☆2065←→2064 手紙。
「昼食、ここに置いておきますね」
聞き慣れない女性の声に目覚めた青木と、ベッドを覗き込む看護師の目が合う。
丁度、床頭台のスライド机に食事のトレイが載せられたところだった。
「あ、りがとうございます……っイテッ」
「ふふ、そんなに張り切って起き上がらなくても。大丈夫ですか?」
ベッドを起こしますね、と看護師は微笑み、脇腹を押さえる青木を介助してくれる。
中身が薪なら青筋をたてていただろうが、本来の青木に戻った今は平穏そのものだ。
「あの、今日って何日ですか?」
「10月25日です。あ、それは昨日の新聞ですよ」
「構いません。そこのメガネも取っていただけますか」
とにかく自分は無事に、元の自分の身体に戻れたらしい。
一年前のパリに住む薪に成り代わっていたのが夢でないのなら、自分は薪としての一日を終えて眠りについた後、ここで目覚めたことになる。
ではその間ここでの一日はどうなっていたのだろう?
ぼやける視界をメガネで矯正した青木は、手に取った新聞の“カザフスタン大統領食事会”の記事に目を通す。と、文字を追う脳裏に様々な残像が重なり、甦ってくる。
この新聞は、自分と入れ替わった薪が、岡部に買ってこさせたものだ。
その後、母や舞が見舞いに来て……見破られないよう薪が目を閉じてそのまま眠ったのが昨夜のこと。
翌朝まで薪の記憶の残像を辿るうちに、青木の顔がみるみる赤くなる。
まじか。近頃ルーティーンになってる薪さん妄想限定の淫夢と朝勃ちも、バッチリ見つかってるし。
あろうことに、そそり勃つ性器を薪に扱かれて……傍目から見れば自慰だが、本当は違う。
自分の手とはいえ、動かしたのは“薪の意志”なのだ。
ま、薪さん、な、何てことなさったんですか―――!!
「青木。入るぞ」
ノックと岡部の声に反射的に振り向こうとした青木は、イテテと脇腹を押さえる。
「お、もう起きれるのか。よかったな」
「……ええ、おかげさまで。岡部さんも、色々ありがとうございます」
「ん?なんかお前、顔赤いぞ。熱あるんじゃないか」
「いえっ、これは違います大丈夫です」
青木は疚しさを振り払うように、必死で首を横に振る。
「まあ、あと二・三日様子見て、順調にいけば退院らしいから。無理せず頑張れよ」
コワモテだが気のいい大先輩は、傍らのパイプ椅子に腰を下ろし、コンビニで買ってきた弁当を食べはじめた。
「あ、そうだ。手紙のことだが」
「むぐッ!」
「まさかと思うがあれは……」
ウォホン、と岡部は言いにくそうに咳払いして、目を逸らしながら訊ねる。
「辞表、ではないよな?」
「じ、じひょう!?」
意外な探りに目を丸くして聞きかえすが、言われてみればそう勘繰られるのも不思議ではない。
薪の残した記憶を辿れば、あの手紙は突き返されたのだ。
それを布団で受け止めた瞬間、何故か自分の身体に一年前 の薪を引き寄せた。
「違いますよ。たしかに突き返される手紙なんて、辞表か恋文くらいですけどね」
本当にその後者なのだからシャレにならない。でも薪の場合、辞表ならアッサリ受理してくれそうだよな、と勝手に凹む。
……って、待てよ。
「その手紙、もしや岡部さんが持ってたりします?」
「ん?ああ、職場の引き出しに預かってる」
「それ、欲しいんです。ここへ持ってきてもらってもらえませんか?」
「はぁ?それは構わんが……」
突っ返された手紙を欲しがるなんてドMかよ、という顔で岡部に驚かれたが、どうしても試したいことがあった。
あの“手紙”に寄せる想いがおそらく自分と薪の共通点で。そこにまつわる互いの思念が共鳴し、入れ替わった可能性が高い。
そして、入れ替わった相手の思念はおぼろげに残留している。つまり、この方法でまだたくさん伝えられるのだ。手紙に書ききれない、溢れる想いを薪さんに……!
「お願いします!次はいついらっしゃいますか?」
「そんなに大事なモンなら、今晩また寄ってやってもいいぞ」
「っ……ありがとうございます!!」
ブンブン振る尻尾が見える勢いに、岡部は苦笑いしながら腕時計を見る。
「そろそろ行くわ。じゃあまたな」
昨日とは打って変わって青木らしさ全開の様子に安堵した岡部は、和やかな顔で後ろ手を振り仕事へ戻っていく。
早く。
岡部さん、早く。
“手紙の効力”がいつまで持つのか怪しくなってきた。
自分の中にいた薪の残留思念も、薪の中にいた自分の記憶も、時間を追うごとにどんどん薄れていってしまう。
「青木、持ってきたぞ」
岡部が再びやってきたのは、第三管区のハードワークを終え日付が変わる寸前だった。
「ありがとうございます」
「ああ」
「あの、岡部さん」
「ん?」
「俺の様子がおかしくても、気になさらないでくださいね。数日中には必ず元に戻りますんで」
消灯後の暗い病室で手紙を受け取った青木は、真顔で岡部に伝えた。
「……はあ?」
青木の奴、妙なこと言いやがる。
面会時間をとうに過ぎた夜更けだ。
手紙を渡してすぐに廊下に出たものの、気になって帰れずしばらく辺りをウロウロした岡部は、またそーっと覗きに来る。
―――何だ、寝てるだけじゃねぇか。てかまた手紙置きっぱだし。
布団の上に手紙を置いたままベッドで眠りこける青木の寝顔に、岡部は安心して病院を後にしたのだった。
聞き慣れない女性の声に目覚めた青木と、ベッドを覗き込む看護師の目が合う。
丁度、床頭台のスライド机に食事のトレイが載せられたところだった。
「あ、りがとうございます……っイテッ」
「ふふ、そんなに張り切って起き上がらなくても。大丈夫ですか?」
ベッドを起こしますね、と看護師は微笑み、脇腹を押さえる青木を介助してくれる。
中身が薪なら青筋をたてていただろうが、本来の青木に戻った今は平穏そのものだ。
「あの、今日って何日ですか?」
「10月25日です。あ、それは昨日の新聞ですよ」
「構いません。そこのメガネも取っていただけますか」
とにかく自分は無事に、元の自分の身体に戻れたらしい。
一年前のパリに住む薪に成り代わっていたのが夢でないのなら、自分は薪としての一日を終えて眠りについた後、ここで目覚めたことになる。
ではその間ここでの一日はどうなっていたのだろう?
ぼやける視界をメガネで矯正した青木は、手に取った新聞の“カザフスタン大統領食事会”の記事に目を通す。と、文字を追う脳裏に様々な残像が重なり、甦ってくる。
この新聞は、自分と入れ替わった薪が、岡部に買ってこさせたものだ。
その後、母や舞が見舞いに来て……見破られないよう薪が目を閉じてそのまま眠ったのが昨夜のこと。
翌朝まで薪の記憶の残像を辿るうちに、青木の顔がみるみる赤くなる。
まじか。近頃ルーティーンになってる薪さん妄想限定の淫夢と朝勃ちも、バッチリ見つかってるし。
あろうことに、そそり勃つ性器を薪に扱かれて……傍目から見れば自慰だが、本当は違う。
自分の手とはいえ、動かしたのは“薪の意志”なのだ。
ま、薪さん、な、何てことなさったんですか―――!!
「青木。入るぞ」
ノックと岡部の声に反射的に振り向こうとした青木は、イテテと脇腹を押さえる。
「お、もう起きれるのか。よかったな」
「……ええ、おかげさまで。岡部さんも、色々ありがとうございます」
「ん?なんかお前、顔赤いぞ。熱あるんじゃないか」
「いえっ、これは違います大丈夫です」
青木は疚しさを振り払うように、必死で首を横に振る。
「まあ、あと二・三日様子見て、順調にいけば退院らしいから。無理せず頑張れよ」
コワモテだが気のいい大先輩は、傍らのパイプ椅子に腰を下ろし、コンビニで買ってきた弁当を食べはじめた。
「あ、そうだ。手紙のことだが」
「むぐッ!」
「まさかと思うがあれは……」
ウォホン、と岡部は言いにくそうに咳払いして、目を逸らしながら訊ねる。
「辞表、ではないよな?」
「じ、じひょう!?」
意外な探りに目を丸くして聞きかえすが、言われてみればそう勘繰られるのも不思議ではない。
薪の残した記憶を辿れば、あの手紙は突き返されたのだ。
それを布団で受け止めた瞬間、何故か自分の身体に
「違いますよ。たしかに突き返される手紙なんて、辞表か恋文くらいですけどね」
本当にその後者なのだからシャレにならない。でも薪の場合、辞表ならアッサリ受理してくれそうだよな、と勝手に凹む。
……って、待てよ。
「その手紙、もしや岡部さんが持ってたりします?」
「ん?ああ、職場の引き出しに預かってる」
「それ、欲しいんです。ここへ持ってきてもらってもらえませんか?」
「はぁ?それは構わんが……」
突っ返された手紙を欲しがるなんてドMかよ、という顔で岡部に驚かれたが、どうしても試したいことがあった。
あの“手紙”に寄せる想いがおそらく自分と薪の共通点で。そこにまつわる互いの思念が共鳴し、入れ替わった可能性が高い。
そして、入れ替わった相手の思念はおぼろげに残留している。つまり、この方法でまだたくさん伝えられるのだ。手紙に書ききれない、溢れる想いを薪さんに……!
「お願いします!次はいついらっしゃいますか?」
「そんなに大事なモンなら、今晩また寄ってやってもいいぞ」
「っ……ありがとうございます!!」
ブンブン振る尻尾が見える勢いに、岡部は苦笑いしながら腕時計を見る。
「そろそろ行くわ。じゃあまたな」
昨日とは打って変わって青木らしさ全開の様子に安堵した岡部は、和やかな顔で後ろ手を振り仕事へ戻っていく。
早く。
岡部さん、早く。
“手紙の効力”がいつまで持つのか怪しくなってきた。
自分の中にいた薪の残留思念も、薪の中にいた自分の記憶も、時間を追うごとにどんどん薄れていってしまう。
「青木、持ってきたぞ」
岡部が再びやってきたのは、第三管区のハードワークを終え日付が変わる寸前だった。
「ありがとうございます」
「ああ」
「あの、岡部さん」
「ん?」
「俺の様子がおかしくても、気になさらないでくださいね。数日中には必ず元に戻りますんで」
消灯後の暗い病室で手紙を受け取った青木は、真顔で岡部に伝えた。
「……はあ?」
青木の奴、妙なこと言いやがる。
面会時間をとうに過ぎた夜更けだ。
手紙を渡してすぐに廊下に出たものの、気になって帰れずしばらく辺りをウロウロした岡部は、またそーっと覗きに来る。
―――何だ、寝てるだけじゃねぇか。てかまた手紙置きっぱだし。
布団の上に手紙を置いたままベッドで眠りこける青木の寝顔に、岡部は安心して病院を後にしたのだった。