かぞく参観日
「青木さん、ありがとうございます! 本当に、本当に素晴らしいお話でしたぁ。みんな拍手〜」
鈴を転がすような、けれど計算された甘さを含んだ声が、背を向けた薪の耳に飛び込んできて、その足がピタリと止まる。
振り返ると、担任の女性教師が頬を上気させ、潤んだ瞳で青木を見上げているのが見えた。
「お給食の試食も、していかれますよね? その後、防犯指導についてのお時間をいただいても大丈夫でしょうか。私、青木さんのような方から、もっと個人的にお話を伺いたくて……」
深く被った帽子の陰で、薪の眉がピクリと跳ねる。
「え? あ、いや……今日は舞と一緒に帰りますので」
「あら、それでしたら私もご一緒させていただいて、通学路の安全確保についてのアドバイスをいただきたいですわ」
断っているはずなのに、どこか隙がある。
人当たりの良さを全開にしたまま、ズルズルと後退りしている大男の煮え切らない態度が、薪の火に油を注いだ。
(あんな見え透いた揺さぶりを即座に断ち切れないなんて!危機管理能力が無さすぎる!)
一歩、また一歩。
優雅だが、背後に氷の刃を従えたような冷徹な足取りで、薪は教室へと引き返す。
おもむろにハットを脱いで露わになったのは、凍てつくほどに端正な、未成年と見紛うばかりの容貌。
その性別を超越した美しさに、周囲の保護者が息を呑む。
そして、青木と担任も驚愕の表情で薪を凝視した。
薪が重力を感じさせない身軽さで、いつの間にか二人の間に割って入っていたからだ。
教卓の脇をすり抜けた刹那、そこにあったウインドブレーカーから漂う微かな匂いを嗅ぎ取った薪は、青木を背にして担任教師に向かい、挑戦的に口角を上げる。
「佐藤先生。勉強熱心なのは結構ですが、彼のスケジュール管理は私の役目でしてね」
「え……? ど、どちら様……」
戸惑いつつも、目の前の美貌に思わず見惚れる女教師。薪はその視線を冷ややかに受け流しつつ、変装の眼鏡を中指で静かに押し上げ、獲物を追い詰めるように顔を近づけた。
「防犯のアドバイスをご所望なら、まずはご自身の身辺を整えるのが先決ではないでしょうか」
「へっ……?」
「たとえばその腕時計。二年前のG-SHOCK ラバーズコレクション。ペアのお相手はあちらの椅子に掛けられた、あのウインドブレーカーの主でしょうか」
薪は椅子に無造作に掛けられた衣服を顎で指した。
「肩幅のサイズ、袖口に付着したグラウンドの土と、微かに漂う安物のタバコの匂い……体育担当の男性教師、といったところですか。彼と『お揃い』の限定モデルを身につけておきながら、一時の好奇心で不慣れな男を誘い出す。大丈夫ですか? 不貞の隠蔽工作というのは、防犯よりもはるかに難易度が高いのですよ?」
上気していた女教師のがみるみる蒼白になる。自分の内情を瞬時の観察だけで丸裸にされた恐怖からだろう。
「さあ、行くぞ青木。こんなところで油を売っている暇はない。舞は運動場だ」
ボーゼンと立ち竦む青木の袖口を、薪がぐいっと引いた。
「……薪さん、あの……っ、そのお洋服……眼鏡も、とてもお可愛らしくてお似合いですね」
「黙れ。それと、ニヤニヤするな。気色悪い」
薪は一度も振り返ることなく、初めて来た学校の廊下を運動場に向かって颯爽と歩みを進める。
「薪さん、廊下は走らずゆっくりと……」
「走ってなんかない」
さっきまでの凛々しい捜査員の面影を、一転して弛ませた青木が、振ってる尻尾が目に見えるほど嬉しそうに追いかけていく。
その光景を、教室に残された保護者たちはしばし言葉を失って、ただ見送っていた。
「……さっきの警視さん……カッコいい正義の味方と思いきや……」
「あの綺麗な飼い主さんに手懐けられた警察犬って感じよね……」
一人の母親がポツリと漏らした言葉に、周囲の親たちも、遠い目で深く頷いた。
運動場では、子どもたちが弾け飛ぶように駆け回っていた。
その喧騒から少し離れた木陰で、薪と青木は並んで立っている。
青木に帽子と眼鏡を預けた薪の柔らかな髪が、のどかな風に遊ばれている。
「……薪さん、あんなふうに言ってくださるなんて。やっぱり俺のこと、心配して……」
「僕はただ、お前の危機管理能力の低さを指摘したまでだ。第九の捜査員として地域貢献活動に参加した先で、ハニートラップにかかるなんて、目も当てられないからな」
「ハニートラップって……小学校ですよ?」
呆れたように笑う青木だったが、その目はひたすら嬉しそうに薪の横顔を眺めている。
「コーちゃん! マキちゃーん! 見てて、逆上がりするからっ」
鉄棒から身を乗り出して元気いっぱいに呼びかける舞に、二人が同時に手を振り返す。
鮮やかな回転で舞が逆上がりを成功させたその瞬間、授業の始まりを告げるチャイムが校庭に響き渡った。
「さあ、戻りましょう。四時間目は、お昼時間を繰り上げて『給食の試食会』があるそうですよ」
「給食?……ああ、あの、アルマイトの食器で配膳されるという……」
かつて通ったギフテッドスクールでは馴染みのなかったその響きに、薪は目を丸くして興味深げな反応を見せる。
その“世間知らずな貴公子”ぶりに苦笑する青木にエスコートされ、トレンチコートを翻して再び校舎へと足を踏み入れたのだった。
鈴を転がすような、けれど計算された甘さを含んだ声が、背を向けた薪の耳に飛び込んできて、その足がピタリと止まる。
振り返ると、担任の女性教師が頬を上気させ、潤んだ瞳で青木を見上げているのが見えた。
「お給食の試食も、していかれますよね? その後、防犯指導についてのお時間をいただいても大丈夫でしょうか。私、青木さんのような方から、もっと個人的にお話を伺いたくて……」
深く被った帽子の陰で、薪の眉がピクリと跳ねる。
「え? あ、いや……今日は舞と一緒に帰りますので」
「あら、それでしたら私もご一緒させていただいて、通学路の安全確保についてのアドバイスをいただきたいですわ」
断っているはずなのに、どこか隙がある。
人当たりの良さを全開にしたまま、ズルズルと後退りしている大男の煮え切らない態度が、薪の火に油を注いだ。
(あんな見え透いた揺さぶりを即座に断ち切れないなんて!危機管理能力が無さすぎる!)
一歩、また一歩。
優雅だが、背後に氷の刃を従えたような冷徹な足取りで、薪は教室へと引き返す。
おもむろにハットを脱いで露わになったのは、凍てつくほどに端正な、未成年と見紛うばかりの容貌。
その性別を超越した美しさに、周囲の保護者が息を呑む。
そして、青木と担任も驚愕の表情で薪を凝視した。
薪が重力を感じさせない身軽さで、いつの間にか二人の間に割って入っていたからだ。
教卓の脇をすり抜けた刹那、そこにあったウインドブレーカーから漂う微かな匂いを嗅ぎ取った薪は、青木を背にして担任教師に向かい、挑戦的に口角を上げる。
「佐藤先生。勉強熱心なのは結構ですが、彼のスケジュール管理は私の役目でしてね」
「え……? ど、どちら様……」
戸惑いつつも、目の前の美貌に思わず見惚れる女教師。薪はその視線を冷ややかに受け流しつつ、変装の眼鏡を中指で静かに押し上げ、獲物を追い詰めるように顔を近づけた。
「防犯のアドバイスをご所望なら、まずはご自身の身辺を整えるのが先決ではないでしょうか」
「へっ……?」
「たとえばその腕時計。二年前のG-SHOCK ラバーズコレクション。ペアのお相手はあちらの椅子に掛けられた、あのウインドブレーカーの主でしょうか」
薪は椅子に無造作に掛けられた衣服を顎で指した。
「肩幅のサイズ、袖口に付着したグラウンドの土と、微かに漂う安物のタバコの匂い……体育担当の男性教師、といったところですか。彼と『お揃い』の限定モデルを身につけておきながら、一時の好奇心で不慣れな男を誘い出す。大丈夫ですか? 不貞の隠蔽工作というのは、防犯よりもはるかに難易度が高いのですよ?」
上気していた女教師のがみるみる蒼白になる。自分の内情を瞬時の観察だけで丸裸にされた恐怖からだろう。
「さあ、行くぞ青木。こんなところで油を売っている暇はない。舞は運動場だ」
ボーゼンと立ち竦む青木の袖口を、薪がぐいっと引いた。
「……薪さん、あの……っ、そのお洋服……眼鏡も、とてもお可愛らしくてお似合いですね」
「黙れ。それと、ニヤニヤするな。気色悪い」
薪は一度も振り返ることなく、初めて来た学校の廊下を運動場に向かって颯爽と歩みを進める。
「薪さん、廊下は走らずゆっくりと……」
「走ってなんかない」
さっきまでの凛々しい捜査員の面影を、一転して弛ませた青木が、振ってる尻尾が目に見えるほど嬉しそうに追いかけていく。
その光景を、教室に残された保護者たちはしばし言葉を失って、ただ見送っていた。
「……さっきの警視さん……カッコいい正義の味方と思いきや……」
「あの綺麗な飼い主さんに手懐けられた警察犬って感じよね……」
一人の母親がポツリと漏らした言葉に、周囲の親たちも、遠い目で深く頷いた。
運動場では、子どもたちが弾け飛ぶように駆け回っていた。
その喧騒から少し離れた木陰で、薪と青木は並んで立っている。
青木に帽子と眼鏡を預けた薪の柔らかな髪が、のどかな風に遊ばれている。
「……薪さん、あんなふうに言ってくださるなんて。やっぱり俺のこと、心配して……」
「僕はただ、お前の危機管理能力の低さを指摘したまでだ。第九の捜査員として地域貢献活動に参加した先で、ハニートラップにかかるなんて、目も当てられないからな」
「ハニートラップって……小学校ですよ?」
呆れたように笑う青木だったが、その目はひたすら嬉しそうに薪の横顔を眺めている。
「コーちゃん! マキちゃーん! 見てて、逆上がりするからっ」
鉄棒から身を乗り出して元気いっぱいに呼びかける舞に、二人が同時に手を振り返す。
鮮やかな回転で舞が逆上がりを成功させたその瞬間、授業の始まりを告げるチャイムが校庭に響き渡った。
「さあ、戻りましょう。四時間目は、お昼時間を繰り上げて『給食の試食会』があるそうですよ」
「給食?……ああ、あの、アルマイトの食器で配膳されるという……」
かつて通ったギフテッドスクールでは馴染みのなかったその響きに、薪は目を丸くして興味深げな反応を見せる。
その“世間知らずな貴公子”ぶりに苦笑する青木にエスコートされ、トレンチコートを翻して再び校舎へと足を踏み入れたのだった。