かぞく参観日

​「あの、薪さん。先週申請した休暇願いの件ですが……」

 Web会議の締めくくりに、画面の向こうから青木が遠慮がちに声をかけてくる。

「ああ、そうだった」

 薪は溢れかえるメーラーの中から青木の名前を探し出し、流れるような手つきで勤務表の承認ボタンをクリックした。

「確か、舞の授業参観だったな」

​「ええ。すみません、この日だけは外せなくて」

​ モニター越しに映る青木が申し訳なさそうに眉を下げる。
 その表情からは愛娘の晴れ舞台を心待ちにする“父親”らしさが滲み出ていて、薪は不覚にも胸の奥をキュンとときめかせる。
 しかし、今、ここでは“上司”だ。

​「構わない。たまには父親らしい顔を見せてやれ」

​ 高鳴る胸を押さえながらも素っ気なくそう告げて、Web会議を切断した。

 その後――

 所長席で一人報告書に向き合っていても、どうにも思考がまとまらない。
 管区の大きなヤマが片付き、どこか弛緩した空気が漂っているせいもある。

「ご苦労さん。今日はもう上がれよ」

 定時になり、大勢の部下たちを労って回る岡部の背中を、薪はぼんやりと眺めている。
 一体制時代では考えられないホワイトな空気に紛れて、気持ちはふわふわと都心から“福岡”へと飛んでいた。

​(……あいつが他の保護者に紛れて身を縮めながら授業の様子を見学している姿など、想像がつかないな)

​ 一度浮かんだ好奇心は、静かに、そして確実に薪を侵食していく。
 気づけばスマホで飛行機を手配し、椅子に掛けていた上着を手に取って、そっと第三管区を後にしていたのだった。


​ そして翌日。

 北町小学校の校門をくぐる薪の姿は、いつもとまるで違う装いだった。

 清潔感のある白いプルオーバーのパーカーに、金モールの刺繍がさりげなく光る紺のトレンチコート。深めに被ったバケットハットに、知的な細縁の眼鏡――
 トレンドを取り入れた綺麗めなカジュアルは“変装”のつもりだったが、それが却って仇となったのかもしれない。

​ 校門をくぐり、校庭を進み、廊下を歩むたび、すれ違う保護者たちが波のように次々と足を止め、あからさまにざわついている。

​「……見て、あの人。芸能人かしら」

「さすがにパパ……じゃないわよね。誰かの兄姉きょうだいにしては、綺麗すぎるし……」

​ 至るところから耳に入る無遠慮な囁きに、薪は小さく眉をひそめた。
(浮いている?しまった。眼鏡のフレームが細すぎたのか……?)
 いや、そうじゃない。
 己の美貌が「変装」という概念を根本から無効化しているのだ。その事実に全く気づかないまま、薪は二年生の教室へと近づいていく。

​ 後方のドアからそっと中の様子を伺う。
 人混みの隙間から、窮屈そうに立ち見しているであろう「大きな背中」を探しても、その姿はどこにも見当たらない。

​(……まさか、遅刻か? せっかくの舞の晴れ舞台だというのに、あのバカ、何してるんだ)

​ 1組と2組を覗いた時点で姿が見えず、期待外れも相まってわずかな苛立ちを覚えたその時だった。
 3組の教室内から、聞き覚えのある、よく通る声が響いてくる。

​「――ですから、警察官の仕事というのは、ただ犯人を捕まえることだけが目的なのではありません」

​ 薪は弾かれたように廊下の窓に駆け寄って、視線を教壇へと向けた。
 そこにいたのは――いつものお人好しな面影を封印し、仕立てのいいスーツを完璧に着こなして教壇に立つ、一人の捜査員の姿だったのだ。

​「本当の目的は、事件によって壊されてしまった『日常』を取り戻すこと。関わる人たち皆の明日を守ることなんです」

​ 黒板を背に、真剣な眼差しで子供たちに語りかける青木。その凛々しく、揺るぎない正義を宿した姿は、欲目を差し引いても眩しいほどに格好良い“法医第九研究室”の捜査員だった。

​「……っ」

​ 薪は思わず呼吸を忘れ、その光景に見入った。まさか青木が参観する側ではなく、教壇に立つ側だったとは。
 新人の頃から手塩にかけて育てた部下が、多くの子供たちの憧れを一心に浴びている。その事実に、薪の胸の奥は熱く、誇らしく震えた。
​ だが、その感動も束の間。
 教卓のそばで、頬を赤らめて講師を見つめる若い女性教師の視線にギョッとして目を留める。

​(チッ……青木の奴。自分のリスク管理が全くなってないじゃないか!)
​ 変装の眼鏡を指先でクイと押し上げた薪の眼光からは、先ほどまでの感慨は一掃され、研ぎ澄まされた鋭利な刃が仄めいていた。
 そして、周囲の保護者の視線を釘付けにしたまま、薪はとうとう教室の中へと一歩を踏み入れたのだった。
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