装填Ⅱ
「そうだ、青木」
助手席の薪さんは「今日はこれを渡すために来たんだ」と信号待ちの俺に、横長の封筒を手渡す。
ハンドルから離した両手で受け取れば、形も厚さも見覚えのあるその中身はすぐに察しがついた。
時期的にも“実弾訓練許可証”の更新版に違いない。
「ありがとうございます、一層精進します」
つばき園からばら蒔かれた種の“増殖”がじわじわと顕在化していく緊張のさなかで、元々遠距離恋愛の俺と薪さんが、プライベートで会える機会は殆どない。
でも時折こうして薪さんが、上司の顔だけでも見せに来てくれれば、俺はときめきで満たされるのだ。
封筒を受けとると、つい、あの若気の至りの手紙を思い出す。
書いた時の気持ちは今も変わらないし返事を期待してないわけでもない。
けど、今思うと、性急過ぎた自分自身に反省の念もあった。
薪さんの “待っている” という言葉は “このままでは駄目だ” ということの裏返しだ。
欲望に任せて肉体関係を繰り返すだけじゃ、いつまでたっても “家族” にはなれない。
だからいつも俺は “堪え性がない” って言われるんだろう。
薪さんの過去も未来も全部、人生ごと抱きしめて添い遂げるために、俺はまず誰を真似るでもなく “人から目指される青木一行” にならなくてはならないのに。
「昔、結婚間近の恋人同士の男女がいた。そして二人には、共通の親友である男が一人……」
静かな車内で、薪さんがふと口を開いた。
捜査の件でもないようだし、プライベートな話だとしたらとても珍しい。
「え、っとそれは……鈴木さんと雪子さんと、薪さんのことでしょうか?」
「違う、もっと昔の話だ」
“昔の話”ときいて、俺は運転しながら薪さんの横顔をちらりと盗み見る。
ご自分のことじゃないといいつつ、その表情の翳りから、無関係でもなさそうだと思う。
そして、話の続きを聞いた途端――
俺は運転の続行が不可能になり、ふらふらと減速して車を路肩に寄せざるを得なくなったのだ。
「……今何て…………仰いました?」
ハンドルに重い頭を押し当てた俺は、苦しい息を細く吸い込み薪さんに問いを吐き出す。
「は、その年でもう耳が遠いのか?」
そうじゃない。
さらりと放った薪さんの言葉が、弾丸のように俺のこめかみを貫通し、脳が真っ白に溶け落ちてインプットできない。それほどまでの衝撃だったのだ。
「その共通の親友が、男の彼女を手篭めにして身籠らせた、と言ったんだが」
一滴の感情も無い声で薪さんが繰り返し、そして静かに俺に問いかける。
「お前がその男ならどうする?」と。
なぜだろう。
声はきこえるのに、隣にいる薪さんの顔がよく見えない。
「どうする……って、何をです?」
無意識に滲む熱い涙に眼鏡の視界が曇った。
沸いてくる怒りに似たこの感情が、空っぽの薪さんに引火したら大爆発を起こしそうで、下手に触れられなかった。
「辛すぎます。てか俺なら絶対許せない」
問いかけへの答えを待たず、俺は溢れる感情を吐き出した。
「誰、を……許せないんだ?」
薪さんの声が不安げに震えている。
「そんなの自分自身に決まってるじゃないですか」
鬼畜の所業といえる友人の裏切りと暴挙。
三人の関係の歪みに自分が無関係なはず無いし、兆候を掴めなかった後悔とか、彼女を守れなかった不甲斐なさとか、すべての矛先が自分自身に向くのは間違いないだろう。
「………じゃあ、子どものことは?」
薪さんが、不安げな幼子みたいな顔でおずおずと俺を見上げてくる。
「子ども?」
キョトンとして聞き返す俺の答えを、薪さんは助手席で不安げに待っている。
ああもう、堪え性なんて一生無くていい。
俺は震える肩を両手で強く掴んで、薪さんの身体を自分と向き合わせた。
「子どもはとても大事です。愛する人がお腹を痛めて産むんですよ?愛しく思うなって方が無理じゃないですか」
抱きしめて後頭部に回る手が、俺の胸に埋もれる薪さんの髪をくしゃくしゃに撫でる。
「……っ、何度も言うが自分の子じゃ無いんだぞっ」
「ええ、でも愛するひとの産んだ子ですよね?自分の子じゃないですか」
腕の中の身体が、ビクリと震えて動きを止めた。
辛くて胸が張り裂けそうなこの話が、愛しいこの人自身の出生の秘密であることを、俺はうっすら察していた。
そうじゃなきゃ、話してるこの人自身がこんなにも危うく消えそうになったり、聞いてる俺の感情が苦しく掻きむしられる筈がない。
「たとえば、俺がどれだけあなたのことを……大切で、愛しくて、生まれてきてくれてありがとう、って、俺と出会ってくれてありがとうって思ってるか、わかってくれてますか?」
俺はこの腕に固く抱かれて身動きしない薪さんに、持て余す熱い思いを一つひとつ言葉にして浴びせていく。
「辛いことは俺にもわけてください。向こうへ行きたがってたあなたを身勝手に引き止めたのは俺なので、遠慮しないでください。ご自身を許せだなんて軽々しく言ったことは謝ります。でも許せないままだとしても、あなたにここにいてほしいんです、そのためなら俺何でもしますから!」
あなたが家族だと仰る第九や、俺の家のこと。他にもたくさんの色んな人があなたを必要としている……と言いたいけど止める。
「辛くなんかない」と薪さんが精一杯強がるから。
「ならずっといてくださいね」
「…………」
自分の涙とか額に押しつける唇とかが、薪さんを濡らしてしまっていた。
「俺と一緒に。お願いします」
「…………」
薪さんは僅かに首を横に振る。否定じゃないのはわかってる。
じっと身体を預ける薪さんから伝わる温もりを掴まえながら、俺はひとまず安堵した。
突然開いた薪さんの扉のむこうの闇がどんなに深く、一緒にいるのがこんな未熟な俺でも、一人よりは二人の方がいいと思ってる。
背負うものが大きすぎるこの人の、すべてを包みこむのが今はまだ困難だとしても、俺は薪さんがどこにいようと探し当てて、離さないから――
助手席の薪さんは「今日はこれを渡すために来たんだ」と信号待ちの俺に、横長の封筒を手渡す。
ハンドルから離した両手で受け取れば、形も厚さも見覚えのあるその中身はすぐに察しがついた。
時期的にも“実弾訓練許可証”の更新版に違いない。
「ありがとうございます、一層精進します」
つばき園からばら蒔かれた種の“増殖”がじわじわと顕在化していく緊張のさなかで、元々遠距離恋愛の俺と薪さんが、プライベートで会える機会は殆どない。
でも時折こうして薪さんが、上司の顔だけでも見せに来てくれれば、俺はときめきで満たされるのだ。
封筒を受けとると、つい、あの若気の至りの手紙を思い出す。
書いた時の気持ちは今も変わらないし返事を期待してないわけでもない。
けど、今思うと、性急過ぎた自分自身に反省の念もあった。
薪さんの “待っている” という言葉は “このままでは駄目だ” ということの裏返しだ。
欲望に任せて肉体関係を繰り返すだけじゃ、いつまでたっても “家族” にはなれない。
だからいつも俺は “堪え性がない” って言われるんだろう。
薪さんの過去も未来も全部、人生ごと抱きしめて添い遂げるために、俺はまず誰を真似るでもなく “人から目指される青木一行” にならなくてはならないのに。
「昔、結婚間近の恋人同士の男女がいた。そして二人には、共通の親友である男が一人……」
静かな車内で、薪さんがふと口を開いた。
捜査の件でもないようだし、プライベートな話だとしたらとても珍しい。
「え、っとそれは……鈴木さんと雪子さんと、薪さんのことでしょうか?」
「違う、もっと昔の話だ」
“昔の話”ときいて、俺は運転しながら薪さんの横顔をちらりと盗み見る。
ご自分のことじゃないといいつつ、その表情の翳りから、無関係でもなさそうだと思う。
そして、話の続きを聞いた途端――
俺は運転の続行が不可能になり、ふらふらと減速して車を路肩に寄せざるを得なくなったのだ。
「……今何て…………仰いました?」
ハンドルに重い頭を押し当てた俺は、苦しい息を細く吸い込み薪さんに問いを吐き出す。
「は、その年でもう耳が遠いのか?」
そうじゃない。
さらりと放った薪さんの言葉が、弾丸のように俺のこめかみを貫通し、脳が真っ白に溶け落ちてインプットできない。それほどまでの衝撃だったのだ。
「その共通の親友が、男の彼女を手篭めにして身籠らせた、と言ったんだが」
一滴の感情も無い声で薪さんが繰り返し、そして静かに俺に問いかける。
「お前がその男ならどうする?」と。
なぜだろう。
声はきこえるのに、隣にいる薪さんの顔がよく見えない。
「どうする……って、何をです?」
無意識に滲む熱い涙に眼鏡の視界が曇った。
沸いてくる怒りに似たこの感情が、空っぽの薪さんに引火したら大爆発を起こしそうで、下手に触れられなかった。
「辛すぎます。てか俺なら絶対許せない」
問いかけへの答えを待たず、俺は溢れる感情を吐き出した。
「誰、を……許せないんだ?」
薪さんの声が不安げに震えている。
「そんなの自分自身に決まってるじゃないですか」
鬼畜の所業といえる友人の裏切りと暴挙。
三人の関係の歪みに自分が無関係なはず無いし、兆候を掴めなかった後悔とか、彼女を守れなかった不甲斐なさとか、すべての矛先が自分自身に向くのは間違いないだろう。
「………じゃあ、子どものことは?」
薪さんが、不安げな幼子みたいな顔でおずおずと俺を見上げてくる。
「子ども?」
キョトンとして聞き返す俺の答えを、薪さんは助手席で不安げに待っている。
ああもう、堪え性なんて一生無くていい。
俺は震える肩を両手で強く掴んで、薪さんの身体を自分と向き合わせた。
「子どもはとても大事です。愛する人がお腹を痛めて産むんですよ?愛しく思うなって方が無理じゃないですか」
抱きしめて後頭部に回る手が、俺の胸に埋もれる薪さんの髪をくしゃくしゃに撫でる。
「……っ、何度も言うが自分の子じゃ無いんだぞっ」
「ええ、でも愛するひとの産んだ子ですよね?自分の子じゃないですか」
腕の中の身体が、ビクリと震えて動きを止めた。
辛くて胸が張り裂けそうなこの話が、愛しいこの人自身の出生の秘密であることを、俺はうっすら察していた。
そうじゃなきゃ、話してるこの人自身がこんなにも危うく消えそうになったり、聞いてる俺の感情が苦しく掻きむしられる筈がない。
「たとえば、俺がどれだけあなたのことを……大切で、愛しくて、生まれてきてくれてありがとう、って、俺と出会ってくれてありがとうって思ってるか、わかってくれてますか?」
俺はこの腕に固く抱かれて身動きしない薪さんに、持て余す熱い思いを一つひとつ言葉にして浴びせていく。
「辛いことは俺にもわけてください。向こうへ行きたがってたあなたを身勝手に引き止めたのは俺なので、遠慮しないでください。ご自身を許せだなんて軽々しく言ったことは謝ります。でも許せないままだとしても、あなたにここにいてほしいんです、そのためなら俺何でもしますから!」
あなたが家族だと仰る第九や、俺の家のこと。他にもたくさんの色んな人があなたを必要としている……と言いたいけど止める。
「辛くなんかない」と薪さんが精一杯強がるから。
「ならずっといてくださいね」
「…………」
自分の涙とか額に押しつける唇とかが、薪さんを濡らしてしまっていた。
「俺と一緒に。お願いします」
「…………」
薪さんは僅かに首を横に振る。否定じゃないのはわかってる。
じっと身体を預ける薪さんから伝わる温もりを掴まえながら、俺はひとまず安堵した。
突然開いた薪さんの扉のむこうの闇がどんなに深く、一緒にいるのがこんな未熟な俺でも、一人よりは二人の方がいいと思ってる。
背負うものが大きすぎるこの人の、すべてを包みこむのが今はまだ困難だとしても、俺は薪さんがどこにいようと探し当てて、離さないから――