装填Ⅰ R18

 俺が自分の携帯する銃から実弾を抜くようになったのは“恵比須夫婦惨殺事件”以来のことだ。

 そうすることが自分の心に巣食う闇を封じる唯一の手段だった。
 だが薪さんの目は節穴じゃなかった。
 空砲を詰られ装填を強く指示されたのが、つばき園強制捜査の三日前のこと。

 仰ることは全て正しい。
 実弾を使えば、俺自身が棲んだことのない危うい領域に足を踏み入れることになるけれど、覚悟して向き合うべきなのだろう。
 あの人が進めというなら、行く先が闇でも、俺は進む。


「青木」

「……ハッ」

 集中し過ぎていた俺は、薪さんに呼ばれて我に返った。

「ラストにしよう。そろそろタイムアウトだ」

「はい。ここって何時まで使えるんですか?」

「ここは一握りの人間のための射撃場だ。お前が知る必要はない」

 親しげに訊ねる空気を、冷たく遮断する薪さんの視線。
 汗ばむ緊張感に晒され続けていた俺には、それさえひんやりと心地好く感じる。

 以前から知っている建物の一角にあるが、ここは俺にとって未知の空間だった。薪さんの口ぶりから、俺がこの場所を使うことは後にも先にもなさそうだし、本来なら俺なんかが立ち入れないに違いない。

 厳重なセキュリティに守られた隠し扉の裏側で。警察屈指の射撃技術をもつ上官の個人指導は、基本動作しか知らなかった俺の感覚を、荒削りながら数時間のうちに熟練の域に押し上げた。


「ええっ、ホントだもうこんな時間!」

 外へ出てタクシーを待ちながら嵌めた腕時計を見て、俺は思わず声をあげる。
 体感時間とかけ離れた時計の針は、天辺をとうに過ぎていた。

「泊まるところはあるのか?」

「いえ、でも大丈夫です。今日はもう第三管区の片隅で寝させていただくとかでも……」

「行くぞ」

 停まったタクシーを顎で示して、薪さんが乗り込んだ。

「…………」

 行き先を告げた薪さんの手が、膝に置いてた俺の手の上に重なって強く握るから、俺は付け足そうとしていた自分の行先を、つい云いそびれてしまう。
 おまけに、疚しい期待に膨らむ胸が痛いほど高鳴って、横にいる薪さんの顔すら見れなくなっていた。



「入らないのか?」

「……いえっ、お邪魔しますっ」

 ついに来た…………!
 とうとう……………夢にまで見た薪さんのご自宅への訪問だ!!
 まさかのタイミングで長年の夢が実現しそうになっている俺は、ぽ~っとのぼせてドアの前に立ち尽くしている。

「………って、何ですかそれ?」

 ここまでたどり着くのに七年。感動の一歩を踏み出そうとにしていた俺の体を、薪さんは冷静にセンサーチェックしはじめている。

「気にするな、お前を疑ってるわけじゃない。外部から仕込まれるのものを未然に防ぐだけだ」

「…………」

 薪さんの“秘密”が狙われていたのは、もう過去のことだ。それでも警察の要職である以上、注意を払うに越したことはない。外部にとどまらず誰に対しても信用という枷をはめようとしないのが薪さんの流儀であることも、俺はなんとなく理解していた。
 たとえ身体を許した相手であっても。
 でも、それを掻い潜った先には、薪さんが寛げるプライベートな空間があると信じたい。
 そう強く願いながら、俺は念願の一歩を踏み込んだ。


「…………で、どうするんだ?青木」

「はっ?」

 初っ端がセンサーなら、次は尋問だ。

「今夜は……」

 ネクタイをゆるめるよりも、スーツのジャケットを脱ぐよりも先に、薪さんは玄関で靴を脱いだ俺に振り返り、まっすぐ見上げて訊いてくる。

「僕を抱くのか?抱かないのか?」

「………え!?」

 薪さんのどストレートな訊き方と、身長差が生み出す絶妙な上目遣いが、俺のハートのど真ん中を射抜く。
 いつもと同じ薪さんの筈なのに、踏み込んだ領域内にいる距離感が、俺の本音を丸裸にする。

「………そりゃ抱きたいですよ。いえ抱かせてください。正直、こないだオフィスであなたにジャケット剥がれた時から、ずっとヤバかったんで」

「………ん………っ」

 唇を奪ったつもりが舌を絡めとられて、はじめから激しく深いキスで鬩ぎ合う。
 念願の薪さん宅への初訪問なのに、部屋を見渡す余裕すらなく、抱き合ってお互いをむさぼるなんて、まるで十代の恋人同士みたいだ。

「あ、すいません。俺、射撃練習の汗も流してないですけど……」

「ふ、ばかだな。お前、そんなことを気にするのか?」

 薪さんの唇のかたちが綺麗に微笑むのを、重ね合う唇で感じとる。さらに濃厚な接触を求められてる気がして、互いの唾液に塗れた唇でゆっくり首筋をなぞっていく。
 そして、ネクタイを解き、シャツを開いて露わにした白い肌に踏み込んで………

「……はぁっ、ま……て…………」

「……薪さん……きれいです……」

「……だめ……だ、ま……待て、ったら!」

 俺の舌先で胸元を尖らせ震えてるくせに、手だけが別の意識を持ったように俺の顔を力任せに引き剥がすから……俺は毛髪を鷲掴みされたまま、お預けをくらった犬みたいに薪さんを見返す。

「……どう……しました?」

「体を洗ってくるから……待ってろ」

「え?でも俺、薪さんの匂いすごく好きなんですけど……」

「そういう問題じゃない。清潔にしないと、お前……いろんなとこ舐めるだろ」

 真っ赤になって顔をそむけた薪さんは、俺の腕をすり抜けて、バスルームへ駆け込んでいく。

 まじですか………その言動は完全なる反則ですよ。

 “舐められるから洗う”という発言は、洗うからたくさん舐めてほしいと言ってるのとほぼ同義です。
 なら俺はご期待に沿えるよう薪さんの隅から隅、裏側まで全部を………ハァ、無理だ。あの人の天然エロスに煽られて、俺もう一人で爆走しそうだ。

 気を落ち着かせようとして、リビングを見渡すと、いつかのメールで見せてもらった舞の絵がリアルに飾ってあって感極まる。

 初めて結ばれたホテルの晩も、俺の実家にお泊まりしてくれた嵐の夜も、その後わざと心を置き去りにして体だけの逢瀬を重ねていた間も………もし薪さんが、ほんの少しでも俺と同じ想いを募らせていてくれていたとするならば………あの手紙の返事は、言葉として貰えてなくても、もう現実になりつつあるんじゃないかという、妄想にも似た希望が胸を膨らませていた。
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