かぞく参観日

​ 教室へ戻ると、そこにはすっかりしおらしくなった佐藤先生の姿があった。

​「あ、あの……お給食はそれぞれのお子さんの席に用意してあります……一家庭につき試食用プレートは一つとなっておりますので……そちらで、仲良く、お分けください……!」

​ 逃げるように去っていく彼女の背中を醒めた視線で見送った薪は、舞が嬉しそうに手を振る席へと目を向けて笑顔になる。

 子供たちの机には一人ひとりの給食が並び、その横の試食用トレイには、人気メニューのカレーライス、ミニトマトとコーンの彩り鮮やかなサラダ、あまおう苺と、小さな紙パックの牛乳が置かれている。そして、献立にはない、きな粉をたっぷりパンが一つ。

​「ねぇねぇ、この揚げパンはコーちゃんへのサービスなんだって。今日は先生の代わりに授業を頑張ったからって!」

「へぇ、揚げパンか。懐かしいなぁ」

​ ​舞の言葉に青木が顔をほころばせる横で、薪は改めて目の前のトレイを見つめた。
 彩り豊かなサラダに、不思議な形のパン。自分の知らない「日常」がそこに並んでいる。
 薪は背筋を伸ばし、隣の大男の体温を感じながら、三人で声を合わせて「いただきます」と手を合わせた。

​ 周囲を見渡せば、どの家族も机を寄せ合い「これ美味しいね」「一口ちょうだい」と和やかに笑い合っている。大抵は母親一人の参加だが、この席だけは毛色の違う、けれど圧倒的な存在感を放つ大人の男が二人並んでいる。その異質な光景は、もはや隠しきれない注目の的だった。

​ さらに、他の保護者たちは生徒用の学習椅子に身を縮めているというのに、青木だけは背の高いパイプ椅子に座っている。
 これもゲスト待遇か、もしくは体格への配慮なのだろうが……狭い児童用の机を挟んで、青木の大きな体の隣に並ぶ薪。
 肩が相手の身体に触れ合うほどに近い。

​「薪さん、これ。懐かしくないですか? 先割れスプーン」

「いや、初めて見た……刺したいのか掬いたいのか……不思議な形状だな」

​ 首を傾げながらも、薪は初めて手にする銀色の道具を、まるで精密機器でも扱うような手つきで慎重に持ち上げた。

 隣では青木が慣れた手つきで牛乳パックを扱い、ストローを差し込んで薪の前へと差し出す。

​「はい、どうぞ。まずは喉を潤さないと」

「……」

​ 促されるまま、薪は小さなストローを口に含む。
 パック牛乳をストローで飲むなど人生で初めての経験に、不思議な心地になりながら、薪は初めて触れる食器や、優しく漂うカレーの匂いに、自分でも気づかないほど僅かに胸を高鳴らせていた。

「薪さん、揚げパン、牛乳に合いますよ。どうぞ」

​ 青木が、一口大にちぎったパンを薪の口元へ運ぶ。
 すると周囲の保護者たちから「あら……」「やっぱり……」と熱い溜息が漏れた。
 薪は一瞬躊躇したものの、逃げ場のない至近距離に観念してそれを口にする。
 カレーも勧められるまま例のスプーンで掬って一匙食した。

​​「……意外に、悪くないな。もっと大味なものかと思っていたが」

「ですよね、 野菜の甘みがしっかり出てて旨いですよね……あ、薪さん、口元にきな粉が」

​ 青木の手が自然に伸びて、親指で薪の口角をそっとなぞる。そのあまりに「日常的」で親密な仕草に、周囲の保護者たちからため息が漏れる。

「……っ、自分でやる!」

 反射的に顔を背けた先では、舞が満面の笑みで待ち構えていた。

​「マキちゃん、このカレーはミートボールが美味しいんだよ! はい、あーんして」

 舞は自分の皿から、とっておきの一つを先割れスプーンで器用に刺し、薪の口へと近づける。

「……舞、僕は子どもじゃないから……」

 小声で抗議しつつも、小さな手が差し出す純粋な好意を無下にはできなくて、薪が小さく口を開く。そのやり取りを見守る周囲の視線は、当初の好奇心から、いつしか理想の家族を眺めるような温かなものに変わっていた。

​ やがて給食の時間は終わり、試食会もお開きとなった。
 低学年はそのまま下校となる。
 薪に笑顔でお辞儀され、涙目で何度も頭を下げ返す佐藤先生に見送られながら、三人はようやく校門を後にする。

​ 少し傾いた陽光に優しく包み込まれた帰りの通学路。

​「……はあ、疲れましたね。でも楽しかったなぁ」

「舞も! 逆上がりできたし、コーちゃんもマキちゃんも格好良くて綺麗だし……自慢のオヤで舞も鼻が高かったよ」

​ 二人の間でスキップを踏む舞の大人びた口調に、顔を見合わせて思わず苦笑する青木と薪。

「舞だけじゃなく、部下おまえの『成長』を間近で見られたのは、僕にとっても意外な収穫だった」

 薪は、預けていたハットと眼鏡を青木の手から受け取ると、少し乱れた髪を整えながら、隣を歩く大男を揶揄うように見やった。

​​「ありがとうございます。俺も……」

​ 青木の手がふわりと伸びて、ハットを薪の頭に優しく被せ直した。

​「あなたのお綺麗な変装姿が見られて幸せでした。もっとも、次からはもう変装の必要もないかもしれませんね。先生はじめ、あそこにいた全員が薪さんのことをうちの『家族』だと知ってしまったでしょうから」

​ その言葉に、薪は照れてそっぽを向く。反論の言葉も呑み込み、その手はいつの間にか青木の大きな掌に、指を絡めるようにして包み込まれている。
 たしかに今日の自分の介入が、結果として舞の学校内での“家族宣言”になってしまったのは事実で、今さら否定するのも、それこそ不自然だろう。
​ 引き寄せられた耳元で、内緒話のような低い声が囁いた。

​「今日は参観日ですから……もしお時間が許すなら、このまま一緒に『家』へ帰っていただけませんか」

​ その響きに含まれた温もりに逆らえるはずもなかった。
 これから向かう場所にある、おバアちゃんも一緒の賑やかな食卓。何度も囲んでいるうちにもう客人としては扱われなくなっている――そんな、くすぐったいような居場所に、すでに心が引き込まれてしまっていた。

​「明日のうちに東京に戻れば、岡部も文句は言うまい。……あいつは僕より、舞に甘いからな」

​ 素っ気ない口調とは裏腹に、繋がれた手にそっと力が込もる。
 「やったぁ、マキちゃんもお泊まりだ!」と、舞が二人の腕を揺らしてはしゃいだ。

​ 夕景の光がアスファルトの上に三人の影を映し出す。影は一つに重なったり、楽しげに交じり合いながら離れたりを繰り返し、幸福な目的地への道程を辿っていくのだった。
4/4ページ