2070 薪誕 家族ぐらし
入園ゲートをくぐり、冬の冷たい空気の中に微かな獣舎の匂いとポップコーンの甘い香りが混ざり合う空間に、三人は足を踏み入れる。
「舞、まずはどこへ行く?」
園内マップの前で薪が問いかけると、舞は迷わず「ふれあい広場」を指差した。
「ここ! マキちゃん、モルモット抱っこしよう!」
日当たりの良い「ふれあい広場」は、家族連れが列をなしていた。並んで早々、社交的な舞はすぐ前列にいた小さな女の子としゃがみ込み、楽しげにお喋りを始めている。
「……二十歳 そこそこのカップルなら、こんな待ち時間のあいだも話題が尽きないんだろうな」
不意に投げ掛けられたその声に、青木は背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
辺りを見回すが、列には見知らぬ家族連れしかいない……ということは、やはり標的は自分なのだろう。
「薪さん……やめましょう、その話は」
「どんなデートだったんだ?」
「じ、十年以上も前のことですよ。記憶に残っているわけないじゃないですか」
「ふーん。覚えてないとは、相手も気の毒だな」
鼻を鳴らした薪の横顔には、わずかに満足そうな色が滲んでいた。
青木はこれ以上話が続かないことを祈りつつ、ようやく肩の力を抜く。
お昼どきは、舞が数日前から献立を考え、今朝も早起きして作った「特製お弁当」の時間だった。
「マキちゃんの好きそうなもの、いっぱい入れたんだよ!」
そう言って広げられた重箱の中には、形がいびつな卵焼きや、一生懸命タコさんに見えるよう切れ目を入れたウィンナー、そして薪の顔を海苔で表現しようとして断念したと思わしき「マキちゃんおにぎり」などが並んでいた。
小さな指先に巻かれたポップな模様の絆創膏は、もしかして、この真心込めたお弁当の完成と引き換えの、名誉の負傷だろうか。
目頭を熱くしながら丁寧に味わう薪の横で、号泣しながら食べる青木、そして二人の反応に満足げな舞の三人で平らげたお弁当。
心地よい満腹感に包まれた後は、遊園地エリアを楽しんだ。
メリーゴーランドが気に入った舞が繰り返し並んで乗っている間、大人はその傍らにある喫茶店のテラス席で、様子を見守りながら午後のコーヒータイムだ。
「恋人との逢引を……忘れたなんて、非情なことを言うんだな。そんなに退屈な相手だったのか」
穏やかな昼下がりの空気を切り裂くように、薪が再び蒸し返した。
「いや、それももうよくわからないです。本当に……」
またその話か……とビクつきながらも、青木は薪の横顔に視線を移して大真面目に答える。
「学生時代の恋なんて、そんなものですよ。小学生の初恋に毛が生えたような……」
その言葉に、薪は美貌の眉を寄せ、不思議そうに首を傾げた。
「薪さんの初恋は、いつなんですか?」
「……」
真剣に、かつ困惑した表情で考え込む薪。
そのあまりに無垢な表情に堪らなくなくなった青木は、周囲の目も忘れてテーブル越しに身を乗り出すと、薪の頬に軽く唇で触れる。
「っ……! 小学生と同じはずないだろ、ヤルことヤッてるくせに……っ」
顔を真っ赤にした薪の足が、テーブルの下で青木の脛を思い切り蹴飛ばした。
「あタッ……!! その『ヤル』も違うんですってば」
脛をさすりながら、青木は涙目で言葉を継ぐ。
「運命の人と出会う前と、後では……世界の色づき方とか何から何まで、全然違うんですから」
――それは、何となくわかる。
含羞んで泳がせた薪の視線の先には、メリーゴーランドの音楽に合わせて、上下に揺られて回りながら手を振る舞の姿があった。
二人に満面の笑みを向け、ちぎれるほどに手を振っている。
そこは自分が長い間閉じこもっていた冷たく無機質な場所とは違う。
今、目にしているこの世界は、夢のように美しいのだから。
「舞、まずはどこへ行く?」
園内マップの前で薪が問いかけると、舞は迷わず「ふれあい広場」を指差した。
「ここ! マキちゃん、モルモット抱っこしよう!」
日当たりの良い「ふれあい広場」は、家族連れが列をなしていた。並んで早々、社交的な舞はすぐ前列にいた小さな女の子としゃがみ込み、楽しげにお喋りを始めている。
「……
不意に投げ掛けられたその声に、青木は背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
辺りを見回すが、列には見知らぬ家族連れしかいない……ということは、やはり標的は自分なのだろう。
「薪さん……やめましょう、その話は」
「どんなデートだったんだ?」
「じ、十年以上も前のことですよ。記憶に残っているわけないじゃないですか」
「ふーん。覚えてないとは、相手も気の毒だな」
鼻を鳴らした薪の横顔には、わずかに満足そうな色が滲んでいた。
青木はこれ以上話が続かないことを祈りつつ、ようやく肩の力を抜く。
お昼どきは、舞が数日前から献立を考え、今朝も早起きして作った「特製お弁当」の時間だった。
「マキちゃんの好きそうなもの、いっぱい入れたんだよ!」
そう言って広げられた重箱の中には、形がいびつな卵焼きや、一生懸命タコさんに見えるよう切れ目を入れたウィンナー、そして薪の顔を海苔で表現しようとして断念したと思わしき「マキちゃんおにぎり」などが並んでいた。
小さな指先に巻かれたポップな模様の絆創膏は、もしかして、この真心込めたお弁当の完成と引き換えの、名誉の負傷だろうか。
目頭を熱くしながら丁寧に味わう薪の横で、号泣しながら食べる青木、そして二人の反応に満足げな舞の三人で平らげたお弁当。
心地よい満腹感に包まれた後は、遊園地エリアを楽しんだ。
メリーゴーランドが気に入った舞が繰り返し並んで乗っている間、大人はその傍らにある喫茶店のテラス席で、様子を見守りながら午後のコーヒータイムだ。
「恋人との逢引を……忘れたなんて、非情なことを言うんだな。そんなに退屈な相手だったのか」
穏やかな昼下がりの空気を切り裂くように、薪が再び蒸し返した。
「いや、それももうよくわからないです。本当に……」
またその話か……とビクつきながらも、青木は薪の横顔に視線を移して大真面目に答える。
「学生時代の恋なんて、そんなものですよ。小学生の初恋に毛が生えたような……」
その言葉に、薪は美貌の眉を寄せ、不思議そうに首を傾げた。
「薪さんの初恋は、いつなんですか?」
「……」
真剣に、かつ困惑した表情で考え込む薪。
そのあまりに無垢な表情に堪らなくなくなった青木は、周囲の目も忘れてテーブル越しに身を乗り出すと、薪の頬に軽く唇で触れる。
「っ……! 小学生と同じはずないだろ、ヤルことヤッてるくせに……っ」
顔を真っ赤にした薪の足が、テーブルの下で青木の脛を思い切り蹴飛ばした。
「あタッ……!! その『ヤル』も違うんですってば」
脛をさすりながら、青木は涙目で言葉を継ぐ。
「運命の人と出会う前と、後では……世界の色づき方とか何から何まで、全然違うんですから」
――それは、何となくわかる。
含羞んで泳がせた薪の視線の先には、メリーゴーランドの音楽に合わせて、上下に揺られて回りながら手を振る舞の姿があった。
二人に満面の笑みを向け、ちぎれるほどに手を振っている。
そこは自分が長い間閉じこもっていた冷たく無機質な場所とは違う。
今、目にしているこの世界は、夢のように美しいのだから。