Manual Love Drive

 薪が少年時代から十年の歳月を過ごした荻窪の邸宅は、業者の手によって最低限の景観こそ保たれていたが、長いあいだ息をしていなかった。
 主を失った大屋敷。それはただ静かに、緩やかな朽ちゆく時間を待つだけの、空っぽの檻のようだった。

 それが数ヶ月前から、大人になったかつての少年が少しずつ室内を弄り始め、ついには傍らに恋仲の大男を伴って現れた。
 そうして静寂は破られ、木材を叩く乾いた音や電動工具の唸りといった、心地よい物理的な音によって塗り替えられることとなったのだ。

​「薪さん、そこ、もう少し右を押さえててください……はい、そのまま!」

​ 青木の快活な声が、風の通る縁側に響いた。
 二人は今、古くなった濡れ縁の板を張り替えているようだ。
 いつもの業者を呼んだって良かった。
 だが、青木は「自分の手で直せば、家が喜ぶんです」と笑い、薪もまた、その理屈に抗うことなく、自ら選んだ古い木材の感触をあたたかく掌に味わっていた。

​「……こうか?」

「バッチリです……それにしても薪さん、DIYの才能もあるんですね。その釘の打ち方、ハイテク機器みたいに正確ですよ」

「……まあ、精密射撃は得意だからな」

​ 薪は額の汗を拭いながら、どこか満足げに、冗談ともつかぬ言葉を吐いた。
 対する青木は汗に濡れたTシャツにジーンズ姿。
 頭にタオルを巻いてきびきび働く様子は、まるで長年この家に仕えてきた職人のように馴染んでいる。重い建具を軽々と運び、電動工具を巧みに操る青木の佇まいは、警察官としての有能さとはまた別の、生命力に満ちた「男」の逞しさを放っていた。

​「来月、福岡から母さんと舞を呼んで、ここで団子でも食べたいですね。あ、母さんは腰痛めてるから座り心地のいいクッションを用意しないと……」

​ 青木が未来の景色を語るたび、この家の冷えた空気が少しずつ、確かな「体温」を取り戻していく。
 絵に描いたような幸せではなかったが、ここは確かに自分を育んでくれた確かな“居場所”だったのだ。
 それを青木という存在がまたたく間に「温もりと安らぎの家」へと書き換えていく様子を、なんとも不思議で眩しいものを見るような目で、薪は見つめていた。

​「……お前は、本当に器用だな。生活の細々としたことにも、工具の扱いにも、全く迷いがない」

​ 薪がふと、感嘆を込めて零す。
 すると、インパクトドライバーを沓脱石の上に置いた青木が、不意に距離を詰めてきて、作業の熱を帯びた大きな体が、薪の視界を塞いだ。

​「……迷いますよ、俺だって」

​ 低く、甘い声がすぐ近くで響く。
 青木は薪の耳元に顔を寄せ、作業の熱を帯びた呼気で囁いた。

​「少なくとも……あなたを扱う時は迷ってばかりだし、とても慎重になりますから」

「……っ」
​ 薪の背筋に、冷や汗とは違う熱を孕んだ震えが走った。
 慌てて突き放そうとしたが、青木は悪戯が成功した子どものような顔で、すでに一歩離れた場所で軍手を叩いている。

​「さあ、縁側はこれで完成ですね」

「……うん。今日はもう、これでいいだろう」

「え? もう終わるんですか? まだ日は高いですよ」

​ 物足りなさそうに首を傾げる青木の腕を、薪は強引にひっぱった。

「……ついて来い。驚くなよ」

​ 向かった先にあったのは、邸宅の奥にひっそりと佇む、シャッターが閉ざされたガレージだった。
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