☆2069 夏の別荘

「準備完了〜♪」
「ぼくも、かんりょ〜」

 子どもたちのはしゃいだ声が、夏休みの邸宅内に響く。

「ねえ、コーちゃ……じゃなくて、パパ!荷物のチェックお願いします」

「はい。じゃあ、舞のはパパがチェックします」

「え〜、ぼくのはぁ?」

「希のは、お姉ちゃんがチェックして。パパも見てるからね」

「はぁい♪」

 父子三人、楽しく荷物をチェックしているところへ、玄関の鍵とドアのあく音がきこえる。
 熱心にリュックの中の荷物を覗きこんでいた子どもたちが、途端に輝かせた顔を上げる。

「ただいま」

「あっ、ママぁ!」
「おかえりなさい!」

 幼い二人の息が合った“おかえりコール”に、俯き加減だった薪が目を見開いて、腰に抱きつく子どもたちの頭を交互に撫でる。
 機嫌よく尻尾を振りながら台所から身を乗り出し迎えている大型犬もいるのだが、ほぼスルー状態にならざるを得ない。

「ママぁ、りょこうのじゅんび、できたよ」
「ねぇママ、舞がノンちゃんの荷物、チェックしたんだよ」

「ふぅん、それはすごいな」

「ね、ママぁ」
「ママの準備は?」

「うん?ママはこれからだ」

 薪の足元をくるくる周りながら、二人の子どもたちのおしゃべりはひっきりなしに続く。

「あれ、ママお風呂は?」 
「ごはん、カレーだよ」

「お風呂は後で。いい匂いがするな」

 その時丁度居間の柱時計が夜の八時を知らせる。と、子どもたちは歯磨きをしに洗面所に向かい、薪はそのままダイニングへ。

 ジャケットを脱いだだけの格好で食卓につく薪を見て、出かける用ができたのだ、と青木は既に察していた。

「どうぞ」

「ああ、いただきます」

 大人二人が残された静かな食卓で、冷蔵庫の残り野菜を刻んだドライカレーと、ひじきと切り干し大根のサラダが並ぶ席に座り、薪は行儀よく手を合わせた。
 旅行前を実感させる“お片付けメニュー”だが、これもまた絶妙に薪の口に合う。

 今日も在宅で第八管区の仕事を務めきった賢明な男は、週末の別荘滞在に向け、子どもの準備も家の片付けも、完全に済ませてくれているようだった。

 夏休みも残りあと半月を切った、盆明けの週末。
 お盆のあいだは倉辻に行ったり、薪の伯母の嫁ぎ先である坂上にも顔を出した。おバアちゃんなんかは、倉辻の同年代の親戚同士で週末旅行に出かけるとかで、今も恵比寿に留まったままでいる。

 つまり盆明けのここ数日は、職場や書斎で捜査を動かす傍ら、家族四人水入らずで週末の家族旅行を楽しみに、夏休みの宿題を片付けるなどしながら、過ごしていたのだ。

「あの、何かあったんですか」

 薪のどこかこわばった表情を気にしながら、青木は冷たいルイボスティーを注いだグラスをテーブルに置いて、向いの椅子に腰掛ける。

「いや……」

 躊躇うように言い淀んだのあと、目を逸らしながら薪が口を開いた。

「悪いが、後で客用布団を車に運ぶのを手伝ってくれないか」

「……ええ、いいですが……何故?」

「友人が……急遽合流することになったんだ」

「はあ……」

 青木があからさまに浮かない顔をする。
 そりゃそうだ。出発から帰るまで一緒に楽しく行動するのが家族旅行だと思ってる。急な来客を迎えるためだろうが、その行程を乱す要素は極力排除したい勢いなのだ。

「布団なら、今から俺が行って、置いてまた戻ってきます。俺、自分の荷造りも子どもと一緒に済ませてるし、あなたは仕事でお疲れでしょうから……」

「疲れてるのはお前も同じだろう」 

「いえ、俺は在宅でしたし、体力的には余ってますので」

 食事の手を止め、腕組みをして俯いている薪を残して、青木はテーブルから立ち上がりダイニングを離れる。
 

「布団、何組です?」

「二……いや、一応三組か」

「わかりました」

 青木が車のキーを取り、向こうの部屋の押し入れを開ける音がする。
 その言動に薪の心はグラグラ揺れるが、肩で大きな息を一つ吐き、迷いを振り払った。
 
「やはりお前は荷物を積みこむだけでいい。僕は一足先にでかける。明日は晴れるし、布団を干して……そのまま葉山で待っているから」

「……は?」

 運ぼうと持ち上げた布団を取り落としそうになりながら、青木は立ち止まる。

「え……っと、それって俺たち三人、電車で来いってことですかね?」
 
「いや。お前たち三人を、明日の朝九時に友人が迎えに来ると言っている。知らない間柄じゃないし、乗せてもらって来てくれ」

 押し出す言葉の端々に、薪らしくない歯切れの悪さが滲む。
 それ以上薪を責めることができないのが、青木の人の好さだ。
 それに、困惑で若干パニクってもいる。
 他所様の家族旅行に突然相乗りしてくるほどの遠慮の要らない間柄。そもそも薪の友人なんて、対象がかなり絞られるし、自分も知っている人間となるともう、一人しか浮かばないんだが――



「あら、丁度のタイミングだったわね」

 翌朝8時55分の荻窪薪邸。
現れたのはやはりその女性ひとだ。
クールだが真夏の太陽のようなオーラを纏う年上のひと。性を変えたい願望を真顔で口にしていた彼女は、姓を変えてから五年目の……黒田雪子と、その家族だった。

「あら舞ちゃん、大きくなったわねぇ」

 華やかな笑みを浮かべて手を振りながら車から降り立つ彼女は、靴を履いて玄関から出てきた少女に屈託なく話しかけた。

 不思議そうにぺこりとお辞儀で答える舞が、それ以上気に留めないことに、青木は救われた気分になる。好奇心旺盛な舞に“ねぇコーちゃん、あのおバちゃん・・・・・といつどこで会ったんだっけ?”とかこの場で訊かれたら、色々とたまったものではないから。

「あら……」

 しかし一難去ってまた一難。
 今度は自分の足元に釘付けになっている雪子の真顔と視線に気づいてギクリと立ち止まった。

「じゃあ早速乗せて貰っていいですかね?」

 青木は訝しげに彼女を見返しながら、本能的に希を庇うように抱き上げた。
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