☆2069 夏の別荘

 宅配で届いたのは、昼食用のサンドイッチBOXだった。雪子たちが出掛ける予定のクルーズに合わせて、持ち運びしやすい洒落た仕様になっている。
 BOXを詰めた大きな紙袋を両手に受け取って戻ってきた雪子が、薪と目を合わせて立ち止まった。

「ああ、お昼はクルーズでしたね」

「そうよ。だからあなたのとことウチの分、分けといたから……」

「日向ちゃんの分は、置いていってください」

「……え?」

 ポカンとした顔を向ける雪子に、薪は微笑んで頷く。
 日向は舞と希にべったりだ。引き剥がそうものならたちまち機嫌を損ねるのは目に見えている。
 薪が日向を預かる理由はそれだけじゃなく、昨夜の罪滅ぼしの気持ちもあった。

「せっかくの結婚記念日だ。黒田さんと二人で楽しんできてください」

「え……いいの?そんな……」

「もちろんです。こういう機会を持てるのが、ここへ来た醍醐味でしょう」

 戸惑う雪子を前に、薪はにこやかに答える。
 妻の我儘に付き合ってここに連れて来られた黒田にも、気遣いを忘れ、愛する妻と二人きりのクルーズを楽しんでほしい。心底それを望むが故の笑みだった。


 ようやく動き出した海辺の休日二日目。

 午後の予定を知らせがてら、散歩の家族を迎えにマーケットに出向いた薪だったが、途中アクシデントで動けなくなっていた。

 さっきから浮かれた若造どもが、非常に鬱陶しいのだ。
 サーファー風の三人組に囲まれた薪が、不愉快を押し殺しながら俯き、彼らの話を聞き流すこともう五分が経っている。

「よかったらお昼一緒にどう?おにーさんたち一応社会人だから奢ったげるよ」

 経験がいかにも浅そうな社会人からの、謎の上から目線。黙ったままでいると、連中だけで勝手に話が盛り上がり、いつしか薪は夏の間別荘に滞在する内気な深層の令嬢、しかも学生(!?)ということにされているようだ。

「でも、君っていかにもこのあたりの別荘に来てる人って感じだよね?」

「……(それは“当たり”だ)」

「家族と一緒?なんか上品さにじみちゃってるけど。もしかして男の人と喋ったりしたらお父様に叱られちゃう系?」

「……(父はいない。若い燕に詰られる系だ)」

「それな!でも大丈夫。俺たちこうみえて、おカタイ大手勤務で、超親ウケいいからさあ」

「……(ふ〜ん、こっちも相当おカタイ公務員だぞ)」

 科警研の連中とは違い、この輩たちは薪の眉間の皺にも恐れおののきはしない。見たことない可愛いらしい小動物が、膨大な殺傷能力を備えてるなんて考えが及ばないからだろう。

「あ、そうだ!就活中だったりしたら相談乗るよ。こんなとこで立ち話もなんだから、下のビーチテラス行かね?」

「バカ、お嬢さんに就活は無縁だろ?どっちかっつーと、婚活?ま、とにかく行こ!お腹すいてなければかき氷もあるし、ほら…」

 大人しくしてる薪に、調子に乗った輩が手を差し伸べてくる。
 薪が身構えた瞬間、連中と薪の間に大きな壁が立ち塞った。

「すみません。この人に気安く触れるの、やめて戴けますかね」

「……は?オジサン誰……スか?」

 190cm近くの上背から凄みをきかせて見下された連中は、たちまちテンションが引いて姿勢を正す。

「家族の者です。連れ合いに何かご用でも?」

「っ……いえ、別に……」

 若造たちが下を向く視線の先で、駆けて来た子どもたちが「ママぁ」と薪の脚にしがみつく。
 舞と希、そしてちいさな日向まで。

 殺気立った大男に続く、衝撃の展開だ。

“まじか〜子持ちの幼妻?三人……ってもはや犯罪じゃね?”
“や、相手の連れ子だろ、さすがに”
“いや一人似てるのいた。てか、かなり歳の差だろ?ツレアイって何?オヤジくせ〜”
 立ち去る輩たちのナニゲに失礼なひそひそ話は、しっかり薪の耳に届いていた。

「ふ〜ん、子持ちも歳の差も、ある意味間違ってないな」

「感心してる場合じゃありません!知ってます?あれナンパっていう迷惑行為なんですよ。即刻断らないと」

「ああ、断ってる。いつもはな」

「じゃあ何だって今日は……」

 薪はふいっと顔を逸らすように、踵を返して身体の向きを変える。

「お前が来るのが見えたから」

 ぽつりと零れた薪の言葉に、青木はキューンと胸を震わせる。
 甘えてもらえた気がしたのだ。
厄介払いを任されただけでも、とにかく滅茶苦茶嬉しい。

 マーケットを後にしてきた青木と同じ方向、つまり帰り道を向いた薪の手を、子どもたちが取り合っている。

「行くぞ」

「はいっ」

 希と日向に手をとられ、舞に背中を押されて歩き出す薪を、嬉しそうに追う青木。
 SPさながら気配を消して側に控えていた黒田も、そっと歩みを進める。

「あ。そうだ、黒田さん」

 子どもに囲まれながら、薪が黒田に振り返った。

「雪子さんとのクルーズから戻るまで、僕らがこの子たちと過ごします。彼女が待っているので、どうぞ先にお帰りください」

「……!!」

 黒田は足を止め、一瞬固まる。

「すみません、お気遣いありがとうございます」

 深々と薪に頭を下げ、一行を追い抜いて先にいく黒田の耳が赤くなっていたのを、青木は見逃さなかった。

“薪さん。黒田さんに振り返るのを永久に禁止させていただきたいんですが” なんて、喉元まで出かかっていても、さすがに言えないが――
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