2067 Baby Panic!

 昼食は、街路樹の鮮やかな緑が目に眩しい通りのテラス席でとった。

​ 日向を優しくあやしながら手際よくメニューを選び、持参した離乳食も素早く広げて、しっかりと三人でのランチタイムを楽しめてしまう青木の立派な“若きパパ”ぶりが、薪の目には新鮮に頼もしく映っている。

​「今日の夕食は、日向ちゃんの離乳食も一緒に作れる煮込み料理にしますね。……薪さん、帰りにスーパーに寄ってもいいですか?」

​ 青木が口にする一つ一つの言葉に、薪の胸がひそかに躍る。  
 “家族の休日”を当たり前のように組み立てていく……仕事で見せる洞察や行動力とはまた違う、生活にしっかりと根ざす慈愛に満ちた“強さ”が眩しい。

​(……お前は、そんな顔もするんだな)

​ それは自分の知らない青木の新しい一面であり、同時に、自分の心の中に深く棲みついている“父親”に似た面影でもあった。
​ 見つめる薪の胸の奥が、疼くような温かな熱を帯びていく。


​ 帰宅して午後のおやつを済ませると、リビングで賑やかな「お部屋遊び」の時間が始まった。
​ 青木が小型の積み木を広げようとしたその時、薪が雪子の育児バッグの底から、ある妙なものを取り出した。

​「……ふむ。これは、なかなか興味深いな」

​「うわ、雪子さんらしいというか何というか……」

​ 薪が両手で掲げていたのは、幼児向けの知育玩具にしてはあまりにリアルすぎる『立体人体解剖パズル』だった。
​ 引いて苦笑いする青木を他所に、薪の瞳は少年のように輝いている。

​「日向、いいか、これを見ろ……横隔膜を境にして、胸腔と腹腔は、きれいに分かれているんだ」

​ 薪は膝の上に日向をちょこんと座らせ、大真面目な顔つきで内臓のパーツを組み立て始めた。

​「あー、あー!」

​「肺は左右で形が違う。見てみろ、こっちが右肺で、こっちが……」
​ 
​「あい!」

​ 日向が楽しげに声を上げ、薪がせっかく正しい位置にはめ込んだ「肺」のパーツを、小さな手で無邪気に叩き落とした。

​「あっ……肺胞の構造が崩れる!」

​ なんともシュールな知育遊びの時間だった。

​「日向、肝臓はそこじゃない。もっと右上だ」

​ 薪は美しい眉間に皺を寄せ、幼子相手に解剖学的正確さを大真面目に説き続ける。
 やがて日向がキャッキャと笑いながら腎臓のパーツを口に運ぼうとすると、薪は血相を変えてそれを取り上げようとする。

​「こら、食べるな! 不衛生だ!」

​「クスクス、日向ちゃんは単に薪さんと遊びたいだけですよ。解剖学の実習じゃないんですから」
​ 
​ パズルの奪い合いを新しい遊びだと思って大喜びする日向。
​ 一国の科学捜査機関を率いる天才所長が、小さな赤ん坊を相手に「正確な臓器配置」を巡って格闘する姿はあまりにシュールで、けれど、この上なく平和な光景だった。

​ それをキッチンからそっと眺めながら、青木は「これ、動画に撮っておきたいなぁ……」と、幸せな溜息をつくのだった。

​ 二人が賑やかに遊んでいる間に、煮込み料理の優しい香りが室内にふんわりと漂い始めていた。

​ 待ちに待った夕食の時間。
 薪は驚くほど上手に、そして丁寧に日向へ離乳食を食べさせていた。
​ すっかり和んだ美しいその横顔を見つめる青木の口から、ふと、心の奥底に大切に仕舞い込んでいた想いが無自覚に零れ落ちる。

​「……俺、今思うと。舞を育てている時……あなたがこうして傍で一緒にいてくれたらと、どこかでずっと、ずっと願っていたのかもしれません」

​ 匙を運んでいた薪の手が、ぴたりと止まる。

​「この幸せを……どこかで夢見ていた気がするんです。それが、こんな形で実現するなんて」

​ 自分でも知らないうちに、青木の目から一筋の涙がこぼれ落ちていた。それを見つけた薪が、少し戸惑いながらも白い指先をそっと伸ばして、その愛おしい頬を優しく拭った。

​「……何を泣いているんだ、お前は」

​ 薪は少し困ったように眉を下げつつ、どこまでも力強い眼差しで青木を真っ直ぐに見つめ返した。

​「……舞とでも、遅くないだろう?」
​ これから、いくらでも時間は、二人の未来はあるのだから。
​「幸せな思い出づくりなら、僕だって、お前に負けないくらい……望むところだ」
​ 
​ 決して届かないと思っていた憧れの人が、すぐ傍にいる。綺麗な瞳で見上げて、自分に寄り添う温かい言葉をかけてくれる。
​ 青木の胸に、溢れんばかりの愛しさが込み上げた。 
​ 感極まって、この世界で一番愛しい人をその腕で強く抱きしめようとした――まさに、その瞬間だった。

​ 静かな部屋に、突然大音量の着信音が鳴り響いた。 
 薪の携帯電話だ。

​ 慌てて身体を離し、掴み取った携帯の画面を見つめた薪が着信をタップすると、スピーカーからは、少し鼻声ではあるけれどすっかり元気そうな雪子の声が聞こえてきた。

​『剛くん? 悪かったわね、ようやく熱下がったわ……日向は大丈夫かしら?』

​「……ああ、大丈夫だ」

​ 正面に座る青木の顔を見やる薪の口角が、自然と誇らしげに上がっていく。

​「慌てて今から迎えに来る必要はない。ここには『強力な助っ人』がいるからな」

​『ふーん……』

​ 電話の向こうで、すべてを察したらしい雪子がクスリと楽しげに笑う気配がした。

​『そうなの? じゃあ、お言葉に甘えて明日の朝に伺うわね。ありがとう』

​ そう言って、通話は静かに切れた。
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