☆2069 夏の別荘
見た目もかわいいランチは、雪子のセレクトした洋食店のケータリングだ。
和食中心の青木・薪家で暮らす舞と希の二人は、物珍しさに目を輝かせて食事を頬ばっている。
同時に窓から見える海の景色にもソワソワと心奪われていて、そんな二人の横にいる日向も気持ちを高ぶらせ、幼児用チェアで宙に浮いた足をバタつかせていた。
「海がキレイですね。ちょっと散歩してきていいですか」
子どもたちのソワソワ感を汲み取った黒田が、食事のあとすぐに三人を外に連れだしてくれる。
大人しいが中々できたイクメンだ。
しかし気を利かせてくれた黒田には悪いが、残された三人の空気は若干気まずいものだった。
「ふふ……」
青木が食事を終えたテーブルを片付けはじめ、向かい合う薪に雪子が微笑みながら口を開く。
「なーんか克洋くんが……天国でニヤニヤしてそうよね。あたしたちまさか四十路でちびっこに囲まれて、つよしくんがマ……」
「ま、薪さんっ!!」
禁句ワード を慌てて遮った青木の大声が「コーヒーでも飲みますか?雪子さんもぜひ」と取ってつけたように二人を誘う。
「いいわね」
「ああ、なら僕が淹れる」
薪がテーブルを離れ厨房に入ってくる。
ドリップケトルを熱していた青木は、その場を薪に任せて、テーブルに戻ろうとした足をふと止めた。
「あの、俺もちょっと、子どもたち見てきますね」
青木はくるりと踵を返して薪の後ろを通り過ぎ、厨房の奥にある勝手口から外に出ていく。
「おい、コーヒーは……」
薪は電動ミルを操作しながら振り返るが、大男はもうドアの外に消えた後だった。
「いいわ、つよしくん。すぐ飲んで私が青木くんと代わるから。あの子たぶん私と二人にはなりたくないのよ」
「…………」
そうかもしれない。未練がなくても元婚約者である事実は消えない。青木も、黒田も皆どこか気まずさを抱えてまで一つ屋根の下に集っている状況。それを望んだ彼女と、それを受け入れた自分。
幸せな家族旅行を犠牲にしてまで、そうする必要が果たしてあったのだろうか――?
薪はケトルを持ち上げ、ドリッパーに移した粉の中心部に湯を落とす。
香ばしいフレグランスからふわりと芳醇なアロマに移り変わる快い香調に、薪は目を閉じ心を落ち着けた。
「私、ゴリラ舌なのよ」
「……?」
「あー猫舌の逆って意味ね。スガちゃんがいつもそう言うからさ」
笑いながら話す雪子は、切羽詰まった悲壮感を撒き散らしていた二日前の様子とは真反対だ。
“あなたたち、今週末どこにいる予定?”
“家族と別荘にいます”
“別荘って……葉山よね……奇跡!”
第九の一部に知られている事実を、雪子が知らない保証はない。包み隠さず答えた瞬間、運命は決まったようなものだった。
“ねえ、お願い……私たちの家族旅行につきあってくれない?”
“……ハァ?”
弟夫婦と逗子に家族旅行の予定が体調不良でドタキャンとなった。幼い子持ちの親類同士の親睦旅行の穴埋めを、雪子は薪に強く望んでいるらしいのだ。
数少ない友人とはいえ、薪に同行するのが元婚約者だろうとお構いなしの無理強いでしかない。
困る要素はたくさんあるが、期待に膨らんでいた胸が一気に萎んで放心している自分に、薪は一番驚いた。
それでも思考が停止して、首が縦に振れてしまうのだ、彼女の幸せを思うと。
「つよしくん。今回の件あなたには感謝してもし足りないわ」
自称ゴリラ舌?の雪子はすぐに飲み干したコーヒーカップをソーサーに置いて、申し訳なさそうに笑う。
「でもちょっとギクシャクしちゃったわよね?私、交代するから、あなたも少し青木くんとゆっくりしなよ、ね」
雪子はカラフェに残る淹れたてのコーヒーを黒田のタンブラーに注ぐと、軽やかな足取りで玄関の方から出ていった。
「失礼します」
しばらくして勝手口が開き、まるで所長室に入ってくるみたいに姿勢を正して、青木が厨房からダイニングに顔を出す。
「今日はすごく天気がいいので、暑さも厳しいですね」
汗をかいてしまいました、と洗った手と顔をタオルで拭きながらテーブルにつく青木の眼鏡を外した顔に、薪の心臓がとくんと跳ねる。
もう見慣れてるのに妙に艶めかしく感じて。
「どうしました?」
「……いや、暑ければ冷えた飲み物にするか」
「いえ、」
テーブルを離れようとする薪の手首を掴んで、青木が真っ直ぐに答えた。
「薪さんの淹れたコーヒーでお願いします。この香りが、もう堪らないんで」
薪は大きな手を振り払い、自分のカップを持って厨房に逃げ込んだ。
そして、カラフェの残り一杯分を自分のカップに注ぐ。
青木には新たな一杯を立ててその香りを吸い込みながら、心を落ち着けようとしたのだ。
和食中心の青木・薪家で暮らす舞と希の二人は、物珍しさに目を輝かせて食事を頬ばっている。
同時に窓から見える海の景色にもソワソワと心奪われていて、そんな二人の横にいる日向も気持ちを高ぶらせ、幼児用チェアで宙に浮いた足をバタつかせていた。
「海がキレイですね。ちょっと散歩してきていいですか」
子どもたちのソワソワ感を汲み取った黒田が、食事のあとすぐに三人を外に連れだしてくれる。
大人しいが中々できたイクメンだ。
しかし気を利かせてくれた黒田には悪いが、残された三人の空気は若干気まずいものだった。
「ふふ……」
青木が食事を終えたテーブルを片付けはじめ、向かい合う薪に雪子が微笑みながら口を開く。
「なーんか克洋くんが……天国でニヤニヤしてそうよね。あたしたちまさか四十路でちびっこに囲まれて、つよしくんがマ……」
「ま、薪さんっ!!」
「いいわね」
「ああ、なら僕が淹れる」
薪がテーブルを離れ厨房に入ってくる。
ドリップケトルを熱していた青木は、その場を薪に任せて、テーブルに戻ろうとした足をふと止めた。
「あの、俺もちょっと、子どもたち見てきますね」
青木はくるりと踵を返して薪の後ろを通り過ぎ、厨房の奥にある勝手口から外に出ていく。
「おい、コーヒーは……」
薪は電動ミルを操作しながら振り返るが、大男はもうドアの外に消えた後だった。
「いいわ、つよしくん。すぐ飲んで私が青木くんと代わるから。あの子たぶん私と二人にはなりたくないのよ」
「…………」
そうかもしれない。未練がなくても元婚約者である事実は消えない。青木も、黒田も皆どこか気まずさを抱えてまで一つ屋根の下に集っている状況。それを望んだ彼女と、それを受け入れた自分。
幸せな家族旅行を犠牲にしてまで、そうする必要が果たしてあったのだろうか――?
薪はケトルを持ち上げ、ドリッパーに移した粉の中心部に湯を落とす。
香ばしいフレグランスからふわりと芳醇なアロマに移り変わる快い香調に、薪は目を閉じ心を落ち着けた。
「私、ゴリラ舌なのよ」
「……?」
「あー猫舌の逆って意味ね。スガちゃんがいつもそう言うからさ」
笑いながら話す雪子は、切羽詰まった悲壮感を撒き散らしていた二日前の様子とは真反対だ。
“あなたたち、今週末どこにいる予定?”
“家族と別荘にいます”
“別荘って……葉山よね……奇跡!”
第九の一部に知られている事実を、雪子が知らない保証はない。包み隠さず答えた瞬間、運命は決まったようなものだった。
“ねえ、お願い……私たちの家族旅行につきあってくれない?”
“……ハァ?”
弟夫婦と逗子に家族旅行の予定が体調不良でドタキャンとなった。幼い子持ちの親類同士の親睦旅行の穴埋めを、雪子は薪に強く望んでいるらしいのだ。
数少ない友人とはいえ、薪に同行するのが元婚約者だろうとお構いなしの無理強いでしかない。
困る要素はたくさんあるが、期待に膨らんでいた胸が一気に萎んで放心している自分に、薪は一番驚いた。
それでも思考が停止して、首が縦に振れてしまうのだ、彼女の幸せを思うと。
「つよしくん。今回の件あなたには感謝してもし足りないわ」
自称ゴリラ舌?の雪子はすぐに飲み干したコーヒーカップをソーサーに置いて、申し訳なさそうに笑う。
「でもちょっとギクシャクしちゃったわよね?私、交代するから、あなたも少し青木くんとゆっくりしなよ、ね」
雪子はカラフェに残る淹れたてのコーヒーを黒田のタンブラーに注ぐと、軽やかな足取りで玄関の方から出ていった。
「失礼します」
しばらくして勝手口が開き、まるで所長室に入ってくるみたいに姿勢を正して、青木が厨房からダイニングに顔を出す。
「今日はすごく天気がいいので、暑さも厳しいですね」
汗をかいてしまいました、と洗った手と顔をタオルで拭きながらテーブルにつく青木の眼鏡を外した顔に、薪の心臓がとくんと跳ねる。
もう見慣れてるのに妙に艶めかしく感じて。
「どうしました?」
「……いや、暑ければ冷えた飲み物にするか」
「いえ、」
テーブルを離れようとする薪の手首を掴んで、青木が真っ直ぐに答えた。
「薪さんの淹れたコーヒーでお願いします。この香りが、もう堪らないんで」
薪は大きな手を振り払い、自分のカップを持って厨房に逃げ込んだ。
そして、カラフェの残り一杯分を自分のカップに注ぐ。
青木には新たな一杯を立ててその香りを吸い込みながら、心を落ち着けようとしたのだ。