無自覚温泉宿

 温泉上がりの火照りは、冷えた地酒を流し込んでも一向に引く気配がなかった。
​ むしろ、薪を取り巻く空気は、宴会が深まるにつれて密度と熱を増していく。

​「だから、あの時の曽我の判断はだな……」

​ 上機嫌な薪が、部下たちを前に説教めいた話を始める。が、本人の威厳ある口調とは裏腹に、その肢体は目も当てられないほど隙だらけだ。
 畳にどっかりと腰を下ろし、あぐらをかいたその膝。動くたび左右に割れる浴衣の裾からは、温泉で磨かれたばかりの、陶器のように滑らかな太ももが覗いている。

​ 青木は、向かいの席で殺気にも似た沈黙を貫いていた。
 薪が笑って身体を揺らすたびに、緩みきった襟元から真っ白な鎖骨と、その奥の柔らかな肌が灯りに晒されるのを、ハラハラして見つめながら。

​「薪さん。……少し、浴衣を直されたらどうですか」

​ 青木が低く、押し殺した声で告げる。

​「暑いんだ、構うな」

​ 薪は顔をしかめて一蹴し、あろうことか隣に座る斉藤の膝を気さくにぽんと叩いた。

​「斉藤、お前も飲んでるか……注いでやろう」

​「……ははっ、これは光栄だ」

​ 斉藤が目を細め、薪の差し出した徳利を支えるふりをして、その細い指先に自身の指を重ねる。
​ それを見た瞬間、青木の頭の中で、理性を繋ぎ止めていた最後の鎖が、音を立てて弾け飛んだ。
​ なんとなく場の空気が変わり、体感気温が下がったのに気づいたのは、一体制時代の同僚たちだ。

​「薪さん、なんか少しお会いしないうちに……雰囲気変わりました?」

​「僕がどう変わったというんだ」

​「いや、なんか……」と小池。

​「艶めかしいというか……ねえ、今井さん」

 曽我の無茶振りに、いつもはクールな今井までもが気まずそうに視線を逸らした。

​「おい、巻き添えにするなよ」

​「だって今井さん、さっきから薪さんの胸元見ないように必死じゃないですか」

​「え? 目のやり場が何だって? 今井。僕の顔に何かついているのか?」

​ 薪が絡むように今井の方へ顔を寄せた、その時だった。

​ 音もなく立ち上がった青木が、薪の脇に腕を差し込み、ひょいっとその身体を抱え上げた。

​「すみません。この人酔いすぎです。俺が責任を持って『回収』しますので」

​「はな……せっ、酔ってなんか……っ」

​ いつにない力強さで強引に脇を抱えられた薪は、宙に浮いたまま足をばたつかせる。

​「薪さん黙って……極上のお部屋へ案内しますから」

​ 低く、地を這うような青木の声。
 その温度のなさに、とうとう宴席が一瞬にして静まり返る。

​「へーえ、ふーん……」

​ 固まった表情で二人を見送る一同のなか、斉藤だけがニヤニヤと楽しげに二人の背中を見送っている。

​「斉藤、顔に出すぎだぞ。深追いはやめておけよ」

​ 今井に冷たく釘を刺され、斉藤は肩をすくめて手元の酒を煽った。



​ 「極上の部屋」というのは、決して誇張ではなかった。
​ 老舗旅館の贅を尽くしたフカフカの寝具の上に投げ出された薪には、その柔らかな感触を楽しむ余裕など微塵もない。
 上質なシーツの肌触りが、これから刻まれる「熱」を予感させるようで、薪はまるでまな板の上の鯉状態で身を震わせた。

​「な……何をっ、放せ、あお……っ」

​ 怒鳴ろうとした唇は、逃げ場のないほど深く熱い口づけによって、即座に封じられる。

​「……っん、んぅ……!」

​ のしかかる青木の身体は岩のように重く、溶かされるほど熱い。
 大きな手が薪の浴衣を乱暴に剥ぎ取ると、露わになった白い肌のいたるところに、飢えた獣の唇が這い回る。

​「や……めろっ……、青木……っ」

​「……感じやすくなってますね、ここも。……ここだって、ほら」

​ 尖りきった胸の飾りを舌先で執拗に転がし、そのまま正中線をなぞって下腹部へと降りていく。

​「そ、なとこで、喋るな、あっ……!」

​ 薪の身体が、電流が走ったように大きく跳ねた。

​「どうして、こんなに敏感な身体を他人に晒したりするんですか。……空気が触れただけでもイきそうなのに」

​「ちがっ……おまえの……せいだ……っ」

​ 青木の言葉が陰湿に薪の脳内に響く。粘着質なキスが下腹をまさぐりながら、再び胸元の性感帯へと遡上して支配欲たっぷりに蹂躙する。
 同時に、逃げ場を塞ぐ大きな手が薪の屹立を包み、容赦ない摩擦で絶頂へと追い込んでいった。

​「ぁ……あ……っ!!」

​ 意識が白光の中に弾け、薪の身体が力なくシーツの上に崩れた。

 朦朧とする意識の中で、鎖骨の辺りにチクリと甘い痛みが走る。
 さらにその唇はまた下へと降りていき、身を捩る薪の剥き出しの脚の間を割って、一番柔らかい内腿の皮膚をなぞった。そこでもまた、吸い付くような熱い感覚と、甘い毒針を刺されたように痺れる痛みが走る。
​ 次第に、自分が何を「刻まれて」いるのかを朧げに理解した薪が、掠れた声で抗う。 

​「お前……何をっ、やめろ……っ」

​ だが、その弱々しい抵抗も、青木の目にはさらなる誘惑にしか映らない。

​「わかってくださらないようなので、印をつけます。これが他人に見えないように振る舞わないと……バレますよ。あなたがここで、俺に何をされていたのか」

​ 青木はそう囁くと、抗う気力を失った薪をそっと腹ばいにさせた。
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