夢にまつわる三部作

 午前四時。夜明けにはまだ早い、一日のうちで最もカオスな時間。
 薪は隣で眠る男の異変に気づいて目を覚ました。

​「……う、……ぁ、……っ」
​ 青木がひどくうなされている。寝間着はぐっしょりと汗に濡れ、その眉間には、起きている時には決して見せない絶望が刻まれていた。

​「青木、起きろ! 青木!」

 薪は躊躇わず、その肩を強く揺さぶった。
​ 数度の呼びかけの後、青木の目がハッと見開く。
 焦点の定まらない目線が泳ぎ、目の前にいる薪の姿を捉えた瞬間、彼はボロボロと涙をこぼした。

​「……薪、さん……良かった……いてくれて……」

​ 震える腕で、青木は薪を抱きしめた。そのあまりの力の強さに、薪は肋骨が軋むのを感じたが、拒絶はしなかった。

​「悪い夢でも見たんだな」

​ 薪の問いに、青木は口を開く。

「……姉たちが、笑っていました。義兄さんも……みんな生きていて、舞を囲んで幸せそうに三人で笑ってた。見守る俺はどっかの警察署長で……笑ってはいるんですが……凄く怖かった。だって“あの世界にはあなたがいなかった”から」

​ 青木の告白が、嗚咽とともに絞り出された。

「悪夢だと……思った。あんなに皆幸せそうだったのに、目覚めて“夢で良かった”と思った」

 青木の背中に回した薪の手も震えている。
 刃物に刺されたように胸がズキズキと痛んだ。

「俺が死ねば良かった……と何度も思うのに、同時にあなたと共に生きている今が愛しい。俺は……身勝手な偽善者だ……」

​ そんな残酷な天秤に自らの心を掛ける必要はない。そう云いたくても、言葉にならない。罪悪感に任せて自らの魂を削り続ける青木の気持ちは、薪にも痛いほどわかるから。

​ 薪は黙ったまま、汗で張り付いた青木のパジャマのボタンを外し、肌を露わにした。
 そして、サイドチェストから取り出したタオルで、その震える肌を丁寧に拭いながら、重い口を開いた。

​「……僕もだ」

​ 薪の静かな声が、混沌の闇に溶ける。

「鈴木や殉職した部下たちが生きていたなら……体制は変わらず、お前が第九に来て僕の隣に立つことはなかっただろう。けれど今となっては、お前のいない第九なんて、想像もつかないんだからな」

​ 薪はタオルを置き、ベッドで半身を起こした青木に膝立ちで向き合って、両頬を挟んだ両手の親指でその涙を拭った。

「お前が偽善者というなら、僕も同じだ。地獄の底でお前に出会えたことも、運命だと思ってる。犠牲の上に成り立つ幸せの中でお前が自分を責めるのなら、せめてその半分は僕が預かろう」

​「薪さん……どうやって、預かるんですか? 俺の罪は、俺のものです」

​「お前も、いつか一緒に戦ってくれると言っただろう? それと同じだ。お前の痛みは僕の痛みで、僕の罪ごとお前が預かると……」

​ 分かち合うことで、罪の重さは変わるのだろうか?

 青木は薪の手を握りしめ、その掌に顔を埋めた。
 過去への懺悔と、今この瞬間の幸福。その矛盾を抱えたまま、二人は寄り添い合う。
​ 窓の外が、微かに白み始めていた。
 闇を追い払う朝の光が、もうすぐそこまで来ている。

​「……薪さん……寝間着、脱がせっぱなしなんですけど」

​「……拭いてやったんだから、自分で着ろ。……それとも、僕に着せろというのか?」

​「……いえ、できれば……このまま……もう一度温めていただければ」

​ 深刻な余韻を引きずりながらも、どこか甘えた声を出す部下の図々しさに、薪は呆れたように息を吐く。
 だが、拒絶はしなかった。それどころか、薪は自らのパジャマのボタンに指をかけ、躊躇いなく全部を外した。

​「……これでいいのか」

​ 露わになった互いの肌が重なり、布団の中へと潜り込む。青木の大きな身体に肌を預けて、薪は自らの体温を惜しみなく分け与えた。

​「……はい……もっと、こうして……」

​ 青木は薪の背中に腕を回し、その存在を確かめるように強く抱きしめる。
 夜明け前の冷え込みを、重なる体温が優しく塗り潰していく。

​ 一人で背負えば、心身を削り押し潰すだけの重たい十字架。
 けれど、こうすることで凍えた心が温め合えることを、二人はもう知っている。
 だからきっと、二人で背負う互いの十字架も、寄り添い合えば、何か形を変えるのかもしれない。

​ 窓の外、闇のカオスがゆっくり白んで薄らいで行く。
 二人の呼吸が重なり、再び穏やかな眠りが訪れる頃、部屋には静かな夜明けの光が差し込み始めていた。
2/3ページ