り立てて、どうするおつもりなんですか。夜には全部剥ぎ取ってしまうのに……)
本能的な渇望からくる喉の渇きを覚えながらも、青木はされるがままになっておく。
「よし。これと、これにする。仕事用と、……休日に僕と出かける用を買ってやる」
「えっ、買ってやる、って。二つも!? 薪さん、そんな……」
「いいから黙ってろ。僕がこれをつけているお前を見たいんだから」
恋人を飾り立てて様々なハンサム顔を満喫した薪は、カウンターで眼鏡を外して視力検査をする青木の横で、店員へ声をかけた。
「……僕も、検査をお願いできますか」
「え? 薪さんもですか? 3メートル先の新聞の字が読めなくても、それは普通ですからね?」
検査台から振り返って突っ込む青木に、薪も至って真面目な顔で答える。
「お前は黙ってろ。老眼のチェックをするんだから」
「え? 童顔?」
「違う! 老眼だ、ロ・ウ・ガ・ン!」
「はあ……?」
かなりの間を置いてから、店内に青木の盛大な笑い声が響き渡った。
「あはははっ! 薪さんが!? 老眼!?」
「うるさい! 岡部に言われたんだ、視力の良い奴は進みが早いと。念のためだ」
***
「……驚異的ですね。老眼の兆候どころか、遠くも近くも、完璧です……素晴らしい視力ですよ!親御さんに感謝ですねぇ」
店員に褒められながら見送られ、駐車場へ向かう道すがら、肩を震わせ笑い続ける青木の横で「遺伝子的な親に感謝……親御 さんか」とブツブツ呟いている薪。複雑な出自とも知らず、店員も全く無責任なことを言ってくれるものだ。
「蛇の目、鳥の目、虫の目に魚の目まで物理的に持ってる薪さんが、老眼ッて。いやあ、岡部さんも罪なこと言いますよねえ」
「うるさいな。目は捜査員の命だ。危機管理をして何が悪い。一回り若いお前に揶揄われるのは不愉快だ」
薪は怒りながらも、青木がプレゼントしてくれたPC用メガネのケースを大切そうに両手に包み込んでいる。
青木が選んだのは、細身のラウンド型のフレームだった。エレガントでありながら、薪の中性的な柔らかさを引き立てる、愛くるしいデザインだ。
『これは在宅用ですから。俺と一緒にいる時だけ部屋で掛けていてくださればいいんです』
そんな独占欲丸出しのセリフと共に贈られたそれを、薪は否定しなかった。
自分だって、青木に「デート専用」の眼鏡を買い与えたのだから、お互い様だった。
その晩。寝支度を整えた青木が薪の部屋をそっと覗くと、そこにはPCに向かう上司の姿があった。
上層部と何やらやりとりしているらしく、キーボードを叩く指が小気味よい音を立てている。
「薪さん、お疲れ様です。お茶を……」
青木の言葉が途切れる。
デスクライトの光を浴びつつ薪の鼻先に載っているのは、昼間に買ったあの丸眼鏡だ。
丸いレンズ越しに、集中して見開かれた瞳。
さらりと落ちた洗いたての前髪と、繊細なフレームの曲線が何とも瑞々しい。その姿は、第三管区最年少の波多野と同世代だと言われても、誰にも一点の疑いも持たれないほどに愛くるしかった。
(……可愛い。無理、反則すぎる)
朝方、洗面所で父の面影を重ねて自分を見上げてきた、あの無垢な子供のような薪の姿がフラッシュバックする。
あの時は純粋に抱きしめることができた。が、好みの眼鏡を買い与えあった恋人を、今はもう、ただ優しく守ってやるだけの『家族』の枠には留めておけない。
青木の胸の内で、昼間からくすぶっていた情欲が一気に火の手を上げていた。
「青木? どうした。そんなところで突っ立って」
怪訝そうに眼鏡の奥の瞳を向けられ、青木は慌てて手元の湯呑みをデスクに置いた。
「いえ……やっぱり、よくお似合いだな、と思って。老眼どころか、新入りの職員に混じっても一番幼く見えますよ」
「お前……またからかっているのか!」
頬を朱に染めて怒る薪。だが、その顔さえもレンズ越しにきゅんとさせる柔らかさを帯びていて、青木の独占欲をこれでもかと刺激する。
「……いえ、部屋で、待ってますね」
夜の体温を滲ませた、熱く低い声。
そう言い残し、青木は薪の反応を待たず逃げるようにその場を後にした。
自室に戻る足でそのまま洗面台に立ち寄り、引き出しの奥から昼間は使わなかったあの「秘密兵器」――コンタクトレンズの箱を取り出し握りしめる。
(せっかくの眼鏡だが、一旦お役御免だ。シーツの上で涙を溜める薪さんの顔や、可愛い身体の反応を……[#ruby=この目_・・・]で、隈無く焼き付けてやる)
昏い独占欲にメラメラ灼かれながら、青木は不敵に口元を歪めた。
荷室が広く車高を抑えたステーションワゴン。おバアちゃんの通院や買い出しに活躍するその車も、今日は二人だけのデートカーだ。
洗面所でのあの告白――薪が自分に「父」という、絶対的な慈愛の対象を重ねているという事実は、青木の胸をこれ以上ないほど熱くさせていた。
「前を見て運転しろ。ニヤニヤして、気味が悪い」
「すみません、つい。薪さんが俺をそんな風に思ってくれていたなんて、嬉しくて」
「まだそんなことを……言っておくが
「いいんです。顔だけでも、俺が薪さんの特別な存在でいられるなら」
「……ふん」
それは今も昔も変わらない。
薪が望むなら自分はどんな存在にでもなって、この人を守りたい、幸せにしたい、それだけなのだ。朝方、洗面所で無防備な彼を抱きしめた時の、あの静かな庇護欲は本物だった……はずだ。
天神の賑わいを抜け、予約していた眼鏡店に到着すると、薪の態度は一変して「目利き」のそれになる。
青木を什器の前に立たせると、表情をくるくる変えながら陳列台の上のフレームとにらめっこし、次々と候補を選び出していく。
「これは知的に見えるが、少し堅すぎるか。……こっちのハーフリムは、お前のその通った鼻筋が強調されて良いな」
真剣な眼差しで、青木の顔を「自分好み」に彩っていく薪。その瞳には、お気に入りの宝石を磨き上げるような、隠しきれない独占欲が透けて輝いている。
至近距離で自分を値踏みし、愛でる気満々の薪の熱い視線を浴びているうちに、青木の胸の奥で、一旦は眠らせていたはずの「雄の欲望」がまたムクムクと湧いてきてもいた。
(薪さん……そんな目で俺を見て、自分好みに飾り立てて、どうするおつもりなんですか。夜には全部剥ぎ取ってしまうのに……)
本能的な渇望からくる喉の渇きを覚えながらも、青木はされるがままになっておく。
「よし。これと、これにする。仕事用と、……休日に僕と出かける用を買ってやる」
「えっ、買ってやる、って。二つも!? 薪さん、そんな……」
「いいから黙ってろ。僕がこれをつけているお前を見たいんだから」
恋人を飾り立てて様々なハンサム顔を満喫した薪は、カウンターで眼鏡を外して視力検査をする青木の横で、店員へ声をかけた。
「……僕も、検査をお願いできますか」
「え? 薪さんもですか? 3メートル先の新聞の字が読めなくても、それは普通ですからね?」
検査台から振り返って突っ込む青木に、薪も至って真面目な顔で答える。
「お前は黙ってろ。老眼のチェックをするんだから」
「え? 童顔?」
「違う! 老眼だ、ロ・ウ・ガ・ン!」
「はあ……?」
かなりの間を置いてから、店内に青木の盛大な笑い声が響き渡った。
「あはははっ! 薪さんが!? 老眼!?」
「うるさい! 岡部に言われたんだ、視力の良い奴は進みが早いと。念のためだ」
***
「……驚異的ですね。老眼の兆候どころか、遠くも近くも、完璧です……素晴らしい視力ですよ!親御さんに感謝ですねぇ」
店員に褒められながら見送られ、駐車場へ向かう道すがら、肩を震わせ笑い続ける青木の横で「遺伝子的な親に感謝……
「蛇の目、鳥の目、虫の目に魚の目まで物理的に持ってる薪さんが、老眼ッて。いやあ、岡部さんも罪なこと言いますよねえ」
「うるさいな。目は捜査員の命だ。危機管理をして何が悪い。一回り若いお前に揶揄われるのは不愉快だ」
薪は怒りながらも、青木がプレゼントしてくれたPC用メガネのケースを大切そうに両手に包み込んでいる。
青木が選んだのは、細身のラウンド型のフレームだった。エレガントでありながら、薪の中性的な柔らかさを引き立てる、愛くるしいデザインだ。
『これは在宅用ですから。俺と一緒にいる時だけ部屋で掛けていてくださればいいんです』
そんな独占欲丸出しのセリフと共に贈られたそれを、薪は否定しなかった。
自分だって、青木に「デート専用」の眼鏡を買い与えたのだから、お互い様だった。
その晩。寝支度を整えた青木が薪の部屋をそっと覗くと、そこにはPCに向かう上司の姿があった。
上層部と何やらやりとりしているらしく、キーボードを叩く指が小気味よい音を立てている。
「薪さん、お疲れ様です。お茶を……」
青木の言葉が途切れる。
デスクライトの光を浴びつつ薪の鼻先に載っているのは、昼間に買ったあの丸眼鏡だ。
丸いレンズ越しに、集中して見開かれた瞳。
さらりと落ちた洗いたての前髪と、繊細なフレームの曲線が何とも瑞々しい。その姿は、第三管区最年少の波多野と同世代だと言われても、誰にも一点の疑いも持たれないほどに愛くるしかった。
(……可愛い。無理、反則すぎる)
朝方、洗面所で父の面影を重ねて自分を見上げてきた、あの無垢な子供のような薪の姿がフラッシュバックする。
あの時は純粋に抱きしめることができた。が、好みの眼鏡を買い与えあった恋人を、今はもう、ただ優しく守ってやるだけの『家族』の枠には留めておけない。
青木の胸の内で、昼間からくすぶっていた情欲が一気に火の手を上げていた。
「青木? どうした。そんなところで突っ立って」
怪訝そうに眼鏡の奥の瞳を向けられ、青木は慌てて手元の湯呑みをデスクに置いた。
「いえ……やっぱり、よくお似合いだな、と思って。老眼どころか、新入りの職員に混じっても一番幼く見えますよ」
「お前……またからかっているのか!」
頬を朱に染めて怒る薪。だが、その顔さえもレンズ越しにきゅんとさせる柔らかさを帯びていて、青木の独占欲をこれでもかと刺激する。
「……いえ、部屋で、待ってますね」
夜の体温を滲ませた、熱く低い声。
そう言い残し、青木は薪の反応を待たず逃げるようにその場を後にした。
自室に戻る足でそのまま洗面台に立ち寄り、引き出しの奥から昼間は使わなかったあの「秘密兵器」――コンタクトレンズの箱を取り出し握りしめる。
(せっかくの眼鏡だが、一旦お役御免だ。シーツの上で涙を溜める薪さんの顔や、可愛い身体の反応を……[#ruby=この目_・・・]で、隈無く焼き付けてやる)
昏い独占欲にメラメラ灼かれながら、青木は不敵に口元を歪めた。