2067 薪誕 天使の企み
「通用口にいるタクシーに、行き先のホテルも伝えてあります。フロントで俺の名前を云えば部屋まで来れるので……」
上京してる日は、勤務が終ればビルから一緒にでてくるか、通用口で待っている大男の姿が今日に限って無い。
微かな物足りなさを捻り潰しながら通話を終え、薪は一人でタクシーに乗り込む。
あれから捜査が捗って予想より早い時間にきりがついた。ただしばらく目が離せないため、週末を返上して対応に当たる見込みだ。
状況は青木も承知している。
つまり今夜は “溺れる” わけにはいかないのだ。
「おかえりなさい」
たどり着いたホテルの部屋に通された薪は、部屋の片隅のテーブルに閉じて置かれたノートPC の温もりに何気なく触れる。
flexで働く青木がここ数時間稼働してたことは、助けられた自分がよく知っている。それよりも……
「…………?」
静かな室内に漂うアップルパイと蝋燭の微かな匂いを、薪の敏感な嗅覚はとらえていた。
背後の壁に振り向けば “happy birthday” を形どるバルーンや花も。
―――そうか、まだこんなところにサプライズが隠されていたのだ。
「……まい?」
「さすがにもう寝てますよ、舞は」
舞を探して辺りを見回す薪を、青木が暗くしたベッドの部屋へと導く。
布団にくるまりすやすや寝息をたてる小さな膨らみを覗き込んだ薪は表情を緩め、それから天を仰いだ。
そして、隣に立つ青木をギロリと睨む。
「舞が来てるならどうして言わない?せっかく僕に会いに来ていたのに……」
「すみません。これは舞が決めたあなたのお祝いプランなんです。こないだのクリスマスのお返しがしたい、って計画しだして。ちょうど金曜だし年長さんの最後のチャンスなので、幼稚園をお休みしてアップルパイも焼いて来たんですよ」
「っ、僕が言ってるのはそういうことじゃない!」
薪は脱いだ上着を青木に押し付け、乱雑にネクタイを緩めながら鏡台の椅子に身体を投げ出す。
「舞は僕とそのパイを囲んで、三人でお祝いがしたかったんだろう?」
「……まあそれはそうですが」
青木は少し困ったように眉尻を下げる。
「少し違う部分もあります」
「は?」
「その、舞は仕事の邪魔をしないように、すごく気づかう子なんです……これ多分俺のせいなんですが」
薪を見ていた青木は、しおらしく視線を床へと落とした。
「駄目ですよね、そんな気遣いさせないように、こっちも全力で舞に向き合ってるつもりなんですけど、難しいです」
俯く青木の寂しさと罪悪感の混じったような顔を、薪は覗きこむように見上げる。
お前は駄目じゃないし、むしろ微笑ましく受けとるべきだ。子どものない僕が言うのもなんだが、自分のしたいことより、頑張ってる人を応援する気持ちが勝るならそれでいい。っていうかそういうとこお前似なんだから仕方ないだろ……と思いながら。
「つまり僕が仕事を抜けられない状況ならオンラインでいい、と舞本人が言ったんだな?」
「ええ、その通りです。考えてたプランは三つありました。一つ目はあなたの仕事が早く済んで皆でお祝い。二つ目が、あなたが仕事中でも舞が起きてる時間に遠隔でお祝い。三つ目、緊急事態であなたが当面持ち場を離れられない場合には“お祝い動画”をプレゼントしようとしてまして……」
動画はこんな感じです、と青木が自分のスマホを機嫌よく取り出し、その後に薪の携帯が振動する。
着信した動画を開くと、舞がはしゃぎながらアップルパイを作る映像が流れてくる。
安定の叔父バカぶりだ。
これはこれで可愛いのは理解するが、せっかく上京してきた舞との再会が動画だけにならなくて良かったと、薪は胸を撫で下ろす。
「で、採択されたプランの全容は?」
「ええ、それはこちらです」
青木はポケットから、舞お手製の “おいわいプランBのやることリスト” を取り出して薪に見せた。
①がめんでマキちゃんのハッピーバースデーする
②がめんのマキちゃんのかわりにまいがローソクをけす
③マキちゃんがかえってきたらコーちゃんとふたりでもういちどハッピーバースデーする
④ふたりできねんさつえい
⑤ふたりでケーキをたべる
「…………」
「ほら、俺たち二人でお祝いするローソクも、ちゃんと新しいのがあるんですよ」
ローソクを手にした青木が、俯く薪に見惚れて黙る。
「…………」
伏せた長い睫毛を伏せ考え込む薪があまりに綺麗で、あまりに無防備に見えるから。
「これは、できればプランB´にならないだろうか?」
「えっと、Bダッシュ、とは……」
薪は立ち上がりベッドの傍らで腰を折り、舞の寝顔をもう一度眺めて、静かに要望を口にする。
「明日の朝お前たちの時間が許すなら、三人で祝ってパイを食べたい」と。
「…………え??」
胃弱なあなたが朝からアップルパイ?という驚きの顔で、青木が薪の横顔を見る。
薄灯りのなか照れくささを圧し殺したようなその表情に、堪らなくなった手が伸びて肩を抱き、二つの身体の距離をゼロにする。
「いいですね、そうしましょう。その方が舞も喜びます」
一日遅れでも主役がいいと言うなら、舞だって三人で祝いたいに違いないのだ。
薪が三人の時間を大切に思ってくれている嬉しさの余り青木は、腕の中の愛しい人のこめかみに微笑んだ唇をそっと押し当てた。
「で、薪さん。これからどうなさいます?夕食もありますが……」
「いや、食事はいい。他には何がある?」
「おすすめは……風呂です」
「……?」
真顔で答える青木を、丸くなった薪の目がきょとんと見上げた。
上京してる日は、勤務が終ればビルから一緒にでてくるか、通用口で待っている大男の姿が今日に限って無い。
微かな物足りなさを捻り潰しながら通話を終え、薪は一人でタクシーに乗り込む。
あれから捜査が捗って予想より早い時間にきりがついた。ただしばらく目が離せないため、週末を返上して対応に当たる見込みだ。
状況は青木も承知している。
つまり今夜は “溺れる” わけにはいかないのだ。
「おかえりなさい」
たどり着いたホテルの部屋に通された薪は、部屋の片隅のテーブルに閉じて置かれたノートPC の温もりに何気なく触れる。
flexで働く青木がここ数時間稼働してたことは、助けられた自分がよく知っている。それよりも……
「…………?」
静かな室内に漂うアップルパイと蝋燭の微かな匂いを、薪の敏感な嗅覚はとらえていた。
背後の壁に振り向けば “happy birthday” を形どるバルーンや花も。
―――そうか、まだこんなところにサプライズが隠されていたのだ。
「……まい?」
「さすがにもう寝てますよ、舞は」
舞を探して辺りを見回す薪を、青木が暗くしたベッドの部屋へと導く。
布団にくるまりすやすや寝息をたてる小さな膨らみを覗き込んだ薪は表情を緩め、それから天を仰いだ。
そして、隣に立つ青木をギロリと睨む。
「舞が来てるならどうして言わない?せっかく僕に会いに来ていたのに……」
「すみません。これは舞が決めたあなたのお祝いプランなんです。こないだのクリスマスのお返しがしたい、って計画しだして。ちょうど金曜だし年長さんの最後のチャンスなので、幼稚園をお休みしてアップルパイも焼いて来たんですよ」
「っ、僕が言ってるのはそういうことじゃない!」
薪は脱いだ上着を青木に押し付け、乱雑にネクタイを緩めながら鏡台の椅子に身体を投げ出す。
「舞は僕とそのパイを囲んで、三人でお祝いがしたかったんだろう?」
「……まあそれはそうですが」
青木は少し困ったように眉尻を下げる。
「少し違う部分もあります」
「は?」
「その、舞は仕事の邪魔をしないように、すごく気づかう子なんです……これ多分俺のせいなんですが」
薪を見ていた青木は、しおらしく視線を床へと落とした。
「駄目ですよね、そんな気遣いさせないように、こっちも全力で舞に向き合ってるつもりなんですけど、難しいです」
俯く青木の寂しさと罪悪感の混じったような顔を、薪は覗きこむように見上げる。
お前は駄目じゃないし、むしろ微笑ましく受けとるべきだ。子どものない僕が言うのもなんだが、自分のしたいことより、頑張ってる人を応援する気持ちが勝るならそれでいい。っていうかそういうとこお前似なんだから仕方ないだろ……と思いながら。
「つまり僕が仕事を抜けられない状況ならオンラインでいい、と舞本人が言ったんだな?」
「ええ、その通りです。考えてたプランは三つありました。一つ目はあなたの仕事が早く済んで皆でお祝い。二つ目が、あなたが仕事中でも舞が起きてる時間に遠隔でお祝い。三つ目、緊急事態であなたが当面持ち場を離れられない場合には“お祝い動画”をプレゼントしようとしてまして……」
動画はこんな感じです、と青木が自分のスマホを機嫌よく取り出し、その後に薪の携帯が振動する。
着信した動画を開くと、舞がはしゃぎながらアップルパイを作る映像が流れてくる。
安定の叔父バカぶりだ。
これはこれで可愛いのは理解するが、せっかく上京してきた舞との再会が動画だけにならなくて良かったと、薪は胸を撫で下ろす。
「で、採択されたプランの全容は?」
「ええ、それはこちらです」
青木はポケットから、舞お手製の “おいわいプランBのやることリスト” を取り出して薪に見せた。
①がめんでマキちゃんのハッピーバースデーする
②がめんのマキちゃんのかわりにまいがローソクをけす
③マキちゃんがかえってきたらコーちゃんとふたりでもういちどハッピーバースデーする
④ふたりできねんさつえい
⑤ふたりでケーキをたべる
「…………」
「ほら、俺たち二人でお祝いするローソクも、ちゃんと新しいのがあるんですよ」
ローソクを手にした青木が、俯く薪に見惚れて黙る。
「…………」
伏せた長い睫毛を伏せ考え込む薪があまりに綺麗で、あまりに無防備に見えるから。
「これは、できればプランB´にならないだろうか?」
「えっと、Bダッシュ、とは……」
薪は立ち上がりベッドの傍らで腰を折り、舞の寝顔をもう一度眺めて、静かに要望を口にする。
「明日の朝お前たちの時間が許すなら、三人で祝ってパイを食べたい」と。
「…………え??」
胃弱なあなたが朝からアップルパイ?という驚きの顔で、青木が薪の横顔を見る。
薄灯りのなか照れくささを圧し殺したようなその表情に、堪らなくなった手が伸びて肩を抱き、二つの身体の距離をゼロにする。
「いいですね、そうしましょう。その方が舞も喜びます」
一日遅れでも主役がいいと言うなら、舞だって三人で祝いたいに違いないのだ。
薪が三人の時間を大切に思ってくれている嬉しさの余り青木は、腕の中の愛しい人のこめかみに微笑んだ唇をそっと押し当てた。
「で、薪さん。これからどうなさいます?夕食もありますが……」
「いや、食事はいい。他には何がある?」
「おすすめは……風呂です」
「……?」
真顔で答える青木を、丸くなった薪の目がきょとんと見上げた。