☆2069 夏の別荘
おかわりと淹れたてのコーヒーカップを、一つずつ食卓に置く。
美しい螺旋を描くゲートレッグテーブルは、薪が子どもの頃から来客時は畳まれ、身内で来た時にだけ広げて使われていた。
薪にとって少年時代の“家族”の象徴の一つであるこの食卓を、今日もあえて広げたままにしている。それは来客があろうとも、今回の滞在が自分たちにとってプライベートなものであるという意思表示だと、青木は勝手に感じ取っていた。
「いただきます」
薪は両手で頬杖をついて、目の前の男に憂鬱げな視線を寄越している。
薪がこっちを見てる時はさりげなく逸らすくせに、薪が視線を外すと見惚れるように盗み見てくる。そんな視線の駆け引きをしながら機嫌よくコーヒーを飲む一回り年下の男は、まだ部下の域を越えてない外向きの顔を残しているようだった。
「お前もいわゆるゴリラ舌なのか?」
「……へ?今日は岡部さんいませんよ」
「いや、そういうことじゃないんだが……まあいい」
岡部に対してなにげに失礼な青木だったが、雪子独特の言い回しを知らないことが薪の気を少しだけよくさせる。
気にしていた訳でも、それで気持ちがすっきり晴れるわけでもないのだが。
「ハァ……美味いなあ、薪さんの淹れてくれたコーヒー。てか俺、コーヒーの味がなんとなくわかるようになったのって、薪さんのおかげかも」
青木の味覚は気持ちが先走りがちだ。
食欲と性欲の満たし方の個性には共通点があるというが、まさにそうかもしれない。
普段の青木は食事の内容にこだわりはなく、作るのも食べるのも、栄養を考慮しながらソツなくこなす。そのくせ薪が絡むと、たちまち貪欲にディテールを探求しはじめる。格別に心を込めて、五感を駆使して丁寧に味わうのだ。
だから今も青木の言葉の一つひとつが、妙に艶めかしく身体の奥に響いてくる。
「豆が、いつもと違いますよね」
「ああ、よく気づいたな。海辺だしコナを試してみたんだ」
「え、これ美味いですよ。香りとコクが深いのに苦みは少なくてリラックスできる……海辺の休日にぴったり合ってます」
「…………」
海辺の休日、とは実に甘酸っぱい響きだ。
コーヒーを愉しむ青木が見せる伏し目がちな笑顔に潜む切なさも、薪の胸を疼かせた。
せっかくの休日なのだから、今すぐ二人で書斎にでも引き篭り、身体の奥の罪深い熱に青木を突入させ、好きなだけ抉らせたい。そんな疚しい欲望を隠して、薪は涼しい顔でコーヒーの香りごと体内に取り込む。
「薪さんも、これ飲んだら外に出てみませんか」
「……ん」
「気持ちいいですよ」
「……そうか」
頷く薪と青木の目がやっと合う。
青木の目の奥にも燻る情熱が閃いて見えるから、目のやり場に困った薪はあからさまに横を向くしかない。
小さな子ども三人との休暇は、別荘辺りの海で遊んでいるだけで、のどかに楽しくかけがえのない時となって過ぎていく。
そして、夕食には海の幸をふんだんに使った創作フレンチが食卓を彩った。
「わぁ、キレイ。えっ、これ、おいし〜い」
出張シェフが振る舞うコース料理に、舞が目を輝かせる。次々運ばれる皿に希も興味津々、幼い日向も小さなフォークを操りながらお子さまプレートを自力で食そうと奮闘していた。
「ひなちゃんママって、すごいね。コックさんとお友だちなの?」
「だといいんだけど、正直まだ熱烈なお客さんってだけかな。去年逗子でこのお店に出会って、出張もやってるっていうから、お願いしてみたの」
「えー、呼んだら来てくれるなんて、すごいよ。舞もコックさんとお友だちになっておウチに来てもらいたいなぁ」
滞在中の食事はすべて雪子のセレクトで黒田家持ち、と決まっていた。
確かに味はいいし、薪の胃にも負担をかけないヘルシーな料理だ。が、舌鼓を打つ黒田と青木の傍らで、薪の眉間には皺が寄っている。
「雪子さん。SNSには上げないで下さいね。うちの子たちは顔出しNGなので」
スマホで子どもたちを連写する雪子に、薪がすかさず釘を刺す。
「ハア?それ嫌味?リアル友だちすらほとんどいないあたしに、そんなことできるはずないでしょ?」
はしゃぐ子どもたちと海辺でゆっくり過ごした午後の贅沢な時間を経ても、まだ棘々しい薪に、呆れた顔で振り返る雪子。
「さあ、黒田ファミリーを三人でお撮りしますよ、はい、チーズっ」
「ありがとうございます、じゃあ青木さんの方も四人寄って……ハイ、撮りますよ」
傍らで気を遣い合う夫たちの献身に呑まれ、不覚にも四人でカメラに収まってしまった。
笑顔の三人に囲まれて一人眉間に皺を寄せ、目をまん丸にした薪の顔がなんとも可愛らしいそのショットは、さっそく青木のお宝コレクションに加えられたのだった。
「お前いつまで見てるんだ」
舞は日向と雪子の女子組で、希は青木と入浴を済ませると、その間書斎にいた薪が、ダイニングの隣の和室に戻ってくる。普段寝室としては使わない場所だが、今日はそこにトールサイズのダブル一組と普通のシングル二組を並べていた。
スマホに収めたお宝ショットをうっとり眺める青木の傍らに膝をついた薪は、父の傍らで寛ぐ姉弟を一緒に視界に入れて頬を緩める。
「ノンちゃん、寝よっ」
「うん、ママぁ……」
薪の顔を見上げた舞は希に声を掛け、二人一緒に抱きついてきて、両頬におやすみの小さなキスを贈ってくれる。
なんて柔らかで幸せな擽ったさなんだろう。
そしてシングル布団にそれぞれ潜り込んでいく二人を見届けた薪は、青木の背中に寄り掛かるように寝そべった。
「あれ、お風呂は……」
「落ち着いたら、一緒に入ろう」
「……ええ、って、ハイ!?」
リモコンで電気を消したばかりの室内で、大きな影が振り返ろうとする。
「おい、大人しくしろ。子どもたちが眠れないだろ」
背中越しに高鳴る青木の鼓動に耳を押し付けながら、薪は照れ臭さを圧し殺した小声でたしなめた。
部下モードとパパモードを行き来する青木のチャンネルを、もう一段別の域へと切り替えるには、自分が打って出るしかない。
美しい螺旋を描くゲートレッグテーブルは、薪が子どもの頃から来客時は畳まれ、身内で来た時にだけ広げて使われていた。
薪にとって少年時代の“家族”の象徴の一つであるこの食卓を、今日もあえて広げたままにしている。それは来客があろうとも、今回の滞在が自分たちにとってプライベートなものであるという意思表示だと、青木は勝手に感じ取っていた。
「いただきます」
薪は両手で頬杖をついて、目の前の男に憂鬱げな視線を寄越している。
薪がこっちを見てる時はさりげなく逸らすくせに、薪が視線を外すと見惚れるように盗み見てくる。そんな視線の駆け引きをしながら機嫌よくコーヒーを飲む一回り年下の男は、まだ部下の域を越えてない外向きの顔を残しているようだった。
「お前もいわゆるゴリラ舌なのか?」
「……へ?今日は岡部さんいませんよ」
「いや、そういうことじゃないんだが……まあいい」
岡部に対してなにげに失礼な青木だったが、雪子独特の言い回しを知らないことが薪の気を少しだけよくさせる。
気にしていた訳でも、それで気持ちがすっきり晴れるわけでもないのだが。
「ハァ……美味いなあ、薪さんの淹れてくれたコーヒー。てか俺、コーヒーの味がなんとなくわかるようになったのって、薪さんのおかげかも」
青木の味覚は気持ちが先走りがちだ。
食欲と性欲の満たし方の個性には共通点があるというが、まさにそうかもしれない。
普段の青木は食事の内容にこだわりはなく、作るのも食べるのも、栄養を考慮しながらソツなくこなす。そのくせ薪が絡むと、たちまち貪欲にディテールを探求しはじめる。格別に心を込めて、五感を駆使して丁寧に味わうのだ。
だから今も青木の言葉の一つひとつが、妙に艶めかしく身体の奥に響いてくる。
「豆が、いつもと違いますよね」
「ああ、よく気づいたな。海辺だしコナを試してみたんだ」
「え、これ美味いですよ。香りとコクが深いのに苦みは少なくてリラックスできる……海辺の休日にぴったり合ってます」
「…………」
海辺の休日、とは実に甘酸っぱい響きだ。
コーヒーを愉しむ青木が見せる伏し目がちな笑顔に潜む切なさも、薪の胸を疼かせた。
せっかくの休日なのだから、今すぐ二人で書斎にでも引き篭り、身体の奥の罪深い熱に青木を突入させ、好きなだけ抉らせたい。そんな疚しい欲望を隠して、薪は涼しい顔でコーヒーの香りごと体内に取り込む。
「薪さんも、これ飲んだら外に出てみませんか」
「……ん」
「気持ちいいですよ」
「……そうか」
頷く薪と青木の目がやっと合う。
青木の目の奥にも燻る情熱が閃いて見えるから、目のやり場に困った薪はあからさまに横を向くしかない。
小さな子ども三人との休暇は、別荘辺りの海で遊んでいるだけで、のどかに楽しくかけがえのない時となって過ぎていく。
そして、夕食には海の幸をふんだんに使った創作フレンチが食卓を彩った。
「わぁ、キレイ。えっ、これ、おいし〜い」
出張シェフが振る舞うコース料理に、舞が目を輝かせる。次々運ばれる皿に希も興味津々、幼い日向も小さなフォークを操りながらお子さまプレートを自力で食そうと奮闘していた。
「ひなちゃんママって、すごいね。コックさんとお友だちなの?」
「だといいんだけど、正直まだ熱烈なお客さんってだけかな。去年逗子でこのお店に出会って、出張もやってるっていうから、お願いしてみたの」
「えー、呼んだら来てくれるなんて、すごいよ。舞もコックさんとお友だちになっておウチに来てもらいたいなぁ」
滞在中の食事はすべて雪子のセレクトで黒田家持ち、と決まっていた。
確かに味はいいし、薪の胃にも負担をかけないヘルシーな料理だ。が、舌鼓を打つ黒田と青木の傍らで、薪の眉間には皺が寄っている。
「雪子さん。SNSには上げないで下さいね。うちの子たちは顔出しNGなので」
スマホで子どもたちを連写する雪子に、薪がすかさず釘を刺す。
「ハア?それ嫌味?リアル友だちすらほとんどいないあたしに、そんなことできるはずないでしょ?」
はしゃぐ子どもたちと海辺でゆっくり過ごした午後の贅沢な時間を経ても、まだ棘々しい薪に、呆れた顔で振り返る雪子。
「さあ、黒田ファミリーを三人でお撮りしますよ、はい、チーズっ」
「ありがとうございます、じゃあ青木さんの方も四人寄って……ハイ、撮りますよ」
傍らで気を遣い合う夫たちの献身に呑まれ、不覚にも四人でカメラに収まってしまった。
笑顔の三人に囲まれて一人眉間に皺を寄せ、目をまん丸にした薪の顔がなんとも可愛らしいそのショットは、さっそく青木のお宝コレクションに加えられたのだった。
「お前いつまで見てるんだ」
舞は日向と雪子の女子組で、希は青木と入浴を済ませると、その間書斎にいた薪が、ダイニングの隣の和室に戻ってくる。普段寝室としては使わない場所だが、今日はそこにトールサイズのダブル一組と普通のシングル二組を並べていた。
スマホに収めたお宝ショットをうっとり眺める青木の傍らに膝をついた薪は、父の傍らで寛ぐ姉弟を一緒に視界に入れて頬を緩める。
「ノンちゃん、寝よっ」
「うん、ママぁ……」
薪の顔を見上げた舞は希に声を掛け、二人一緒に抱きついてきて、両頬におやすみの小さなキスを贈ってくれる。
なんて柔らかで幸せな擽ったさなんだろう。
そしてシングル布団にそれぞれ潜り込んでいく二人を見届けた薪は、青木の背中に寄り掛かるように寝そべった。
「あれ、お風呂は……」
「落ち着いたら、一緒に入ろう」
「……ええ、って、ハイ!?」
リモコンで電気を消したばかりの室内で、大きな影が振り返ろうとする。
「おい、大人しくしろ。子どもたちが眠れないだろ」
背中越しに高鳴る青木の鼓動に耳を押し付けながら、薪は照れ臭さを圧し殺した小声でたしなめた。
部下モードとパパモードを行き来する青木のチャンネルを、もう一段別の域へと切り替えるには、自分が打って出るしかない。