☆2065←→2064 手紙。

 日曜日。
パリで目覚めた薪の視界に映る天井にかざした手は、昨日見ていた手より小さく線も細い、じぶん自身の手だ。

 溢れる涙を拭うのも忘れ手紙を読み返し眠ったのは、金曜の夜のこと。
 そこから丸一日の空白を経て“元に戻った”というわけだ。

 眠気の残る視線でピカピカに磨かれた室内を見渡し、隅々まできれいにされた自分の肌の記憶を、そっと噛みしめる。
 水を飲もうと冷蔵庫を開ければ、常備菜の入ったキャニスターがきれいに並んでいる。

 抱いて眠った例の“手紙”は、デスクにそっと置かれていた。

 土曜は空白どころか、この部屋と身体ぜんぶが青木の想いと温もりに満たされた一日だったみたいだ。素直じゃない“心”だけを遠くに追いやって、ある意味自分の肉体的が、青木に思いっきり甘やかされた、特別な日だったのかもしれない。

“薪さんの肌すごくキレイだなぁ”

“ハァ、薪さんのいい匂い。くぅ〜抱きしめたいっ”

 部屋の中のいたるところに残留して漂う青木の思念が、薪の心と肌を擽る。
 くそッ、鬱陶しい!!
 心身をとろかす甘ったるさにいたたまれなくなった薪は、さっさと身支度して外へと飛び出した。 

 こんな外出はパリここへ来て初めてのことだ。

 最寄りのパッサージュを歩きながら、雑多な人混みも悪くないと思う。
 古書店やカフェにゆっくり立ち寄って、日暮れには公園を散歩して。
 アパルトマンに戻ったのは、夜になってからだった。

 夕食には青木の作りおきのソースをパスタに絡めて味わい、染み透る滋味に思わず目を閉じる。
 上がる気分に任せてワインの栓を抜き、ほろ酔いでソファーでぼんやりした後、シャワーを浴びてベッドに潜り込んだ。

 デスクから持ってきたあの“手紙”を、なんとなく胸の上に置いて、両手を添えて。

肝心なのはこれから・・・・・・・・・だと、どこかで、知っていた。



…………さん。


まきさん。わっ!!!


「やっぱり来たのか、お前」

 薪になる気満々で目を開いた青木の眼前には、薪剛その人の口角を吊り上げたドヤ顔がある。
 え?俺、薪さんになれてないのに、薪さんと会えてる???

「まったくお前はとんでもないモノを送りつけてきたものだな」

 薪は手紙を摘んでひらひらと振りながら、上目遣いで青木を睨んでなじる。

「ち、違いますよ。手紙だけじゃなく“想い”のせいですよね?俺がしたためた想いに、あなたも共鳴ウッ……」

 青木がむせるように続きの言葉を呑む。薪の拳が青木の胸を鋭く突いたからだ。

「それには僕も驚いた。お前が込めた想いが同じ温度でまだここにある。そして愚かなことに僕も、受け取った時と同じ想いを手紙と一緒に、一年先も持ち続けてた、なんてな」

「同じ、って?どんな想いなんですか?」

「愚問だな。それに答えられるくらいなら、これをお前に突き返したりしない」

「……それもそうですね」

 青木は胸に当てられた拳を自分の手で包んで、薪の身体を引き寄せた。
言葉を求めるなんて野暮だ。手紙を通して共鳴する想いがある。それ以上この人に何を望む?

「しかしお前のバカの一つ覚えも、ここまでくると立派なものだ」

 貶されているのか思いきや、そうでもないらしい。青木の胸に額を押し当てた薪が、熱を帯びた声で付け足したから。
「おかげで、こうして会えた」と。

「っ、そうですね!!」

 可愛すぎてぶっ倒れそうになりながら、青木は薪を強く抱きしめる。
 たしかに、お互い成り代わってしまうより、こうして自分の身体で薪に触れたいと願った。
 そしてこの流れから、薪も同じことを願っていたんじゃないか?

「でも、どうして入れ替わらず会えたんでしょうか」

「ふ、簡単だ。どうせお前は理由をつきとめればまた同じやり方で飛んでくるだろうから、僕はそうしなかっただけだ」

「……あ、そうか」

 つまり、前回お互いがお互いのもとに行きたいと願っていたせいで、完全に入れ替わった。
 だから今回は、薪はあえて動かず青木を待っていた。だから“会えた”のだ。

「でも入れ替われてないってことは、今の俺たちには実体がなく……」

「ああ、思念体のままだろうな。その方が後腐れなく好都合だろ、そもそも一年の時差に隔たれた僕とお前が出会うはずないんだし」

「???」

 アトクサレナクコウツゴウ??
 理解が追いつかないうちに、薪の柔らかい唇で唇に触れられて、そのまま湿った音をたてて、そこからさらに互いの感触を、求め合いはじめる。

「……チュプ……はぁ……」

 はげしく舌を絡め合う薪の後頭部から頬まで包みこんでいた青木の手が、首筋から肩、背中から腰へと、肌のざわめく熱を感じとりながら、愛しげに伝い降りていく。

「……まき、さん……っ」

 俺のこの手であなたに触れたいと、あなた自身の手にさえ嫉妬しました。
今はこの手で、キスで、ああもう、この昂りを突き立てて、もっとナカまでこの人を感じたい―――!!

「……っこのバカ、あからさまに想いを垂れ流すな」

 濡れた唇をずらして首筋を辿る青木のこめかみ辺りで、薪が熱に震える苦言を吐いた。

「えっ?」

「ぜんぶ……伝わる。僕らは思念体なんだぞ」
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